奴隷と商人の旅の記録

魚を1匹見つけたら100匹いると思え

第1話 忘却

「……そう、そこで彼女はこう言ったんだ。『お前の花……そのカンパニュラは飾りなのか? それを認めたくなければあそこから落ちてみろ』ってね」


 3分もたたずに建てたテントの中で、消えかけのランプに照らされて、楽しそうに話す商人の顔が視界に映る。

 だけど、私の気分はそれとは反比例していた。

 彼の話に興味がないからだ。


 私は奴隷。

 つい最近、そこでべらべらと話し続けている商人に買われた安物の奴隷である。

 

 そして、それを買った商人はとても不思議な人間だった。

 今まで贅沢な生活を送ったことのない私でも、理解できる高価そうな装飾が施された服。

 整った顔に、白銀の髪をなびかせた女性。 

 初めて見た時は貴族か何かかと考えたが、実際はそれとは真逆でとても貧乏で、毎日毎日腹の底から音を鳴らしながら一緒に旅をさせられている。


「そう、そして少女はどうしたと思う? 飛んだんだ。自らの勇気を示すために両手を広げて飛び降りた。けど5階ほどの高さから落ちた人間が助かるわけがない、だからその少女は……」


 ああ、なんてつまらないのだろうか。

 こんな話を聞くぐらいなら、外でも眺めていた方がましだ。


 と、考えながら私は外を見る。


 夜が近づいてきたのだろうか。

 日が全て隠れたわけではないが、それでも暗い。

 ……何故だろうか、それを見たと同時に言葉にできない違和感を感じた。


「……」


 この森の木は、葉が生えないのだろうか?

 いや、今の季節は夏なのに、緑の葉が生えていないのはおかしいがそれだけではない。

 それが何かはわからないが、違和感があるとすれば、地面に落ちた葉は一つも形が崩れていないようだ。


 もっと言えば、ずっとそこにあったかのような。


「……なんだ? 外の様子が気になるのかい?」


 商人は私に近寄る。


「ああ、ここは『抜け殻の森』と言われてるんだ。ここから見える木、空、土がまるで生きていないようだからな」


 抜け殻の森。

 そう言われてみれば確かにそうだ。

 

 雲一つないのに灰色に映る空、積み重なってはいるが一切形が崩れていない感想した葉っぱ、死んでいるのだろうか真っ白に変色している木。

 そして、私たち以外の音が聞こえないのだ。


「まあそんなこともあって動物も人間も寄り付かないんだ。だから『夜襲われるかもしれない』なんて考えているのならそれはさっさと捨てて次の日に備えよう。こんな不気味な場所にわざわざ来る泥棒なんていないだろうし、さっき話した通り明日は早いからな」


 商人はしき布団とかけ布団の間に身体を滑り込ませた。

 私ももう寝よう。

 べつに私は生きようが死のうが構わない。 

 だからこそ、ここが協会の前だろうがドブ沼の上だろうが明日に備えて寝るだけだ。


 ランプの明かりがゆっくりと消えて、残るのは静寂だけ。

 そこから頭から足の指先まで闇に包まれるのに、あまり時間は必要なかった。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ 



「――ねぇ」


「……」


「――ねぇったら」


 うるさい。


 音を立てながら横を振り返る。

 そこにいたのは気持ちよさそうに寝ている商人だ。


「ねぇこっち」


 外から声が聞こえたのだろうか。

 よく見ると、月光に照らされているのか、髪が長い人間のような影がテントの内側に映っていた。

 こんな夜中に誰だろうか。

 立ち止まることなく外へ出た。


 立っていたのは私と同じくらいの女の子だ。 


「こんばんわ」


 笑顔で私にそう告げる女の子は、髪は長めで透き通りそうなはど白いドレスを身にまとっている。

 

「ねぇ、あなた一人ぼっちなの?」


 私は首を横に振る。


「じゃあ、もう一人のお友達はどこにいるの?」


 「お友達」という言葉に引っかかるも、私は人差し指でテントを指した。

 すると女の子は、少し嬉しそうにクスクスと笑った。


「あなた、私と一緒に遊ばない?」


 私に近づき、片手をゆっくりと差し出す。

 

 ……そういえば全く眠気を感じない。

 それどころかとても頭がさえている。

 まるで昼間に走り回るほどの気分だ。


 けれど行く気にはなれない。

 明日は早く起きなければならない。

 さっさとテントに戻ろう。


「まって」


 そう言うと、女の子は私の手首を握った。


「こっちに来て」


 行くわけがない。

 私はテントへと一歩足を踏み出した。


 はずだった。


「ほら見て。わたしのお父さんが用意したんだ」


 いつの間にか私の体は女の子と同じ方向を見ていて、そして目の前には見たことのない景色が広がっていた。


 顔を白で塗り、虹色の服を着た男。

 笑いながら交差していく華やかな服を着た大人や子供。

 黒い絵具の上から重ね塗りしたかのような、虹色の光に照らされた黒い空。

 派手な装飾で彩られた、建造物の中で誰かに手を振る人々。

 大きな広場の中心には、居座るかのような主役と言わんばかりのとても大きい鐘。


 まるではるか遠くの場所へ着てしまったような、そんな気分だ。


「さあ、来て」


 けれど、何故だろう。

 手を引っ張られてもそれを離そうなんて思わない。


「人が多いね。他のところに行こうよ」


 足は止まることを知らない。

 人だかりの中を止まらず進んでゆく私は、疑問すら感じない。

 それどころか、何故かとても居心地が良い。

 雲の上を歩いているかのような、不安定だけど、それでも楽しい幸せな世界。


「ねぇ、これなんてどうかな?」


 気が付くと、目の前には馬がいた。

 けれどよくよく見ると、それは馬ではなく、馬を模した木彫りの像のようだ。


「もしかして知らないの? これはメリーゴーランドっていうの」


 メリーゴーランド……聞いたことがない建物だ。

 興味がある。


 私はゆっくりと頷く。

 馬の背中へと又借り、胴体から天井へと延びる棒を握る。

 

 背後から伸びてきた少女の手は私の胴体にゆっくりと巻き付く。


「ねぇ、私も一緒に乗っていい?」


 止めるわけがない。

 私は貴方が好きなのだから。


「ありがとう。【j:xcd]@s】」


 ゆっくりと動き出す。

 上下へと移動し始め、私達以外の風景が、私達を中心に回り始める。

 

 移り変わる景色。

 

 ああ、夢のような世界だ。


 楽しい、なんて幸せなのだろう。


 好きな人の隣にいることができるなんて。


 ここにいる私達以外が変わっていく中で、ここにいる私達だけは一緒にいよう。


 愛し合おう。

 

 だからこそ、流れに身を任せて。

 

 全てを忘れてしまうために。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ 



 少しだけ、けれど揺れている。

 

「楽しかったね、メリーゴーランド」


 座り心地の良い毛布が乗った椅子、その向かい側に女の子は座っていた。

 変な浮遊感を感じる。

 窓から見える外の景色は、木の少し高めの位置にいるということが分かった。

 ここは一体どこだろう。


「ここは観覧車。アナタ覚えてないの? 私と一緒に乗りたいって言ってたのから、私はここにいるんだよ?」


 そうだったっけ?


 いや、そうだった。

 私は気持ちを伝えるために、今この狭い空間に彼女と二人っきりでいる。


 それにしても、なんて可愛らしいんだろうか。

 吸い込まれそうな瞳、透き通った肌、身の引き締まった体。

 

「ねぇ……私に興味があるの?」


 口から心臓を吐き出しそうになる。

 図星だ。


「……じゃあ、いいよ」


 彼女は両手をゆっくりと広げる。


「私を愛して」


 鼓動が加速する。


 可愛らしい。

 愛したい。

 抱き着きたい。


 一歩足前へと進む。


 舐めまわしたい。

 味わいたい。

 とろけた声を聴きたい。


 彼女の顔を両手でゆっくり包む。


 全部、私の物にしたい。

 私の物に――。


『――れい』


 誰かの声が聞こえたような気がする。

 けれど、おそらく気のせいだろう。


『――れい』


 どこかで聞いたことがあるような気がした。

 誰の声だっただろうか。


『――奴隷』


 奴隷、聞き覚えのある単語。

 けれど私はただの村娘だ。

 なのに、この、眩暈は――。


『奴隷!』


 言葉がはっきりと聞こえたと同時に、遠くで漂っていた意識が、空になっていた私の中に帰ってきたのだと感じる。

 

「……」


 そう。

 この声は私の主人である商人のもので、奴隷とは私のことだ。


 何故こんな簡単なことに気が付かなかったんだろうか。


「そうなんだ」


 女の子は弱々しい声で、下を向いてそう呟いた。


「あなたにも、大切な人がいるんだね」


 それは違う。

 私は首を横に振る。


「……ふふっ」


 何かおかしなことを言っただろうか。

 女の子は少しだけ微笑む。


「ありがとう。……ここに来てくれて」


 そういえば、私は何故こんな場所に来たのだろう。


「みんないつか、きっと忘れてしまうからけどそれでも……自分勝手だよね。ずっと覚えていてほしいなんて。それは私のワガママだよ」


 女の子は一歩ずつ近づいてくる。

 少女の座っていた椅子に何かが置かれていることに気がついた。

 そこに置かれているのは、白い……。


「けれど、忘れるなんて悲しいことだよね。私は、他人にいるって思われて初めてここにいるって思うことができるのに……」

「私は忘れない」


 突然発した私の言葉に、彼女の体の動きは止まった。


「……ほんと?」


 私はゆっくりと頷いた。


「ほんとにほんと!?」


 震えた声と、光が歪む滲んだ眼で、けれど心の底から嬉しそうに。

 私はまた、ゆっくりと頷いた。


「ありがとう!」


 彼女は私に笑顔を見せる。

 だから私も、それをどうにかして返そうと、不慣れだが微笑んだ。

 私は、私自身今の顔を見るのができないが、とても歪なものだろう。

 けれど、これで良いと思った。


「これで、良かったんだ」


 彼女は私に手を振った。


「ありがとう」


 突然だったのだろうか。

 けれども、それが鳴ることを、私は初めから知っていたような気がする。


 それは金属が鳴り響く音。


 いや、何かが崩れる音?


 けれども足場は徐々に崩れていく。


 足場がなくなれば落ちてゆく。


 どこへと落ちてどこへと着くのか。


 それは闇とは正反対の場所へと――。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ 


「おい起きろ。朝だぞ」


 瞼を通り越してゆく強い光に、私はのけぞりながらも、時間をかけて上半身を起こす。

 目の前に立っていたのはフライパンとおたまを持った商人だった。


「昨日あれだけ早く起きろって言ったじゃないか。夜更かしでもしていたのか?」


 テントの周囲に散らばった足跡は私と商人の物だけだ。

 それが別方向に続いていくわけでもない。


「まあそんなことはどうでもいい。さっさと出発しよう」


 商人はそう言いながら、私の毛布を片付けて馬車へと乗り込む。

 私は晴れることがない疑問に夢中になりながらも、商人に続いて幌馬車の中へと入りこんだ。


 ……あれは、ただの夢だったのだろうか。

 

 座り心地の悪い幌馬車の荷台で、そんなことをボンヤリと思い浮かべた。

 幌の隙間から眺める外の景色は、相変わらず葉が生えていない白い木ばかりだ。

 

 殺風景でつまらない。

 面白味もない似たような景色が永遠と続いて――。

 

「ん、あれは観覧車か?」


 その言葉と同時に、私の息は一瞬止まる。


 白い木の中に混じる、茶色く大きい建造物。

 汚れ、色が落ち、けれどその高さ、形には見覚えがあった。

 昨日、夢の中で見たあの観覧車だ。


「もしかしたらここに住んでた貴族のかもしれないな。まああれも噂話だが、もし本当だとしたら自業自得というか……そういうものは全て巡り巡って自分に帰ってくるんだろう」


 貴族?

 自業自得?

 その話は初耳だ。


「あれ、言わなかったか? この『抜け殻の森』がこうなった。かつて数十年前の聖域戦争で使うために生み出した兵器が誤作動を起こしたからだとか」


 兵器?

 誤作動?


「もしそうだとしたら、この状況を見るに魂を別の場所へ移動させるような兵器だったのだろう。実は昔、魔女に魂を移動させらてたブリキの人形に会ったことがあってね。その元研究者は自分が移動させられる前の体のスケッチや詳細を詳しく書いて記録していたんだ」


 商人は、被っていたシルクハットを片手で傾ける。


「『死体の中にいた細菌や菌は活動することなく、全てが止まっている。まるで体の時間そのものがが止まってしまったかのようだ。白いのだ』ってね」


 白い……そうだ、あれは、不自然なほど白かった――。


「……なんてね!」


 ……は?


「あっはっは、驚いたか? さっきの噂も科学者の話も全て私の噓だ。感情を表情に出さない君でも、少しはどきっとしたんじゃないかな」


 ああ、もう全てが無駄に感じる。

 私のあの考えていた時間を返してほしい。


「もしかして私には話を作る才能があるんじゃないかな? それならばこの旅が終わった後、童話を作って出版するのもいいかもしれないな。タイトルは……そうだな『ブリキの科学者の実験記録』なんてどうだろうか」


 どうだっていいし聞く気もない。


 ガタガタという木と石がぶつかり合う音を背景に、遠ざかっていく観覧車を眺める。

 昨日の出来事は、やはり全て私の夢であり、これは正夢に似た何かなのだろう。


 ――けれど。


 さっき商人が嘘を語っていた間に、一瞬だけ見えたような気がする。

 寂しい観覧車の下で、淡い紫色の一輪の花を片手に握り、横たわった白い人形が。


 まるで誰かに、渡そうとしていたかのように。

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