#17【松岡修造】太陽神はなぜ、太陽神に「なった」のか【ヒューリスティックス】

 冬ですね。

 少なくともこの原稿を書いているときは、冬です。


 さて、冬といえば松岡修造です(いきなり)。松岡修造といえば、その熱く一本義なキャラクターから太陽神などと評されています。

 そして、その称号はキャラクターへの評価にとどまりません。


 というのも、こういう俗説があるからです。

 松岡修造がいる場所の気温は上がり、いない場所の気温が下がると。


 例えば、2019年の5月。北海道で記録的な暑さが観測されていました。このとき、松岡修造はなんと北海道でのイベントに出席。氏がリポーターとして会場入りした2010年のバンクーバー五輪と2014年のソチ五輪では現地が雪不足で悩まされる一方、日本は寒波に襲われ記録的な積雪となりました。


 このように、松岡修造行くところ気温上昇あり、松岡修造去るところ気温低下ありとでもいうべき状況になっています。


 ……まぁ、しょせん俗説なんですけどね。論理的に考えれば、松岡修造が天候をどうにかできるわけもなく、彼の存在で気温の変化を説明できるはずがありません。

 ここで取り上げたいのは、なぜ人々が松岡修造を「太陽神」だと思ってしまうのかです。社会心理学では、このような不合理な発想や信念がどのように生じるのかを検討しています。


 仮にこの間違った信念を「松岡修造太陽神説」(以下太陽神説)と呼ぶこととしましょう。この太陽神説を支えているのは、やはり「松岡修造がいるところで気温が上がる」という認識です。


 しかし、実際には松岡修造がいるのに寒い日とか、松岡修造がいないけど暑い日も多く存在するはずです。にもかかわらず、このような日や土地には注目が集まりません。


 これは、人間がある仮説を正しいかどうか検討するときに、一定のやり方で検証しがちだというバイアスがあるためです。


 例えば、ここに3つの数字の並び「4、6、8」があります。これがどのようなルールで並んでいるか、3回質問をして調べてみてください。ただし質問は必ず、「1、2、3」のように例と同じような3つの質問を並べることで行う必要があります。私は、その並びがルール氏に従っているかイエスかノーで答えます。


「10、12、14」ですか? えぇ、イエスです。その並びはルールにあっています。「22、34、68」? それもイエスです。最後は「100、200、300」? それもイエスです。

 まぁ、大抵の人はだいたいこういう質問を繰り返し、答えを出します。「ルールは偶数の並びだ!」と。


 まぁ、外れなんですけどね。正解は「小さいものから大きいものへ順に並べる」だけです。


 重要なのはこの場面での、仮説の検討方法です。まず「4、6、8」という並びを見れば、誰もが「偶数の並びだ」と思うはずです。次点で「2つずつの増加」でしょうか。こう思うと、人はぱっと「仮説のルールに沿った並び」を質問することで、仮説を確かめがちです。


 しかし本来、このような仮説検証は非合理的です。仮に「10、12、14」と質問して答えがイエスでも、「小さいものから大きいものへ順に並べる」のように仮説通りではないがたまたまルールに合致した並びである可能性を否定できないからです。


 ましてや質問回数が3回と限られているならなおさら。まず「偶数の並び」であると仮説を立てたのなら、その仮説を否定する「3、5、7」の並びを質問するのがベターです。このとき、偶数か奇数かという要素以外の部分、例えば2つずつの増加であるという部分はそのまま残すとさらに良い検証となります。


 しかし、人は大抵そういうことをしません。自分の頭の中にある仮説通りであることの証拠、つまり「松岡修造がいて気温が高い」ケースのようなものばかり集めがちです。

 このようなバイアスを「確証バイアス」や「肯定的仮説検証方略」といいます。


 ちょっと考えればわかるはずなのに、人は「手癖」で非合理的な判断をしがちです。こういう思考の偏りのことを全般的に「ヒューリスティックス」といいます。反対に、きちんと考えることを「アルゴリズム」といいます。


 松岡修造が現地にいると気温が上がるという、本来少ない事例がここまで人口に膾炙するのも、このようなヒューリスティックスによるものです。松岡修造のケースでは、目立った事例を思い出しやすく、そのためにその目立った事例が多いように感じてしまうのは「利用可能性ヒューリスティック」といいます。


 実際には減少しているのに、報道があるたびに「少年犯罪の凶悪化が……」となってしまうのもこの利用可能性ヒューリスティックによるものでしょう。


 さらに加えて言えば、「松岡修造がいるときに気温が上がる」という判断のほうにも誤魔化しがあります。


 通常、「松岡修造がいるときに気温が上がる」と言われれば、それは言葉通り、松岡修造が現地いるまさにそのタイミングで気温が上がることを指していると考えるでしょう。しかし調べてみると、3日間晴れだったのは修造が「2日目にいた」からだとか、松岡修造がいたけど寒かったのは「彼が風邪を引いたから」だといった変形があることに気づきます。


 厳密に松岡修造がいるタイミングで気温が変化した事例を探せば、さほど多くはないでしょう。しかし厳密さを緩めることで、あたかも稀な事例が連続して発生し、そこに何らかの因果があるかのように論じる、あるいは預言の的中範囲を広げてしまうというのは似非預言者の常套手段です。


 預言でもっとも有名なノストラダムスの大予言を思い出してみてください。彼は「恐怖の大王」が何なのか明言しませんでした。というか、その手のことを明言する預言者はいません。だから後になって「あれが恐怖の大王だったのだ」ということができるのです。


 あるいは、2019年10月の天皇即位の日を思い出してください。あの日は式典中に雨が上がり虹がかかったことで「奇跡」だとか言われましたが、何のことはありません。晴れれば「目出度い」雨なら「村雲の剣が~」とかなんとか、理由をつけて騒いだだけです。事前の予言が一切ない「奇跡」というのは、いわば予言の厳密さが最大限緩められた事例と言えます。あとからなら何とでも言えますね。


 このような人の考え方のバイアスを知っておけば、同じようなペテンに騙される可能性が減るかもしれません。「松岡修造太陽神説」に騙されても笑い話で済むかもしれませんが、終末論に騙されてシェルター生活とかシャレになりませんから。


【要約】

 松岡修造が太陽神だと思ってしまうのは、確証バイアスと利用可能性ヒューリスティックによってごく少数の事例が多数あるかのように考えてしまうため。預言者は予言の厳密さを緩めることで的中確率を上げるので気をつけよう。


【元ネタ】

松岡修造:そろそろ世界一熱い男としてギネスに乗るんじゃないだろうか。なお当人は天候ネタを『天候で辛い思いをしている人もいるから』とNGにしている。


【参考文献】

菊池 聡・谷口高士・宮元博章 (編) (2002). 不思議現象 なぜ信じるのか こころの科学入門 北大路書房

デイヴィッド・J・ハンド (2015). 「偶然」の統計学 早川書房

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