第5話

 昨日出会って、今日のお昼休みの時間を散々とジャンプについて話し倒した先輩という女子が、今一、オレには分からなかった。話し方も何処か偉そうで妙だ。家庭特有の問題か、本人がキャラ設定でもしているのか、よく分からない。

 そして、そんな先輩を知る一面が、本日の最後の授業である現代社会の授業で垣間見えた。

「では、現代で一番大事なのは何でしょうか? 今日、初めての出席ですね。お願いします」

 クラスの視線が集まる中で、先輩は腕組みして仁王立ちの姿勢で席を立ち、堂々と言い切った。

「運だ」

「は?」

 それは社会の仕組みでも、愛や正義などの思想とも違う。人の力では、どうしようもないものだった。

 呆然とする現代社会の教師を余所に、先輩は淡々と話し始める。

「第一に運。次に体のスペック。そして、最後が環境だろう。運というのは密接に全てに関わってくるものだ」

 些かのブレも見せず、先輩は続ける。

「この世は、差別で出来ている。人が平等などというのは、まやかしだ。生まれてくる時に、運により高性能な身体機能を持った体に魂が宿るかどうかが人生第一の運試しだろう」

 先輩は右手の指を立てる。

「人間には個体差というものがある。体の強い運動能力の高い者、学力に秀でた頭のいい者、両者を兼ね備えた者。逆に体の弱い運動能力の低い者、学力の低い頭の悪い者など、これらは個人の努力で何とかなるものではなく、与えられた体のスペックによるところが大きい。そして、次に環境だが、如何に恵まれた体を持っていようと、そのポテンシャルを発揮できる環境が揃っていなければ発揮できる能力も発揮できない。例えば、家族関係だ。父親が酒乱で家族崩壊を起こしている家庭で努力を重ねても、両親が足枷になり能力を最大限に発揮できない。その他にも貧富の差というのが大きな意味を持つが、この貧富の差というは、実に顕著に表われる」

 先輩は溜息混じりに、腰に手を当てる。

「これだけ差別が溢れているというのに時間の流れだけは平等だ。時間を有効に使えるかどうかも、貧富に依存するのだ。生まれた時に豊かな者は全てが揃っていて、望めば手に入る。だが、持たざる者は同じものを手に入れるまでに遠回りをしなければ手に入れられない。そうだな――」

 顎の下に右手を持っていき、先輩は軽く頷く。

「――例えば、必要な本を手に入れようとする。豊かな者は買って手元に置いて知識を得られるが、持たざる者は図書館まで借りに行き、期限付きでしか読むことが出来ない。そのあと、返しに行かねばならないし、必要なら同じように借りて返してを繰り返すことになる。故に、時間の流れは平等だから、有効に使える時間にも差が生まれることになる」

 両腕を組んで、先輩は言い切る。

「よって、全てにおいて優先されるのは運だ」

 オレは額に手を置いて項垂れる。

 夢も希望もない……。

「で、では、貴方は、どう生きていくつもりなのですか?」

 現代社会の教師の質問に、先輩はノンタイムで切り返す。

「正直、諦めている。出来ることには限界があるし、努力を続けてもなるようにしかならん。私は、ある程度生きて自分が運に恵まれているかを確かめたら、条件次第で死んでもいいと思っている」

 言いたいことを言い切った先輩が静かに着席すると、現代社会の教師は暫らく呆然としていた。そして、我に返ると『独創的な考えでしたね……』と誤魔化して授業を進めた。

 今後、現代社会の教師は、先輩を指さないだろうとクラスの全員が思ったに違いない。


 …


 益々、正体の分からなくなった留年生の少女。この世の理を運の一言で切り捨て、自論を延々と展開し、ある程度の見極めをして人生がくだらなければ死んでもいいと言ってしまう。

 この少女は、一体、何を考えているのか?

「本気で言ってたんですか?」

 一緒の帰宅を誘われたオレは、先輩に授業中の先輩の回答について聞く。

「そう思わぬか?」

 それに対し、先輩は平然と言ってのける。

「まあ、極論を突き詰めりゃ、そうでしょうけど……。この国のシステムが腐っているのは、高々十五年しか生きてないオレでも分かりますから。結局、最初に仕組みを作った奴が、都合のいいようになるように出来ているんです」

「だろう? 私達ですら、差別があると分かる。だから、平気で恵まれた者は綺麗な言葉を吐き、平等だと言いたがる。ニュースで『何で、自殺なんてするのでしょう?』というアナウンサーの言葉ほど残酷なものはない。それは奴らが恵まれた場所に居るから言える、運に恵まれた何も見てない者の言葉だからだ」

先輩は大げさに両手を広げる。

「この世には差別もなく、努力すれば何とでもなると潜在意識で思っているのだろう。つまり、自分と同じ場所に居られないのは、自分と同じ努力をしなかったからだと思っているに違いあるまい」

「まあ、そこまで思っている人間も居るし、思っていない人も居るでしょうけどね。一概に悪いとも決められない。自分がやってきたことに誇りを持てなきゃ、自信も意欲も湧かない」

「なるほど」

「先輩は、そんな風に見極めてしまって、何を糧に生きるんですか? 本当に死ぬんですか?」

 先輩は視線を前に向け、姿勢正しく歩く。

「さっき、ああは言ったが、私は自ら死ぬということはしないだろう。毎週ジャンプさえ読めればいいのだから」

「……は?」

 先輩は少しだけ視線をオレに向けると、直ぐに前に戻す。

「これも運なのだがな。私の幸福を得られる基準は低い。毎週ジャンプが読めれば、生きていけるぐらいなのだ」

 オレは頬をチョコチョコと掻く。

「ジャンプが生きる糧なんですか?」

「今のところはな。ジャンプを読めるというだけで、私の生に対する欲求は満たされている。体のスペックで言えば平均ぐらいだろうし、家庭環境も安定している。他に望むものはない」

「そんなもんですか」

「そんなものだ。無論、働かずに金が入り、自分のために使える時間が増えれば、何かをするのもいいだろうがな」

 本当に掴みどころのない人だな。

「何か、先輩には興味が尽きませんね」

「ん?」

「オレの周りにも、テレビの中にも、そういうことを言う人は居ませんから」

 先輩は目を細くして、満更でもない顔で笑う。

「ほほう……。つまり、君は私に惹かれているということだな?」

「そうなのかもしれませんね」

 薄い胸を張って、先輩は右手を胸に当てる。

「ふむ……期待には応えねばな。次の議題を提供せよ。私が素晴らしい独自解釈で、君の暇を潰してやろう」

 この人、本当に興味が尽きないな。

 オレは『先輩なら、どう答えるか?』が気になる質問を考える、

「そうですねぇ……。ただ聞くのもアレだし、先輩の好みにも関わる質問にします」

「いい心配りだ」

「先輩は、表現の自由について、どう思います? 先輩の得意な漫画を中心に考えて構いませんよ」

 ちなみに表現の自由というのはニュースか何かで今朝インプットされた言葉で、あまり意味はない。人生は運で決まると言い切る先輩が、周りの価値観については、どう考えているかを聞いてみたかったのだ。

 現代社会の教師に返した時と同様に、先輩はノンタイムで質問に対して答える。

「では、漫画について答えさせて貰おう。可能な限り自由な方が良いと思っている。結局、私達が見て楽しいと思うのは、実際では有り得ないことや出来ないことが多いからな。その表現に規制を掛けて、その中で楽しめというのは表現を狭めるだけだと思うよ」

「でも、表現の中には過剰な暴力表現などは控えるべきだという指摘もありますけど?」

「そこが、おかしいのだ。過剰な暴力表現というように、過剰であることを認識しているのだ。つまり、その過剰という表現を好む者も居て、楽しめる者も居るということだ。それの何処が悪い?」

「モラルの低下に繋がりませんか?」

「何故だ?」

「真似したりする人間も出てくるんじゃないですか?」

「何故だ? 過剰な暴力表現というように『過剰』と分かっているのだろう? 何故、真似をする? 例えば、過剰な暴力表現の漫画が大売れしたとする。売れたのは需要があったからだろう? 過剰な暴力表現のものを見たいからだ」

「確かに……」

「ドラゴンボールやワンピースなど、バトルもので規制は掛かっていまい」

「世間一般では、そうですね。再放送も頻繁に行なわれていますし」

「だろう? 時代劇の殺陣、推理ドラマの殺人、どれも過剰な暴力表現だ。私が思うに『これはいい』『これはダメ』という切り分けは意味がないのだ。そんなものより、過剰な暴力を他人にしてはいけないと教育し、学ばせる方が重要だと思うぞ。今の時代、いくら規制しようがパソコンでネットに繋げば、どんな情報も取り出せる。一つ一つサイトをチェックして規制を掛けるか? 出来るならやってみるがいい」

「出来ませんね」

「そうであろう。まず、そういう教育を徹底したという努力の後で、対応しきれないものに対して規制を入れなくては意味がない。昨今の規制は、そういう努力をするのが面倒くさいから規制してしまおうとしているとしか思えないものが多い。――まあ、今のは少々皮肉を込めたが、私も極度の暴力表現は避けるべきだと思っているよ。読んでいて引くぐらいのものはな」

 先輩は静かに笑い、話を締めに入るかと思った直後、唇の端を歪めた。

「本当の規制の敵は他に居るからな……」

「は? 一体、何を――」

「児童ポルノ禁止法案だ」

「…………」

 何か、まだ続きがあるらしい。

「それが表現の自由と、一体、何の関係が?」

 先輩は眉間に皺を寄せて、右手の人差し指を立てる。

「昨今、当たり前のように萌えというのが頻繁に使われるようになったであろう?」

「ええ、使われるようになって、随分、経ちますね」

「あそこの中にも児童ポルノに関わるものがあるのではと、私は心配しているのだ」

「そんなものありますか?」

 先輩は頷く。

「ある。児童ポルノ禁止法は十八歳未満の児童が対象になる。つまり、ラッキースケベなどの類は、ほとんどが封印される可能性がある」

「じゅ――あれって、そんな上の年齢まで対象何ですか?」

「そうだ。児童なんて付いているから小学生ぐらいまでが対象かと思うが、そうではない。ニセコイなんかも対象になるかもしれないということだ」

「あんなの今の時代、定番の話じゃないですか……」

「そうだ。しかも、この法案の恐ろしいのは“見た目”も含まれるということだ」

「見た目?」

「そんな曖昧なものが含まれているのだ。これは、今の漫画に描かれている女キャラクターの大半を占める。例え、設定が十八歳以上でもだ」

「十八歳以上でも?」

 先輩は深刻そうな顔で話し出す。

「昨今の女性キャラクターのほとんどの目が大きく描かれている。そして、この手のキャラクターが児童ポルノ禁止法案の規制に引っ掛かるかもしれないということだ」

 どういうことなのか、今一、オレには分からない。

「一昔前なら、目の大きい女性キャラクターは変なステッキを持った魔法少女や少女漫画の分野だったが、少年誌の漫画が劇画調のものから今のような二次元ならではのキャラクターが広く採用されるようになったあたりから、男性誌もこの分野に入り込んできた」

 オレは顎に手を当て、昔の漫画と今の漫画を想像して比べる。

「そういえば、多くなりましたね。男の漫画家でも可愛らしいヒロインを描く作家」

「だろう? だが、これは戦略なのだ」

「戦略?」

「うむ。この目が大きいというのは、生物全般で可愛いと捉えるものらしい。動物の赤ちゃんも人間の赤ちゃんも、ほとんどの動物の目が大きく、これを親(大人)は可愛いと捉えるように本能に設定されているのだ」

「知りませんでした」

「人間ではないのに子犬を見て可愛いと思うのは、こういう本能が働いているからだと言われている。君にも経験があるのではないか?」

「確かにあります」

 先輩は頷く。

「話を漫画に戻すが、漫画絵の女の子は目が大きいという特徴は『幼い子を可愛いと思う』本能に訴えかける条件を満たしていると思わないか?」

「言われてみれば……」

「更に男からすれば異性で人間という要素が加わり、+αされて本能が働いてしまうことになる。似通った特徴の女キャラが大半を占めているのは、こういう理由なのではないかと思われる。鳥山明の『へたっぴまんがマンガ教室R』では、子供の書き方の説明で頭を大きくして目を大きくすると書いてあったしな」

「つまり、漫画家の人は意図して子供の特徴を残したキャラクターを描いているのではなく、人間の本能に訴えたキャラクター作っていく過程でああなっていったということですか?」

「そう思っている。結局、可愛く女性キャラクターを描こうとアイデアを引っ張ってくるのは、ここだからな」

 先輩は自分の頭を指した。

「だから、この法案が徹底されると、目が大きい女性キャラクターは自然と見た目が子供ということになり、見た目が十八歳未満ということに繋がる。そして、設定や作画に規制が入ることになっていくだろう」

 何となく分かってきたが……。

「えっと……。要するに規制が入ると、何が起きるんですか?」

 暫く目を閉じたあと、先輩は静かに口を開く。

「まず、ちょいエロが入るような漫画の女性キャラクターは全員十八歳以上だな」

「…………」

「それでも無理に十八歳以上の設定を入れたと仮定する。だが、見た目も十八歳以上にしないといけないので眼の大きいキャラクターの目が細い流し目風にデフォルメされるだろう」

「…………」

 何か、想像したくない。

少年誌に十八歳以上のキャラクター出しても、少年が感情移入できるとは思えない……。

「つまり……つまり……」

 暫く言い淀んでから、先輩は口を開いた。

「つまり……規制が入るとニセコイのキャラクターが北斗の拳のユリアみたいになったり、ジョジョのジョリーンみたいな目に……なる」

 オレは項垂れた。

「……絶対売れないでしょう」

「風でスカートが捲れてOKなのも十八歳以上のキャラクター……。ラブコメも十八歳以上のキャラクター……。少年誌からヒロインが消え、男キャラだけの本当の少年誌へ……なんてことになるかもしれない」

 よく分からないが、女の先輩にとっても大問題らしい。

「そして、世間一般は別の方向を模索して『月刊ロリババア』創刊へ……」

 頭がショートしたのか、先輩の思考が明後日の方向に向かい始めた。

「創刊号の一ページ目には『この本のキャラクターは全員十八歳以上です』と始まり――」

 何処のエロゲーだ。

「――一見すると女子高生の話だが、その実態は全員留年して十八歳以上という裏設定が……」

「全員馬鹿だったり、病弱設定で留年ですか? 物語にもの凄い制限が生まれますね」

「更に全員ロリババアがヒロインの格闘ものだったり、全員ロリババアのギャグものだったりで『月刊ロリババア』の作品群は埋め尽くされる」

「誰が喜ぶ雑誌なんですか、それ?」

 先輩は目を座らせて指を立てる。

「そういうわけで、児童ポルノ禁止法案は断固反対だ。私は、今まで通りの規制されていないジャンプを読みたい。故にジャンプ編集者と児童ポルノ禁止法案と戦っていく所存だ」

「何か、死活問題ですね……」

「当然だ。私の唯一の楽しみなのだからな」

 そういえば、この人はジャンプが生きる糧だって言ってたっけ……。

ん? ということは、ジャンプに規制が入ったら、先輩は自殺してこの世から人一人がいなくなるのか?

 そんなことを思って先輩を見たら、当の先輩は両手を軽く上げて軽い口調で続きを語る。

「まあ、今のは私が勝手に想像した最悪展開で、実際のところ、何も起きないだろうがな」

「……じゃあ、今のは何なんですか?」

 表情が一変し、先輩は笑顔で答える。

「表現の自由というテーマだったので、少しお茶目なところ見せたまでだ」

 ワザとか……。

「大体、法案が通っても業界自体は無視するだろうし、規制を掛けた方も規制を掛けたことで満足して取り締まらなくなるのが、この国の今までのパターンだと思わないか?」

「違います……と言えないのが、何処か空しい」

 腐敗した政治、万歳。大丈夫なのか、この国?

 先輩は腰に右手を当て、左手の掌を返す。

「これだけでは、ただ暴走しただけなようで収まりが悪いな。君も満足しないだろう?」

 ただの暇つぶしにしては、結構なボリュームな気がするのだが……。

「このテーマで、まだ話せるんですか?」

「なに、ちょっとした軽いネタを思い付いただけだ」

「ネタ?」

「ああ、今思いついた。ジャンプに銀さんとアグネスが戦うというものが載ったらというネタだ」

 オレは思いっきり吹いた。

「それ、ダメでしょう! アグネスなんかと戦わせたら、作者さんが消されますよ!」

「な~に、我らが空知先生は宣戦布告済みだ。紙面だけでなく、アニメでも大々的に言ってのけている。『何、アグネスに喧嘩売ってんのーッ!? この子ーッ!?』と」

「その時点で、イエローカードじゃないですか!」

 先輩は右手の親指を立てる。

「大丈夫だ。4ファール貰った魚住みたいにギリギリのところの線引きは済んでいる。無茶はしても無理はしない」

「無茶と無理って、意味違うんですっけ……」

 オレの指摘を無視して、先輩は話を続ける。

「それでだな。私の考えたネタというのはモリマンvs山崎みたいなヤツだ。アグネスvs銀さん」

「想像も出来ない……。そして、本当に思い付いたことを話す気なんだ……」

 思うがままに語る先輩の話を聞いて、オレの頭では、こち亀の両さんとボルボが『鬼ヶ島に桃太郎が攻め込んだとしたら?』というテーマを語っていたエピソードが過っていた。

 今の先輩は、その時の両さんとボルボのテンションに近い気がする。

「チャンピオンとして待ち受けるアグネスのリングに、アニメ銀魂のテーマソングで銀さんが入場するのだ」

「銀さん、やられる山崎のポジションじゃないですか……」

「まず、デモンストレーションでアグネスのグラビアを真っ二つに引き裂く」

「空知先生、業界から本当に消されますよ?」

「そして、1ラウンド目の熱々あんかけ対決が始まる」

「最後の種目を一番最初に持ってくるんですか」

「休憩時間の外国人は以前の万屋の謎の外国人で『アグネス怖いよ!』を連呼し、3ラウンド、4ラウンドと進むに連れてセコンドが変わっていくのだ。最終的にはさっちゃんにセクハラされながら、ドリンクの補給で妙さんの料理が振舞われる」

「銀さんが死ぬ未来しか見えない……」

 先輩はチッチッチッ!と指を振る。

「何だかんだあるが、銀さんなら『どうせ、下の機能が使えなくなった奴らが、オレらに嫉妬こいて勝手な法案作ったんだろう』みたいな罵倒から始まって、『だけどよ。お前らは分かってるはずだ』と続いて、何となくいい話でアグネスを説得して終わるのだ」

 オレは激しく項垂れて突っ込んでおく。

「先輩の話の流れからすると完全なギャグパートのものなんで、銀さんが相手を説得しないでオチつけて終わるパターンだと思うんですけど……」

「む? それはダメだな。では、なしの方向で」

 この人には触れてはいけない変なスイッチがあるようだ。今度から興味本位で話を振らないように気を付けよう。



 表現の自由というテーマから逸れた妙な話が終わり、先輩が覗くように首を傾けてオレに話し掛ける。

「ところで。君と話をしようと思ったのは、帰りの暇つぶしが目的ではないのだ。例の力について話したいと思ってのことだ」

「良かったです。昨日のことなど、すっかり忘れて、このまま延々と漫画に纏わる話を展開するのかと思っていました」

「君は、私を何だと思っているのだ?」

「会話の量だけで判断するなら、漫画のことしか考えていないと思います」

 先輩はフッと息を吐き出す。

「否定はすまい」

 しないのか。

「それは置いといて、本題に入ろう。この力……扱えるようになっておきたい」

 先輩は力の宿っている左手を軽く上げた。

「ジャンプ以外に、先輩が始めて欲したからですか?」

「いや、別にあってもなくても構わん」

 オレは首を傾げる。

「じゃあ、何で?」

 力の宿る自分の左手を見ながら、先輩は答える。

「ふむ。この力のせいで、一年も無駄に過ごしてしまったからな。それに見合う成果は欲しいのだ。何もないで終わるのは勿体ない。例え、覚えたあと、一生使わないとしてもだ」

「使う気ないんですか?」

「今のところ、ジャンプを読むのに有効活用できる方法が思いつかん。ジャンプを読んで、腹でも膨れる能力なら重宝するのだがな」

「…………」

 先輩は、一回ジャンプから離れようか。

「まあ、そんな感じで日常的に使えるぐらいには仕上げておきたい」

 先輩の左手を見ながら、オレは話を続ける。

「先輩は、もう扱えているんじゃないですか?」

「完全に……とは、ほど遠いな」

 左手を閉じたり開いたりした後で、先輩は左手を握り込む。

「使用するまでに時間が掛かるのだ。それでは使いこなしているとは言えない」

「そうなんですか?」

「そうだ。そこで、君と一緒に練習しようと思った次第だ」

「オレと?」

 先輩は腰に左手を置いて足を止めた。

「昨日も言ったように、アプローチとしては君が正しいと思う。私が無理やりに力の発動をしていた間、君は夢の中でとはいえ、練習を続けていた。君の力が発動したら、私と君とでは差が出るはずだ。故に、君から私にコツなどをアドバイスして欲しい」

 オレは頬を指で掻く。

「オレ、発動すらしていないんですけど……」

「何、きっと直ぐに出来るさ。昨日と今日では大きく違うからな」

「は?」

 先輩は振り向き、行き先を指差す。

「昨日と同じ河川敷へ行こう」

「まだ日が高いですよ?」

「大丈夫だ。あそこは人通りがほとんどないのを知っている。実際、君に会うまで、私は誰にも声を掛けられていない」

「そういうことですか。そういうことなら」

「うむ」

 先輩は河川敷へと向かい、先に歩き出す。

「さて、目的地に着くまで、キン肉マンの話をするか」

「オレ、もうお腹一杯です」

「だらしのない奴だな。ならば、私のキン肉マン談義を聞いているがいい」

 その後、先輩はキン肉マンがギャグ漫画だけだった初期の頃から語り始めた。


 …


 本当に河川敷に着くまでキン肉マンの話をし続けた先輩は、悪魔将軍の話で終わったことを不完全燃焼ぎみだと嘆き、キン肉マンの話をやめた。

 光沢のある髪を靡かせ、先輩が腕を組む。

「さあ、始めようか。まず君からやってくれ」

「……昨日と今日で変わりなんてないと思いますけど」

 失敗を前提に言い訳をしてから、オレは例の夢の再現を始める。頭の頂点に力を入れつつ、リラックスして夢との堺をなくすような矛盾したイメージを強く意識する。

「あれ?」

 足元を見ると確かに先輩の言った通り、昨日と今日で何かが違う。昨日はなかった、両足を覆うような不思議な感覚が今日はある。

「まさか……」

 再度集中し、矛盾を強く意識した瞬間、オレの両足は確実に何かに包まれた。感覚で言えば、締め付けないピッタリとしたズボンを履いたような感じだ。

「初めてだから、軽く試してみるといい。君の力は『走って飛ぶ』と言っていたから、私の力と違って危険そうだ」

「そうします。――じゃあ、軽く蹴ってみます」

 その状態のまま、地面を軽くつま先で蹴り上げた。たったそれだけで、オレの体は地面から30センチ近くも浮き上がった。

「……嘘だろう? 本当に出来た」

 先輩は腕を組んで頷く。

「やはりな」

「やはり?」

 地面に着地すると、集中を解いて謎の力を解く。

「君の力の発動を邪魔していたのは、出来ないかもしれないという思い込みだ。私が実際に見せたことで、『出来ないかもしれない』が『出来る』という確信に変わったのだ」

「思い込み……それだけで?」

 先輩は頷く。

「それは、とても重要な要素だよ。――まあ、私の方が長く試しているから分かるのだがな。夢と現実の境界を取り払うというのは、普通の神経では出来ないのだ。特に頭が正常に働いている時は、どうしても常識が邪魔をする。だから、私は強引に常識を蚊帳の外に追い出す行動――五日間寝ないという方法を取ったのだ」

 オレは自分を指差す。

「じゃあ、オレが力を発動できたのは、現実に『出来る』という本物を見たから?」

「ああ。君の頭には『力を発動できる』という事実が刻まれたことになる。心のどこかで疑っていた小さな猜疑心もなくなったわけだ」

 つまり、夢の中の力の発動を最後まで邪魔していたのは、オレ自身だったということか。

 先輩は腰に両手を添えて気合いの入った顔になる。

「では、お互い力を発動してみようではないか」

「はい。一度できてしまえば、あとは何とでもなるような気がします」

「調子のいい奴だ。だが、初めての発動は、君の方が遥かにスムーズだった。練習量からすれば、仕方のないことかもしれん」

 先輩は意識を集中し始めた。

「君の力の発動のイメージをできるだけ言葉にしてくれ」

「分かりました」

 それからオレと先輩は力の使い方の練習を始め、感覚の情報の交換により、その日のうちにほぼ使い方を覚えてしまった。

 そして、この日を堺に、オレ達はあの夢を見ないようになった。

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