第7話

 ある日、自分がただの人間から特別な人間に変わったとして、劇的に何かが変わるのは物語だからなのかもしれない。オレが手に入れた力は、とてつもなく凄いものだと思うのだが、実際、その力を使う場面は皆無だ。猫に小判、豚に真珠、持っていても意味がない。

 もう一人の力を持っている人間に関して言えば、馬鹿と鋏の諺がしっくりくる。持たせてはいけない人間に鋏を持たせている感じだ。

「それで、リスクがあるというのは、本当なのだろうか?」

 何の警戒もせず、欲望の赴くままに謎の力を使い、今更感を漂わせながら先輩は質問する。

 約束通りの帰り道の途中で、オレは溜息交じりに返す。

「寧ろ、そういうことを最初に気に掛けるのは先輩だと思っていましたよ。今の状態は明らかな“if”の中でしょう。漫画を読み込んでいる先輩なら、直ぐに警戒すると思いました。幽遊白書の霊ガンの弾数制限しかり、H×Hの念の制約と誓約しかり、鋼の錬金術師の等価交換の原則のように、何かを得るには何かを失わなければいけないって考えませんか?」

 先輩は不意を突かれたようにオレを直視し、おもむろに親指を立てた。

「今の説明は分かり易かったぞ」

 そんな返答を期待したわけではない。

「聞きたいのはリスクのことをなんですけど……。オレの説明の分かり易さなんて、どうでもいいんです」

「そうなのか? 私としては、君が私の考えに近くなったことの方が重要なのだがな。――まあ、いい。リスクのことだったな?」

「はい」

「正直、そこまで気にしなくても良いのではないかと思っている」

「どうしてですか?」

 先輩は自分の左手に目を落とす。

「本来、この力は人間に備わっていたものだと思うのだ。使っていなかったから忘れられていただけで、それがただ使えるようになっただけだろう」

「その結論に到った理由は?」

「簡単だ。ここがリアルだからだ」

 先輩の答えの意味が分からず、オレは顔を顰めた。

「私は漫画好きだが、現実と空想の見分けはついているつもりだ。漫画は漫画。現実では起きないことに魅力を感じることが出来るから楽しく、存在している漫画のほとんどが現実では実現できないことが描かれているのも分かっている。だとすれば、私達に起きたことは“if”ではないということだ。本来、備えていた力が使えるようになったというだけで、夢は忘れていた力の使い方を示してくれたに過ぎないと考えれば、答えは『ここがリアルだから』になる」

「なるほど」

「運動をすると、筋肉はズタズタに切れてしまうか? 習得する技術はいきなり身についたりするものか? 人間は、そんなに極端に出来ているものか? いいや、違う。人間は少しずつしか何かを得ることは出来ない。その過程で努力が必要になってくる」

 先輩は静かな笑みを湛えていた。

「だから、この力は使えば使うほど、当たり前になってくるはずだ。私達は特別になったわけではない。忘れていた力を使えるようになったに過ぎない」

 オレは自分が少し恥ずかしかった。先輩は適当な考えのもとに力を使っていると決め付けていた。しかし、そんなことはなかった。ちゃんと自分なりの考えを持って、力を使っていた。

「まあ、こういう理屈を思い立ったのは、君が危険性を口にしてくれたからだがな」

 前言撤回。やっぱり、適当に考えた結果、後付けで加えられたものだった。

「兎に角、私はこの力を使い続けるよ。ジャンプのために」

「ジャンプのためですか……」

「ジャンプのためだ」

「…………」

 何か、真面目に考えるのが馬鹿らしくなってきた。オレも、先輩ぐらい気軽に考えていていいのかもしれない。

「話も一段落したところで、話を変えてもいいか?」

「ええ、どうぞ」

「今日、うちにダイの大冒険を読みに来るのだろう?」

「あれ、本気だったんですか?」

「当然だ。私のコレクションを見せられると、少々胸が高鳴っている」

「そこまで期待されているとは思いませんでした」

「これでも、私は乙女だからな」

 やっぱり、この人の感性は常人と少し違うところにあるようだ。とはいえ、オレはそんな変な先輩の顔を真っ直ぐに見れないでいた。

「その笑顔は反則な気がする」

「ん?」

 そう。少々胸の高鳴っている先輩の笑顔は間違いなく可愛らしい女の子の笑顔そのものだった。楽しそうというよりも嬉しそうで、心の底から喜んでいるのが分かる。


 ――果たして、先輩はオレ以外にも、その笑顔を向ける相手が居るのだろうか?


 今のところ、先輩がオレ以外と気さくに話をしている友人を見かけたことはない。もし、その向けられる笑顔がオレだけだとしたら、特別な力を得た以上に特別な気がする。

「一体、何を考えているんだ……」

 額に手を置いて項垂れるオレを、先輩は疑問符を浮かべて覗き込んでいた。


 ――オレは、この人に対してどういう感情を抱いてしまっているのか?

 ――見たとおり、変な女の子か?

 ――それとも、特別な人だとでも思っているのか?


 今の段階では、ただ先輩のペースに引きずり回されているだけで、オレの気持ちを自分自身で分析できない。だけど、オレが先輩から意識を逸らせなくなっているのは紛れもない事実だった。

 疑問符を浮かべていた顔から一変し、先輩は不敵な笑みを浮かべている。

「フフフ……。私の部屋で美少女特有のいい匂いがするとか、期待してはダメだぞ」

「何を言ってんですか」

 考えていたことは違うことだが、どこか心を見透かされたような気分になり、オレは誤魔化すように話を変える。

「そういえば、うちのクラスの女子みたいに化粧品やシャンプーの匂いが強くありませんね?」

「ん? ああ。化粧品の類を使わず、こち亀の擬宝珠纏のように体と髪を洗うのは石鹸オンリーだ。強いて私から漂っているとしたら、ジャンプ特有の印刷のインクの臭いだろうからな」

「嫌な少女ですね……」

「冗談だよ」

 先輩は笑いながら歩いていた。

 本当に、この人は掴みどころがない。だけど、これが先輩の魅力と思えなくもない。今日、先輩の家に行ったことも、積み重なる魅力の一つになっていくのだろう。

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