輝きを取り戻したアイドル姉妹

 脱サラして農家への転身を決意し、姉妹のみかん農園への従事を希望した青年の名は「たかし」と言った。


 姉妹の両親にとっても待望の若い力であり、その提案を断る理由は無かった。直情的な姉の双枝ふたえだけでなく、普段は判断が鈍い妹の双葉ふたばからも即決で雇うことを推薦されたのだから、これで断っては姉妹が仲直りする契機を失ってしまうのではないかと思うほどだった。


 家業だけでなく姉妹の仲も改善してくれるのではないかと、出会ったばかりの第三者に対しては大きすぎる期待を掛けてしまう。それほどに敬の申し出は一家にとって大きなインパクトを与え、現状を打破する力となり得た。


 サラリーマン時代の知識と経験をどのように活かすのか当初は苦心していた敬だったが、農家の仕事を実体験していく中で応用に移すコツを掴んだようで、単なる男手の増加に留まらない作業性の向上が成されていくのだった。

 特に農薬散布や剪定の管理についてシステムが構築されたのが大きく、農薬の使用量や同じ場所を見回りに行く無駄な手間が削減できるのは革命のようですらある。両親には思い付きもしない方法であったため、期待以上の成果が表れ始めていた。


 ただ、姉妹の仲が改善する期待については両親の目論見通りとはいかず、むしろ悪化の一途を辿っているように思えた。


「タエが買ってきた化粧水、なんでこんなに使っちゃうの!」

「双枝がヨウのこと、みかん用のワックスでも塗ってればいいんじゃないとか言うもんだから、そんなんじゃ逆に肌が荒れちゃうかもしれないからだよ!」


 双枝はタエ、双葉はヨウと自分を呼称するのは、両親が幼い頃に二人をそう呼んで以来のことだったが、こうして瑣末事さまつごと発端ほったんとした口喧嘩をしている状況で使っていると年齢に見合わない子供っぽさが際立ってしまう。

 もう三十路の足音が近づいてきていると言うのに、こんな駄々をこねる子供みたいな姿を晒しているようでは男性からの視線が冷ややかになるのも致し方ないだろう。


 意識した男性の気を引こうと慣れない化粧に挑戦する姿勢を見せるのは良いことだったが、二人揃って同世代の男性と縁の無い二十代を送ってきたせいで、このような言動が相手からどう見られるのかに考えが及ばなくなっている。

 見た目の装いを改める以前の問題がありそうだった。


 しかし、敬はその様子を目の当たりにしても幻滅してしまうことはなかった。それどころか家族以外の第三者がいる前でも自然体の姉妹により深い魅力を感じるようになっていた。

 この脱サラ青年は社会の波に揉まれて、本音を包み隠して惰性で過ごす生活が常識になっていたため、本音をぶつけ合える姉妹の姿は輝いて見えるほどだった。


「あのっ、お二人ともよかったら僕が化粧水を買ってきますので……」


 輝く姉妹のバトルを見ていたい気持ちもあるが、穏便に収束させたくなるのもまた敬のお節介な性格故である。百貨店の接客業勤めで身に染み込んでいる物腰の柔らかさとクレーム処理能力が思わぬ形で役に立った。

 古巣の百貨店には化粧品コーナーに勤める元同僚もいる。化粧品への知識は皆無に等しかったが、この姉妹のように肌荒れの改善を目的としている人に適した商品を工面してもらうことはできると判断しての提案だった。


 対する姉妹の反応は、敬にとってはやや意外なものだった。


「敬さんの手をわずらわせるなんて、ヨウは望みませんからお気にならさらないでくださいまし」

「敬さんありがとう! 大好き!」


 お嬢様のような言葉遣いで遠慮する双葉だったが、幼い子供が欲しい物をねだりまわして買ってもらった時のお礼さながらの言葉を返した双枝の尻を強かに叩く。パチーン、と良い音が小さな事務所に鳴り響いた。

 あまりに小気味良い音を鳴らした尻を撫でながら恥ずかしそうに顔を真っ赤にした双枝に、抜け駆けは許さないぞとばかりに鋭い視線を向ける双葉。

 さすがの敬も顔が引きってしまった。


「僕がプレゼントしたいだけだから気にしないで……」


 プレゼント、の言葉に今度は目を輝かせる姉妹。こんな時に限ってはまるで反応が同じになる辺りはさすが双子といったところか。

 取り合いにならないよう、全く同じ物をそれぞれにプレゼントしなくては、と強く心に誓う敬だった。


δ δ δ


 敬のプレゼントした化粧品類は効果覿面こうかてきめんだった。

 化粧水に留まらず、保湿クリームやUVカット剤を駆使し、時には興味を持った百貨店勤めの美容師がプライベートで訪れて化粧のイロハを教えるなどしていった成果は大きな実を結んできており、姉妹はアイドルという呼称が似合いそうな容姿に変貌を遂げていたのだ。


 荒れ放題だった肌は改善するどころかハイティーン時代並のハリツヤを取り戻し、日頃から食べているみかんに多く含まれるビタミンCやオレイン酸との相乗効果で見事な美肌を獲得するに至った。


 元来、器量の良さは地元で評判だったのが、次第に噂となって広まるといつしか市全域に名物美人姉妹の存在が知られ、取材が多く舞い込むようになった。

 恋は女を綺麗にする、とは良く言われるが、恋した相手の男が積極的に綺麗になるための支援をしたのが面白く、格好のネタとして扱われた。

 姉妹の肌は美白路線ではなく、健康的な小麦色をしているのも人気を高める要因となっていた。それは長年、太陽を浴び続けてきた姉妹の勲章でもあった。小麦色の肌に映える二人の笑顔に魅力を感じた敬にとって、それを覆い隠すのはポリシーに反する行為だったので、美容師任せの化粧品選択の中にあって唯一の指定となっていた。

 敬のために綺麗になった姉妹は皮肉なことに、いつしか敬以外の多くの男性からも注目される存在となったのだ。


 とあるタウン誌の見出しに踊った【Sunny Orange Sisters】の略称から転じた【SOS姉妹】が愛称として定着するのにそう長い時間は掛からなかった。

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