第6話
謎の力を手に入れて、数日――。
オレは先輩との妙な関係を築き続けている。
相変わらず先輩の口から出る会話の内容はジャンプのことばかりで、内容が内容なだけに女子と話しているという華やかな感覚は一向に浮かんでこない。
――この人、見た目は普通の女の子なんだけどな。
先輩の黒髪は艶のある絹のように滑らかで、手足もスラリと伸びて腰の位置が高く、日本人離れしたスタイルをしている。黙っていれば美人と呼ばれる類に間違いない。
……間違いないのに、何故、インプットされている脳の情報のほとんどが漫画に支配されているのだろうか?
週刊少年誌を読んで感想を語り合うなんてことは、明らかに男子同士のものだ。ハッキリ言って、男子の理想を打ち砕くのには十分過ぎる破壊力を持っている。
「――と、そんなことを考えているのではないかと思い、今日は、私と君の力について語りたいと思う」
オレの前の席に座る男子生徒を追い出し、先輩が目の前に居た。
先輩が座っている席の彼は、もう休み時間に逃げ出すのが当たり前になっている。周りも最初の頃こそ、オレと先輩を温かく見守るような目を持っていたが、耳に入るのが少年誌の漫画の話ばかりで『ああ、コイツらただの馬鹿だ』ぐらいに思われている。
「先輩、その話をここでしてもいいんですか?」
「構わん。何故か、腫れ物でも触るように周りの人間が気を利かして近づかん」
「…………」
馬鹿だと思われる以上に、もっと酷い状態になっているようだった。
もういい。周りの目なんて、どうでもいい。何だかんだで、この会話にも慣れてきたし、先輩との会話が詰まらないということはないのだ。多分、オレも先輩同様に図太い神経をしている変な人間なのだろう。
「続きを語ってください。よくよく考えれば、オレ達の会話を聞いても、漫画の中の話だと思う人しか居ないでしょうから」
「うむ。これも日々の努力の賜物だな」
「そうなんですかね?」
「間違いない。それでだな――」
本当に動じない人だな。この人は感情的になることがあるのだろうか?
「――色々と試してみたが、これは筋力が上がるとか、パワーアップするとかではないような気がするのだ」
気を取り直し、オレも話に参加する。
「ええ、それはオレも思いました。コンクリートを握り潰していた先輩の掌が無傷だったのが気になっていたんです。いくら力が上がっても、皮膚の脆さは変わらないはずですからね」
「そうだな。ドラゴンボールのように気を纏っているわけではないのだ。それでは、あの頑丈さは説明がつかん。――とはいえ、何も分からない訳ではなく、力を発動して分かったこともある」
左手を軽く上げ、先輩は右手で自分の左腕を触る。
「何もしていない時、左腕は柔らかいままなのだが、力を使うとまるで金属にでもなったかのように硬くなる」
オレは頷く。
「そうなんです。でも、使っている側からすると、普段、足を動かすのと何ら変わらないんですよね」
「そうなのだ。そこで思い当たったのだが――」
先輩はゆっくりと右手の人差し指を立てる。
「――これはダイの大冒険のミストバーン状態なのではないだろうか?」
「…………」
先輩の例えで、オレは理解できてしまった。出来たのだが、酷く虚しい。
「結構、知らないうちに漫画って読んでるものですよね……」
「おお、知っていたか」
「久しぶりに漫画喫茶で読み返したくなりました」
先輩は、今度は親指を立てる。
「うちに来るか? メジャーどころは全巻そろっているぞ」
「女子の家に行くというイベントフラグが立ったのにときめかない……」
「まあ、私の部屋はときめくというより、ワクワクする部屋だからな」
「どんな部屋なんですか?」
「今は前面が格闘漫画、左面がギャグ漫画、右面がシリアス漫画で埋め尽くされているという夢のような部屋だ」
なんて部屋だ。
「そして、季節ごとに前、右、左の本棚のジャンルが変わる」
「一体、どこで寝てるんですか?」
「出入り口側の壁にベッドを押し付けている」
「勉強机は?」
「同じくだ」
「服とかは、どうしてんですか?」
「押入れにある。私は服より漫画が大事な女だ」
知ってます。
「でも、ジャンプだけがあればいいという割には、漫画も持っているんですね?」
先輩は右手の掌を返す。
「父の子供の頃の私物だ。読まなくなって家の倉庫で眠っていたものを、私が引っ張り出したのだ。買ったら捨てられない性分の人でな。ダンボールに綺麗に収まっていた」
「それで連載の終わった漫画の知識があったんですか」
「そんなところだ」
やっぱり、子供の頃に影響を受けるものは大きいのだろう。先輩にとっては漫画との出会いが、一瞬で世界観を変えてしまったに違いない。
少しの間だけ目を瞑った後で、先輩は口を開く。
「話を戻そう。私達の力についてだ」
「はい」
「さっきも言ったが、ミストバーンが無敵の存在だったのは時の止まった大魔王バーンの肉体に乗り移って操っていたからだ。時の止まった体は何者の攻撃も受け付けず、歳も取らない。それと同じことが起きていると考えられないか?」
「でも、原作では肉体の強さは乗り移った者の強さに影響していたはずです。先輩がコンクリートを破壊する握力を持ち合わせているとは思えませんけど?」
「そこの一点は、私も違うと思う。では、どうしてそんな無茶が利くかと予想すると、そこは夢という存在がカバーしているのでないだろうか?」
「夢?」
先輩は左腕を掲げる。
「時が止まった状態に近いというだけで、本当に時が止まったというわけではないということだ。つまり、左腕が隔絶した空間にあるだけではないかと思うのだ。そもそも、私達の力は夢と現実の狭間にあると考えられないだろうか?」
オレは腕を組んで考える。
あの力が発動した時に覆われている部分……先輩であれば左腕、オレであれば両足。それらが現実と夢の狭間で動いている。確かに、そこは誰も触れられない場所ということになる。
先輩は説明を続ける。
「この隔絶した狭間の空間というのは個人が持っている絶対空間なのだろう。力を発動した君の足に、力を発動した私の腕が触れても中和することはなかった。お互いの力は有効のままで、お互いを傷つけることは出来ない。同じ能力が発動していても、全く干渉しないのだ」
なるほど。それで個人が持つ絶対空間という言い方なのか。
「夢と現実の狭間か……。だったら、説明がつくかもしれない。夢っていうのは潜在意識が見せているとか、起きている時の情報が反映される副産物とか言われるけど、そんな小難しい理屈抜きで自身の夢の経験を語るなら、何でもありだ。制限がない」
先輩が頷く。
「そうだな。実際、思いだけしかないのが夢であり、その思ったことを現実に引っ張り出せるとしたら、何でも出来てしまうだろう」
「だけど、何でもは出来ない。そこに制限がある。オレは両足で、先輩は左腕。それがオレ達の限界ということでしょう」
先輩は椅子の上で足を組んだ。
「私は左腕一本分だけ、現実ではなく夢のルールが適応されているわけか」
「そして、その左腕一本は現実とは違う存在のため、何者にも傷つけられない……って、ことですかね」
得体の知れない謎の力だが、原因となった現象(夢)と同じように空想から生まれた漫画の理論で補完すれば理由はつけられる。もちろん、こじ付けであることは十分に理解している。
「しかし、特別な力ではあるけど、日常生活の中で使う場面はありませんよね?」
「君の力は使いようがあるのではないか? 陸上競技などで記録を塗り替えるなど、容易いことではないのか?」
「そんなものには使いませんよ。特に、もう一つの方を解決しないことには」
「もう一つの方?」
先輩は首を傾げた。
「こんな力がリスクもなく使えるとは思えないんですよ」
オレは自分の頭を指差す。
「使ってるのは頭ですよね? これ、リスクがダイレクトに脳みそなんかに返ってきたら、廃人確定です。PSYRENみたいに」
「…………」
先輩は難しい顔で頭を捻る。
「……どうしたものか」
「何がですか?」
「いや、考えなしにバンバン使っているのだ……私」
「……え? ハァァァッ!?」
オレの声に周囲の人間が振り返り、先輩は椅子の奥に体を押し込んだ。
「何で、興味もないとか言ってた人が使ってんですか!?」
「その……便利でな」
「一体、何に使ったんですか!?」
「決まっているだろう」
「あんな力に決まった使い方はないはずです!」
先輩は溜息を吐く。
「ジャンプを読むのに使うのだ」
「……ジャンプ?」
また?
「あの力を使うとな。なんと、片手でジャンプを開いて読めてしまうのだ」
「…………」
この人、あれだけの力を何に使ってんだ……。
「凄いぞ、あれは。今まで両手で持たなければ開けなかったジャンプが片手で持てるのだ。小指と親指で開いて、自動でページも捲れるしな。これは神がジャンプを読むために与えてくれた力に違いない」
随分と気前のいい神様だ。ジャンプを読むためだけに、先輩に力を授けてくれたのか。
「今まではジャンプが汚れるから読書中は飲み食い厳禁だったが、今は実に快適だ。左手でジャンプを開いて、右手はお菓子を摘まめるのだ。しかもジャンプを読み終えても、左手は疲れもしなければ腱鞘炎にもなっていない。どうだ? 便利だと思わんか?」
「だから、その力を使ったリスクが分からないうちに何をしてるんですか?」
「あれだよ、あれ」
「あれって、何ですか?」
先輩はパタパタと手を振り、いい訳めいたことを口にする。
「スーパーサイヤ人を超えたスーパーサイヤ人みたいなものだ」
「まったく分かりません」
「ベジータが言っていただろう。セル編の時に精神と時の部屋から悟空と悟飯が出て来た時、『考えやがったぜ。普段からスーパーサイヤ人の状態で体を慣らしておけば、体には負担が掛からない』と」
「ああ、言ってましたね……」
「それだ。私も普段から力を使って、体に慣らしているのだ」
「一体、何のために?」
「何か起きた時のために」
「…………」
実に抽象的で曖昧な答えだ。間違いなく適当に言っているだろう。
「まあ、そんなに気にすることもあるまい。実際、十二時間ほど継続して使っても、何ら身体に影響はなかったのだ」
この人、あんな得体の知れないものをいきなり十二時間もぶっ続けで使ったのか。
「兎に角、君の言い分も分かった。帰宅時の帰り道で、そのことについて語り合おう」
先輩は席を立つと時計を見る。
「頃合だな。そろそろ次の授業が始まる。では、また」
そのまま自分の席へと戻って行った先輩を見ながら、オレは机の上に突っ伏した。
「あの人、どういう神経してるんだ? 全てのことが漫画優先で動いてるよ……」
今、オレの人生は最大の曲がり角か、落差のある滝を落下しているのではないだろうか。特別な力が手に入ったからではなく、特別に変な少女に出会ったために。
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