#26【ジョーカー】ジョーカーさんそこそこ正しい大量殺人鬼説【精神疾患と犯罪】

 ノックノック。

 誰ですか?

 犯罪心理学者です。ところで、あなたの書いた作品の犯罪者なんですけど、専門家から見てこの描写は現実的ではなく……。


 ホアキン・フェニックスが主演を務めた映画『ジョーカー』の終盤では、ノックノックジョークと呼ばれる形式のジョークが使われています。これは本来、扉の向こうにいる人物の名前が何らかの駄洒落になっているというジョークなのですが……ノックノックと応じた瞬間にこんな犯罪心理学者が出てきてまくしたてられたら、ジョーカーとは別種の地獄が広がりそうです。


 とはいえ、DC映画の製作部門は、メリーさんめいた犯罪心理学者の来襲に怯える必要がないかもしれません。というのも、本作に登場するジョーカーの描写は現実の犯罪者としてもそこそこ妥当性のあるラインではないかと思われるからです。


 ここからは映画のネタバレになりそうなので、それが嫌な人はブラウザバックしてくださいね。




OK? じゃあいきましょう。


 映画の最後、アーサー・フレックはジョーカーという芸名でテレビ番組に出演します。ロバート・デ・ニーロ演じるマレー・フランクリンが司会する番組であり、アーサー憧れの舞台でした。


 しかし、そこで彼は凶行に走ります。小道具として持ち込んでいた拳銃でマレーを銃殺したのです。彼は警察に連行されますが、暴徒と化したゴッサム市民が彼の乗るパトカーを襲撃、アーサーは「貧民を搾取する金持ちを殺した英雄」として祭り上げられます。


 この事件で重要なポイントは2つあります。1つは事件の動機であり、もう1つは精神疾患との関連です。


 まず前者から見ていきましょう。この事件の動機は判然としないところがありますが、社会から見捨てられた嘆きと恨みが影響していたことはまず間違いないでしょう。最後のシーンに至るまでに、アーサーは職を失い、親しい隣人から嫌われ、母親に裏切られるという散々な目に合っています。


 アメリカで発生する銃乱射事件のような大量殺人事件の動機には、社会への恨みが深くかかわっていることが知られています。その恨みに正当性があるかはさておき、犯人たちは自分の人生がうまくいかない理由を社会に求め、社会それ自体に復讐しようと行動を起こします。だからこそ、マシンガンのような高火力の武器で武装してできるだけ多くの人命を奪おうとするのです。


 被害者数だけを見れば、アーサーはそこまで派手に殺人を犯しているわけではありませんが、しかしテレビ番組の中で司会者を撃ち殺すということをしていますし、マレー個人を殺すというよりは、マレーを通じてテレビに出演するようなセレブリティ全体に攻撃を加えたと解釈できるかもしれません。


 もう1つのポイントである精神疾患も重要な要素です。

 まず、誤解のないように言っておくと、精神疾患の大半は凶悪な犯罪に繋がりません。気分が落ち込むのも精神疾患の特徴の一つであると考えれば、いわば「犯罪するほどの元気もない」状態なわけで、このことは直感的にも理解できるかと思います。


 しかし、例外的に危険な行動に繋がりやすい症状もあります。その1つが幻覚や幻聴です。たいていの場合、幻覚や幻聴で見聞きするのは自分に対して敵対的なイメージです。陰口を言われたり何かが襲ってきたりといったものです。極端にポジティブな人が幻聴を聞くようになって、幻聴から励まされまくったという笑い話を聞いたことがありますが、裏を返せばそうした事例は笑い話になる程度には珍しいことなのです。


 ともあれ、ずっと陰口が聞こえてくれば、陰口を言っている社会に恨みを持つのはある意味当然です。また、誰かが襲ってくるような幻覚を見てしまえば、それに反撃をしようとするのも当然です。客観的に見れば支離滅裂な行動でしかありませんが、当人からすれば存外合理的な行動だったりするわけで、それが余計に厄介だったりします。


 アーサーは直接的にそうした幻覚を見ていたわけではありませんが、幻覚によって隣人との関係が悪化することになったのは事実です。つまり、精神疾患の症状が彼の背中を押してしまう一因になったわけですね。


 ここでもう1つ重要なのは、彼がそうした危険な状態になったのは、公費によるカウンセリングと処方薬の支援が打ち切られた後からだったということです。彼はカウンセリングが十分ではないと不満を持っていましたが、それでも定期的に専門家と会って話すことは症状の悪化を防いでいたのです。専門家が適切に対処すれば、重大な影響を防ぐこともできます。


 とまぁ、ここまでいろいろ考察はしてみましたが、問題なのは『ジョーカー』がアーサー・フレックの主観によった映画であり、とうのアーサーが「信頼できない語り部」であるということです。もしゴッサム市警に立ち寄って、この事件の正式な捜査ファイルを読めばまた違った事実が見えてくるかもしれません。


 よし、それじゃあ……ゴードンに連絡してくれ、アルフレッド。


【要約】

 ジョーカーの造形は犯罪心理学的にそこそこ妥当かもしれない。社会に対する復讐と精神疾患の悪影響が背景にあるかも。まぁ、アーサー・フレックの語りを信じるならばだけど。


【元ネタ】

ジョーカー:ホアキン・フェニックス主演、トッド・フィリップス監督。DCの映画だがDCEUではない映画。DC知らない人に説明するのが死ぬほどややこしいことで知られる。


【参考文献】

中島 直 (2008). 犯罪と司法精神医学 批評社

越智啓太 (2013). ケースで学ぶ犯罪心理学 北大路書房

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