#19【Change!】ラッパーはなぜ、言葉に詰まらずにラップバトルができるのか【活性化拡散】

 『Change!』はラップバトルを題材にした異色の漫画!

 主人公は和歌の名家のお嬢様!

 初心者の彼女がアドバイスをもらいながら!

 ラッパーとして成長していくものがた……無理です。活字でラップとか成立しようがない。


 ラップバトル、より正確に言えばMCバトルというのは、ラッパー同士が正対してラップっぽいことを言い合い、そのリリックやら言葉の言い回しやらで勝敗を決するラップの形態の1つらしいです。説明が全体的にふわっとしていますが、私は全然わからないので勘弁してください。きっとこの漫画を読めばわかるでしょう。


 『Change!』は前述のとおり、和歌の名家のお嬢様がラップバトルに惹かれ、経験を積みながら成長していく物語です。主人公が初心者であることもあって初心者目線の解説も多く、説明は私のあれよりも大分わかりやすいのでぜひ本編をご覧ください。


 さて、このラップバトルですが、それらしく言葉を紡いでいくのが凄まじく大変です。それは私の冒頭の惨状を見ればわかるでしょう。頑張って韻は踏んでいますが、それ以上のものは特になく、全然ラップの体をなしていません。


 漫画の解説では韻を踏む以外にも、有名なフレーズを入れ込むサンプリングという手法、ストーリーラインを形作りそれに沿った言葉を選んでいく技術など、想像以上に複雑なテクニックが駆使されています。


 そして忘れてはならないのが、このような複雑なフレーズを即興で紡いでいるということです。

 いや無理でしょ。私は俳句をかじったことがあるので想像はできます。俳句にも即吟という、即興で詠まれるものがありますが、べらぼうに難しいです。MCバトルは様々な制約に加えてリズムを刻まなければならないので、余計に難しいでしょう。


 ではなぜ、ラッパーたちはこのような難しい状況で言葉に詰まることなくラップをできるのでしょうか。練習の成果といえばそれまでですが、練習によって人の頭の中でどのような変化が生じるのでしょうか。

 ここでは心理学の用語のうち、「活性化拡散」と「自動化」という言葉で説明しましょう。


 まず「活性化拡散」から。

 普通、我々の持つ知識は、頭の中で独立して存在しているのではなく、ほかの知識と結びついた状態で存在しています。この知識の結びつきをリンクといいます。


 このリンクは連想ゲームのように、ある知識からほかの知識へと次々に結びついていきます。例えば、リンゴという知識は赤いほかの物体と結びつき、またほかの果物とも結びつきます。


 さて、脳内の知識は、外からの刺激や記憶の想起を受けると、思い出しやすい状態になります。これを活性化といいます。この活性化は、ひとつの知識だけに起こるのではなく、リンクで繋がった別の知識にも波及します。これが活性化拡散です。


 先ほどの例でいえば、リンゴを見たときにリンゴの知識が活性化するだけではなく、ほかの赤いものや果物の知識もまた活性化し思い出しやすい状態になるということです。


 そして重要なのは、この活性化拡散は繰り返すほど知識間のリンクが強くなり、より思い出しやすくなるということです。

 世に言うオタクたちが、声優の名前を聞いただけで出演作品を山のように挙げられるのはこの機能のおかげということができるでしょう。


 MCバトルの練習を重ねてきたラッパーでも同じことが言えるでしょう。彼らはある言葉からの連想で別の言葉を引き出すという訓練を繰り返しています。そういう繰り返しによってリンクが強くなり、言葉が出やすくなっているのです。


 また、ラッパーは「韻を踏む」ために特殊なリンクを持っているとも考えられます。韻を踏むためには最後の母音が同じ言葉を探してこなければいけないので、頭の中に「aの音で終わる言葉のリンク」のようなものが形成されていると思われます。


 ともあれ、リンクの生成と強化は一朝一夕にはできない所業です。いかにも破天荒っぽさのあるラッパーですが、その裏には生真面目な努力が不可欠です。


 もう1つの要素は「自動化」でしたね。

 これはシンプルで、複雑な動作を繰り返したことによって、あまり意識しなくてもできるようになることを指します。


 キーボードをタイプするのがいい例でしょう。最初のうちは、この文字を打ちたいからこれを押してその次はこれ……などといちいち考えていたはずです。それがいつの間にか、考えるのと近い速度で文字を入力できるようになっています。下手をすると、タイピングゲームなどで意識してしまうとかえってできなくなったりします。


 MCバトルに求められる、相手の言葉に反応して上手に言葉を探して返すなどという動作は、複雑な行動の最たるものです。しかし、このような動作であっても、反復を繰り返すことで自動化が起こり、いちいち細かいことを考えなくてもできるようになります。


 細かいことを考えなくて済むと、ほかのところにエネルギーを使うことができるというメリットもあります。人の頭には「認知資源」という、注意力のリソースのようなものがあるのですが、これには限りがあり、あることをすると別の動作に割く資源がなくなります。


 MCバトルにおける動作を自動化し、「韻を踏んでいるか確認する」「リズムに合わせて言葉を紡ぐ」といった枝葉末節に注意を向ける必要がなくなれば、より重要な言葉選びなどに意識を向けることができるようになるというわけです。


 もっとも、意識せずに動作を行うことで問題も起こります。お風呂に入っているとき、体をどこまで洗ったかわからなくなるときありますよね。あれです。あるいは台所に行こうとして洗面所へ行ってしまうとか。意識を向けないために起こる行動のエラーをアクション・スリップといいます。


 まぁ「シャンプーしたっけ?」くらいなら笑いごとで済むわけですが、これが自動車のブレーキとアクセルの踏み間違えとかになるとシャレになりません。気を付けましょう。


 ともあれ、活性化拡散も自動化も反復練習が必要な現象です。何をするにもコツコツと繰り返し練習する。これ以外にないですね。

 がんばれ!


【要約】

 ラッパーがMCバトルで言葉に詰まらないのは、頭の中で知識が活性化拡散を繰り返し思い出しやすくなっているから、そして複雑な動作を自動で行えるようになっているから。そのためには練習あるのみ!


【元ネタ】

Change!:曽田正人による漫画。主人公であるお嬢様、去年栞がラップの世界へ飛び込んでいく。箱入り娘がラッパーデビューとか筆者が父親なら卒倒する状況である。


【参考文献】

池田謙一・唐沢 穣・工藤恵理子・村本由紀子 (2010). 社会心理学 有斐閣

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