第3話
夢の中で出来ることが真実なのか、現実で出来ないことが真実なのか、丁度、その曖昧なところにオレは漂っている気がした。現実で力を使うことが出来ない自分に苛立ちつつも、現実で力を使うことが出来ないのが当たり前だと僅かに残る常識がオレを現実へ引き止める。
「これは、もう頭がおかしくなってるのかな? だけど、それにしては同じ夢を見続けても快食快眠だよな?」
今の現状をよく考える。そう、よく考えたところ、別に同じ夢を見続けてもどうでもいいという結論に達する。見るのが悪夢なら精神に支障を懐かもしれないが、あれはそういう類の夢じゃない。
そうこうして、また夢のことを考えて歩いていると、もう河川敷へと続く道だった。住宅街を抜け、錆だらけの発光の弱い街灯が頼りなげに土の道を照らす。
歩みを進めると、誰も居ないはずの河川敷の鬱葱とした草の中に、先客が居ることに気が付いた。堤防の上の道から見える、同じ中学の女子の制服。それが目に付いて、足を止めた。
深い夜の闇の中で街灯の明かりも届かず、月明かりだけが川岸の草の中でしゃがみ込んだ少女が居るということを分からせる。少女は何かを並べて握り込んでいるようだった。
オレの足は、自然と少女の方へと動き出していた。
…
土の道からコンクリートの堤防を慎重に降りて、再びコンクリートの地面が土に変わる。暫く進むと歩く足に草がぶつかり始め、そのまま止まることなく歩き続けて目的の少女の小さな背中が見えた。
肩越しから見えるのは、缶、木、石、そして、コンクリート……。
缶は潰れている。
木は潰れている。
石は砕けている。
コンクリートは、今、彼女に握られている。
「……凄いだろう? ……私は、何でも握り潰せてしまうのだ」
しゃがんだまま振り返りもせず、少女は話し掛けてきた。
聞き覚えのない声に、オレは返事を返す。
「そうかもな。オレには出来ない」
「……ああ。……きっと、練習しても鍛えても出来ないだろう」
「君が特別だから?」
「……ほう、分かるのか」
オレの問い掛けに、口調だけが驚いて返ってきた。
「さあ? どうなんだか……。最近になって、何でも受け入れられるようになってきただけなんだけどね」
「……それは夢のせいではないか?」
少女は何の躊躇いもなく手の中のコンクリートを握り潰し、ゆっくりと立ち上がって振り返った。月明かりを返す光沢のある長く艶のある髪、全てを黒で包む制服から映える白い肌、そして、何より自己主張する鋭い目……の下のクマ。
コンクリートの粉塵が風に流れる中、少女は質問の答えを促す。
「……答えを聞かせてくれないか?」
「夢のせいで合ってるよ」
少し不気味に思いながらもオレが答えると、少女は腕を組み、観察するような視線をオレに向ける。
「……君も、お仲間の同類なのだろうな。……だが、その割には、君は随分と健康そうだな?」
肩を竦めて、オレは答える。
「まだ、よく分かってないんだ。良ければ話をしたいんだけど?」
「……いいだろう」
少女は妖艶に唇の端を吊り上げると、堤防の方へ向かって歩き出した。
…
堤防へ上がる途中の草原に彼女は腰を下ろし、それに合わせてオレも隣に腰を下ろした。そこは、先ほど彼女が居た場所を見下ろすことが出来る、小高い場所だった。
「オレは、ここ一年同じ夢を見てる」
隣りの彼女は視線を変えぬままに返す。
「……奇遇だな。……私もだ」
「夢が現実を否定する感覚……って言えば分かるかな?」
クマの目立つ目が閉じられ、彼女は鼻で軽く笑った。
「……間違いなさそうだな。……同じだ、まるっきり。……私の夢は『握り潰すこと』を伝えるものだった。……手に収まる物なら、何でもな。……鉱石だろうが金属だろうが何でもだ」
「オレの夢は『走って飛ぶ』だった」
「……ほう。……使って見せてくれ」
彼女はクマのある期待の目をオレに向けた。
だが、オレには彼女の期待に応えることは出来ない。クマのある目を見ないようにしながら、正直に話す。
「まだ出来ないんだ」
「……やはりな」
分かっていたように、彼女は視線を前に戻した。
「……私がそうだったのだ。……察しはつく。……夢を肯定できないでいたし、頭がおかしくなったと思って医者にも通った。……お陰で出席日数が足りなくて、また中学二年生だ」
「義務教育の間は、あまり留年という措置を取らないと聞いたけど?」
「……らしいな。……だけど、そういう風に決まってしまったのだから仕方がない」
彼女は『まあ、いいのだがな』と呟いて続ける。
「……君は、医者には行ったのか?」
「行ってないです」
「……何故だ?」
「二ヶ月ぐらいで夢を肯定しましたから」
「……嘘だろう?」
クマの付いた目で、彼女は少し驚いて見せた。
一方のオレは『変な答えだったのだろうか?』と思いながら事実を述べた。
「本当です」
彼女は溜息を吐く。
「……困ったな。……初めて見つけた同類が馬鹿だったとは」
「この話だけで、馬鹿だと決め付けないでください」
「……そうだな。……悪かった。……それから?」
あまり悪いと思ってなさそうに続きを促した彼女に対して内心ため息を吐き、オレは今までしてきた行動を答える。
「起きてる時に体現しようとして、寝ている時にひたすら練習していた感じです」
「……夢の中で二か月目からか。……だとしたら、かなりの練習時間になったはずだ。……そんなに練習しても出来ないのか?」
「もう少しだとは思います。だんだん夢と現実に差がなくなってきましたから」
「…………」
彼女は顎に手を当てて何か考え込んでいる。
「今度は、先輩に聞きたいんですけど……。どうやって、現実で握り潰したんですか?」
些か視線を鋭くして、彼女はオレに目を向ける。
「……その前に、何で敬語に変わった?」
「留年したんですよね? だから、敬語を使って、先輩と呼ぶことにしました」
「…………」
彼女は少しだけ機嫌を悪くした。
「……まあ、いい。……で、どうやったかだったな?」
オレは無言で頷いた。
「……君と同じだ。……夢と現実の差をなくしたのだ。……アプローチの仕方は違うがな」
使い方に差なんてあるのだろうか?
オレの心の中の疑問を見透かしたように、先輩は説明を続ける。
「……私は現実と夢の境界を失くすアプローチとして、現実を夢に近づけたのだ。……このクマを見れば分かるだろう?」
先輩が目の下を指差す。
それは、あのぼやけた感覚を現実から迎えに行ったということ……。
「つまり、寝なかったってことですか?」
先輩は頷く。
「……五日ほどな。……今は夢遊病みたいな状態だ。……体がフワフワして、寝ぼけているから感覚も曖昧だ。……だから、現実で夢を体現できた」
転がる石ころを左手で拾い、『……こんな感じでな』と彼女は握り潰して見せた。
「随分と強引な方法を取りましたね」
握り潰した石を投げ捨て、彼女は両手を軽くあげてみせる。
「……当たり前だ。……半信半疑の状態で、君みたいに信じ込むなんて出来るわけないではないか。……だから、試行錯誤の末、一番可能性のありそうなヤツで試したのだ」
「なるほど」
先輩は眉間に皺を寄せて言葉を吐き出す。
「……君は、腹が立つな」
「何ですか、突然?」
「……アプローチの仕方は、君が正しいのだ。……先ほど、私が実証したように、間違いなく夢を現実に出来るのだ。……要するに、私は実験していた分だけ、君に出遅れているということだ」
オレは首を傾げる。
「そうなんですか? オレは、まだ夢の体現が出来てませんけど?」
「……だが、あと少しなのだろう? ……感覚的には?」
「まあ……」
先輩は頭をガシガシと掻いている。綺麗な髪なんだから出来ればやめて欲しい。
「……クマなんか作っているのが馬鹿みたいだ。……私も、明日からは君の言った方法で頑張るとしよう」
オレはチョコチョコと頬を掻く。
「何か、オレ……先輩を利用して確認を取ってしまったみたいですね?」
「……その通りだ」
彼女は大きな溜息を一つ吐き出した。
「……ところで、私達は必死こいて夢の体現なんてことをしているわけだが、君は夢を体現できたら、どうするのだ?」
「…………」
オレは彼女の質問に固まった。
何故なら……。
「まだ何も考えてない……です」
彼女は呆れた目で見ている。
「そういう先輩は、どうなんですか?」
「……私か? ……うん、考えてない」
案外、この人とは似た者同士なのかもしれない。オレは深夜に会った変な少女に、そういう印象を持った。
そして、その日は、そこで話が途切れ、お互い別れることになった。
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