第4話

 次の日――。

 学校に到着した時、オレが予想通りのことが起きていた。クラス替え初日から姿を現さない女生徒――留年生。その席に目を向けると、昨日の彼女が座っていた。

「やっぱり……居た」

「おはよう」

 さも当たり前のように挨拶を交わした彼女だが、その一言でオレの周りは異様な空間に包まれた。当然だ。このクラスに入ってから誰も見たことのないクラスメートが、挨拶をしてきたのだから。

「おはようございます……」

「どうした? 覇気がないな?」

「周りの目が、ちょっと……」

 先輩は周りを見回して納得する。

「そういうことか。昨日の夜に一目惚れでもしたのかと思ったぞ」

「いや、オレもあんなクマのある女の子に、いきなり恋するほどイカれてませんよ」

 先輩のグーが、鳩尾にクリーンヒットした。

「……何すんですか?」

 呻きながら質問したオレに、不機嫌顔で先輩は言う。

「女の子に向かって、なんて言い草だ」

「……じゃあ、聞きますけど、美少年が深夜にクマ作って口説いてきたら、どうします?」

 先輩は顎に手を当てて暫し考え、ポツリと呟く。

「……引く」

「同じじゃないですか……」

「しかし、だな。素直に言葉に出すか? もう少しオブラートに包まんか?」

「先輩相手に遠慮して、どうすんですか?」

「もう一回、ぶっ飛ばすか?」

「じゃあ、何て言って欲しかったんですか?」

 先輩はフッと息を吐き出し、ニヒルな顔で答える。

「嘘でもいいから『惚れた』と言え」

「……惚れました」

「そうか? 本気か?」

「嘘に決まってるでしょう」

「空気を読まん奴だな」

 オレは溜息を吐く。

「いい加減、話を進めていいですか?」

「いいだろう」

「偉そうですね?」

「年上だからな」

 昨日との印象の違いに、オレは再び溜息を吐く。

「クマ取れましたね?」

「あれは、血行が良くなれば治るものだ。寝て栄養を取ればいいだけだ」

「そうなんですか」

「…………」

 話を進めてみたものの、情報の少ない者同士に特に話す内容もなく、話の一つ目でネタが尽きてしまった。

「話……終わりです。じゃあ」

 無理に話を続ける必要もないのでその場を去ろうとすると、オレの肩を先輩が掴んでいた。「ちょっと、待て」

 まだ何か用があるのか?

「確か、今日は給食のない日だったな?」

「そうですよ。よく分かんないですけど、弁当持参の日です」

「その時、話さないか?」

「……構いませんけど」

「うむ。では、後ほど」

 そう言うと、先輩は静かに席に座り直した。

 オレが先輩の側を離れると直ぐ、クラスメートの女子数名が先輩の席に駆け寄った。オレとの会話が切っ掛けになったようである。

「これで少しは欠席していた溝が埋まったかな?」

 少しだけ足を止めたあと、オレは自分の席へと向かった。


 …


 退屈なホームルームに、退屈な授業。一流大学を目指すわけでもないオレは、中学を卒業したあと、近くの高校を卒業し、何処でもいいから大学に入り、就職するために大学卒業の肩書きが欲しい程度にしか思っていない。

 故に中間試験、期末試験で平均点よりも低い点を取らない程度の点数を確保できれば、それで構わない。進学校でもないこの学校は、試験前に教師がテストに出るポイントをご丁寧に解説してくれる。日々の授業はおまけでしかない。

 そして、昼休み……。

「親睦を深めに来てやったぞ」

「女子同士で食べればいいのに」

 オレの前には、クラスメートと席を交換した笑顔の先輩が座っていた。

「そう言うな。私の見立てでは、君とは話が合いそうなのだ」

「何を根拠に言ってんですか?」

「昨日からの会話だ」

「あれだけで分かるものがあるんですか?」

「私の勘が囁いている」

 この人は、一体、どういう見極める力を持っているのだろうか?

 先輩は前の席を向かい合わせにして座ると弁当の蓋を開け、手を合わせて『いただきます』と言って食べ始める。

「それでな。少し君を試したいのだ」

「はあ……」

「何、ただの問答だ」

「まあ、食事中の会話ですし、付き合いますよ」

 オレも弁当を取り出し、蓋を開けて箸を取る。

「いい心掛けだ。では、質問だ」

「どうぞ」

「北斗の拳で印象に残っているシーンは、何処だ?」

「……は?」

「北斗の拳だ。知らないのか?」

「…………」

 思わず箸を持ってない左手で、額を押さえてしまう。

「何か、女の子から質問されるとは思えない単語が出て来た……」

「いいから、早く答えたまえ」

 てっきり、昨日の話の続きでも話すのかと思ってたけど、何で、北斗の拳なんだ?

 この人、昨日のオレとの会話で、何を見極めて話が合うって思ったんだ?

 エスパーか、何かなのか?

「…………」

 とはいえ、この妙な沈黙に耐え切れず、オレは答えることにした。今の質問がギャグで聞いているのか、本気で聞いているのか、まったく判断できない。

「……少し変なところなんですが、オレ、あの漫画の雑魚キャラの行動が好きなんですよ」

「ん?」

 箸を咥えたまま、先輩はオレの話に耳を傾けている。

「なんて言うのかな? 確かにケンシロウが北斗神拳で痛快に倒すのもいいんですけど、作者が雑魚キャラにも手抜きしないで書き込んで、表情とか着ているものとか行動とかにも個性があるからこそ、やられるシーンに花が出来ると思うんですよ。だから、裏の主人公は纏めてモヒカンだったり、頭の悪さを表現してる敵キャラだと思うんですよね」

 先輩は腕を組むと、ニヤリと笑う。

「いい着眼点だ。私のベスト描写は『水だぁッ!』みたいなことを言って、モヒカンがポリタンクから水を浴びているところだ。あの表情はいいものだと思う」

「それって、一番最初の方のシーンじゃないですか? モヒカンが車を運転している家族を襲ったあと、『金なんて、ケツを拭く紙にもならねーぜ!』みたいなことを言ってるところ」

 先輩は顔を輝かせて身を乗り出す。

「その通りだ! よく分かったな!」

「褒められても、全然嬉しくない。しかも、お気に入りがモヒカンって……」

 先輩は椅子に体重を預け、足を組み直す。

「私の見立てに間違いはないようだな。君は、ジャンプ作品について詳しいだろう?」

「それなりにですよ」

 先輩は唇の端を吊り上げ、満足げに笑みを浮かべる。

「これで休み時間は話題に事欠くことはなさそうだ」

「休み時間中、話し倒すつもりなんですか……」

「良い案だろう?」

「イカれているとしか思えん」

 先輩のグーが、オレに炸裂した。

「それ以上の暴言は許さん」

「許しを請う前に、何か握られたものが飛んできたんですが……」

「そんなことは、どうでもいい!」

 どうでもよくない。しかも、Gガンダムのシュバルツ・ブルーダーみたいな強引な運びで、話を一刀両断するなんて……。

 そんなオレの心の声など無視して、先輩は話を続ける。

「ところで。君は、今のジャンプに何が足りないと思う?」

「藪から棒に何なんですか?」

「私は四コマが足りないと思う」

「聞いてます?」

 先輩は箸を握って、既に会話するための臨戦態勢に入っている。もう、諦めて合わせるしかない。

「子供の頃、新聞を読むと記事よりも四コマ漫画を探したことがあっただろう?」

「まあ、そんな恥ずかしい時期もありましたね」

「内容も、さして面白いものでもない」

「まあ、確かに」

「では、あれは何のために存在すると思う?」

「知りませんよ」

 先輩は紙パックのジュースにストローを差し込むと、一口分だけ飲んで話を続ける。

「私は、話の繋ぎ目を入れることによって、感覚をリセットする役割のためだと思っている」

「感覚のリセット?」

「そうだ。今、弁当を食べているだろう? これも同じだ。栄養摂取の補給の話をなしにして、食べるという楽しみに着目した時、全て白のご飯だけでは成立しない。おかずがあるから、ご飯も引き立つし、ご飯があるからおかずも引き立つのだ。濃い味付けのおかずが二品続いた時、一品目の間にご飯を挟むことで一品目のおかずの味をリセットして、次のおかずを純粋に楽しむことが出来る」

「まあ、そういう食べ方もありです」

「同じようにジャンプの話でバトルものが二話続く間に四コマを挟み、感覚を一回リセットするのだ。四コマは起承転結で纏める一番短いストーリー構成であり、脳は物語が終わったと理解してリセットされ、新鮮な気持ちで次の話を読むことが出来る」

「四コマじゃないですけど、間に広告とか宣伝が入っていますけど?」

「私は読まん」

「そりゃ、先輩の都合でしょう?」

 先輩は溜息を吐く。

「仕方のない奴だな。そんなもので、感覚はリセット出来ん。ジャンプを開いた時に、既に漫画を読むモードなのだ。漫画以外を読んで、どうする?」

「じゃあ、広告や宣伝は何の意味を持つんですか?」

「あれは読み終わった後に余韻を残しながら二度読み三度読みの時に見るものだ。ジャンプを読み終え、話が頭の中を駆け巡りながら、アニメやキャラクターグッズの確認をする。購買意欲も出ようというものだ。――おっと、そこで忘れてはいけないのは最後のページの作者の一言コメントだ。作者と読者の壁が縮まり、ちょっとしたことに親近感を感じるようになる」

「あんた、いい読者だよ……」

「褒めるな」

「照れないでください」

 ジャンプに心酔する先輩を見て、オレは『漫画を作った側も報われるな』と思った。そして、先輩の話のせいで余計なことが気になり出した。

「で、四コマの話なんですけど」

「何だ?」

「あれって、ネタを出し続けるのが大変だって聞きますよ? ジャンプで長く持ちますかね?」

「可能だ」

「何故、編集者でもない先輩が言い切れるんですか?」

「簡単だ。ジャンプには歴史があるからだ。ジャンプの通ってきた歴史というのは長いものだ。各漫画を四コマで紹介するだけでも膨大な時間を要する。過去作品と現在の作品で四コマを作り、歴史を再現するだけでいい。そして、四コマを読むことで新しい読者はジャンプの歴史と過去にあった作品を知ることができ、昔からの読者は懐かしいと思える。過去と現在を繋げ、読者の考えや知識の差も縮まるだろう」

「なるほど」

「長期連載している作品があるのも強みだ。伏線の解説や××編といったストーリーごとに着目すればネタは幾らでもある。こち亀なんかは時事ネタなんかも多いから、話題が尽きることもない。それらを四コマで説明するだけで読者は簡単に知識を得ることができ、四コマでテコ入れまで出来る。実に効率的だと思わんか?」

「効率的ではあるかもしれませんけど、作る側の集英社の編集者さんが先輩みたいに知識を持ってる人が居ますかね?」

「居るに決まっているだろう。集英社の編集者は、全員ジャンプおたくに違いない。『バクマン。』の服部さんだらけだ」

「違うと思います」

 先輩は顎に右手を当てる。

「そうだなぁ……。ネタは編集の持ち回りで、そのネタを四コマ職人が漫画にして掲載するのがいいだろう。各編集によっては思い入れのある作品が違うから、きっと新鮮だ。そして、御題=作品は編集長が決めるのだ」

「それって編集さんの仕事が増えるだけで、迷惑にしかならないと思うんだけど……」

 先輩は机を叩いた。

「何を温いことを言っている! これが全部の作品を舐めきって単行本になった時、ジャンプの歴史を四コマで振り返るという夢のバイブルが出来上がるのだぞ!」

「そうですけど……」

「私は、そういう本が欲しいのだ!」

「先輩都合じゃないですか……」

「でも、あったら買わないか?」

「……オレは買ってしまうかもしれません」

「フフン」

 こうして、昼休みは先輩のジャンプネタで占拠された。

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