#16【幸色のワンルーム】それ恋ですか?いいえ犯罪です【ストックホルム症候群】

 14歳の少女は家を出た。行く当てはない。そこに現れた青年。彼は少女を幸と名付け、家に住まわせることにする。

 だが、彼には秘密があった。彼は少女を尾行し盗撮するストーカーだったのだ。


 いや、警察でしょ。おまわりさーん!


 『幸色のワンルーム』はTwitterに掲載された作品からpixivの連載、さらに実写ドラマにもなったものです。一方で、類似する事件の直後に作品が掲載されたことから「事件を美化している」と妥当な批判を受けぼこぼこに怒られた作品でもあります。


 なお、この原稿を書いている時点でも、類似の事件が発生し、しかもそれを当該作品になぞらえる人が続出したせいで批判は再燃しています。

 いや、作者にダメージ行ってるだけでは……?


 事件と作品との関連はともかく、「少女を家に住まわせて逮捕」という案件が起こるたびに、本当は恋愛関係にあったのではないかなどと勘繰る人が出てくるのは事実です。しかし、心理学的には、このような推測は的外れもいいところだといえるでしょう。今回はそういう話です。


 さて、ではなぜ、ああいう事件で加害者と被害者の間に恋愛感情がないといえるのでしょうか。2人のやり取りを探ってみればそれっぽいのもあるのに! とお思いの人もいるでしょう。


 しかし、誘拐や立てこもりという事態に直面した被害者が、加害者への恋愛感情や共感を抱いてしまうことはありえないことではありません。


 ストックホルム症候群という言葉を聞いたことがある人も少なくないでしょう。


 この言葉の発祥は1973年、ストックホルムで発生したノルマムル広場強盗事件です。この事件において、人質が犯人に協力するような行動を起こし、事件が終わった後も捜査に非協力的だったという現象から知られるようになりました。


 症候群と命名されているものの、心理学的にははっきりした診断基準があるわけでもなく、PTSDの一症状のように考えられているようです。まぁ、人質事件なってめったに起きませんし、研究も進まないのでしょう。


 では、なぜ人質は犯人に協力してしまうのでしょうか。そして、場合によっては犯人に共感を抱いてしまうのでしょうか。


 これは筆者の考えですが、認知的不協和理論を援用すれば説明できそうです。

 人間は「矛盾した状況」というのを嫌う傾向があります。例えば、つまらなくて報酬も少ない作業に従事すると、価値のないことに時間を割いているという矛盾が生じます。この矛盾を解消するために、作業が価値のある行為だと考えるようになる。これが認知的不協和理論の基本的な考え方です。


 とはいえ、矛盾を解消するときに何でもかんでも弄繰り回せるわけではありません。例えば先ほどの例では、作業に報酬が少ないことや、長時間従事しているという事実を変えることはできません。そこで人は、最も変化させやすいもの、自分の考え方を変えてしまうのです。


 人質事件に置き換えましょう。このような事件では、ときに犯人は人質に言うことを聞くように命令して、いろいろなことをさせます。生存戦略として、人質は一生懸命犯人のいうことを聞き、機嫌を取ることだってするでしょう。このとき、人質の中では「嫌いな相手のいうことを積極的に聞いている」という矛盾が生まれます。そこで、この状況のうち最も変化させやすい「嫌いな相手」の部分をいじって「好きな相手」に変えてしまうのです。


 ちなみに、これとは逆に、犯人が人質に同情してしまう現象も確認されており、そちらは1996年に発生した在ペルー日本大使公邸占拠事件の場所からリマ症候群と呼ばれています。


 ストックホルム症候群のように、相手のことを好きにまでなってしまうケースはまれですが、そこまでいかずとも被害者が犯人に迎合するというのはさほど珍しいことではありません。


 例えば、かつて強姦事件は、被害者が多かれ少なかれ抵抗すればことを成し遂げるのは「針の穴に糸を通すようなもの」なので不可能であり、既遂の強姦というのはありえないとすら考えられていました。しかし、その後の研究では、被害者がよりダメージを少なく被害をやり過ごそうと、加害者に協力するような行動を示すことが分かっています。


 犯罪被害にまさにあっている場面というのは、人にとって極めて稀で、生命の危険が迫っている極度のストレス状況です。このような場面では、人はときに「なんでそんなことを」と思うような行動をとることがあります。しかし、被害者の立場からしてみれば、そのときには極めて合理的な行動だったりするのです。


 ゆえに、知識のないものが、外野から被害者のふるまいをあれこれ言うのは浅はかな行為であり、厳に慎むべきであるといえましょう。


 ちなみに、仮に本当に恋愛関係があったという幸福な逃避行でも、未成年を保護者の同意なく連れて行くのは未成年者略取および誘拐罪(刑法224条)にあたります。3か月以上7年以下の懲役ですね。さらに強姦あるいは13歳未満と性交を行えば強制性交等罪となり5年以上の有期懲役で倍プッシュです。百歩譲って被害者が13歳以上でも18歳未満なら大抵は各自治体の条例に引っかかって豚箱行きです。


 どんな理由をつけても犯罪です。覚悟しましょう。


【要約】

 人質が加害者に好意を持つなんてのは稀。そう見える行動があったとしても、実際には生き残るためにやっているだけである可能性が高い。

 「リアル幸色のワンルーム」って刑務所のことでしょ?


【元ネタ】

幸色のワンルーム:はくりによる漫画。Twitterでバズる漫画の大半って小説にしてカクヨムに投稿したら10PVくらいで終わりそう(暴言)。


【参考文献】

越智啓太 (2019). テロリズムの心理学 誠信書房

杉田 聡 (編) (2013). 逃げられない性犯罪被害者: 無謀な最高裁判決 青弓社

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