#1 【ゴールデンカムイ】鶴見中尉は脳が吹っ飛んでいるのになぜ死なないの?【前頭葉の機能】
アイヌの黄金を捜して北海道を縦横無尽に駆け巡る漫画、『ゴールデンカムイ』に登場する帝国陸軍のやべーやつこと鶴見中尉。クレイジーな言動が目立っているのにカリスマ性が最高というこの将校はかつて、自身が指揮した奉天会戦で頭に砲弾の破片を受けて前頭葉の一部を失う大けがを負っています。
え、ちょっと待って。脳って吹き飛んでも生きていられるの? と思った人もいるかもしれません。まぁゴールデンカムイだし? と疑問に思いつつ放置した方も多いでしょうたぶん。しかし人間の脳というのは、結構丈夫でちょっとやそっとのことでは死にません。
このことを解説するために、まずは脳の仕組みについて粗く抑えてきましょう。脳というのは言うまでもなく人間の思考や行動をコントロールするための器官ですが、脳のどの部位がどんな機能を担うかは決まっています。海馬が人間の記憶を司るという話なら聞いたことのある人は多いかもしれません。
そして脳の部位のうち、人間の生命維持に直接関係する部位は実はごくわずかです。それは延髄と言われる部分。延髄蹴りで蹴り飛ばされる部分であり、必殺仕事人にぶすっと突き刺される部分です。具体的には脳と首の境目くらいのところにあります。この部位は人間の呼吸や消化といった機能をつかさどり、ここが損傷すると呼吸が出来なくなるので早晩死ぬことになります。
裏を返せば、この延髄が無事なら助かる可能性はあります。もちろん運動野を損傷すれば動けなくなりますし、そうでなくとも出血と感染症で死に至る危険はありますが、ともかく脳の損傷それ自体を原因とする死に直結するのはこの延髄です。
では鶴見中尉が吹き飛ばされた前頭葉はどのような機能があるのでしょうか。
ここには自己コントロールや注意、感情、計画性や実行機能といった、いわば人間が社会的に生きていくための機能が集中しています。前頭葉が機能しない場合、衝動的になったり計画を無視して無軌道に行動したり、感情が不安定になる可能性があります。ここを吹き飛ばされた鶴見中尉がサイコ野郎になったのはある意味では脳科学的に正しい描写だったのかもしれません。しかし前頭葉は生命維持にはかかわらない部位なので、彼はいまもピンピンしているというわけです。
前頭葉の発達は犯罪学的にも注目されている要素で、ここが未発達だと計画性がなく衝動的になりやすいため非行や犯罪につながる可能性が高くなると言われています。多くの場合は妊娠時の母親の喫煙や飲酒、幼少期の虐待などが原因で脳の萎縮が起こり、それが前頭葉の未熟さにつながると考えられています。もちろん、このような場合は適切なトレーニングを経ることで前頭葉の発達を促すことが出来ますが、外的な事故による負傷が原因だとさすがに厳しいでしょうか? まったく改善しないということはないかもしれませんが。
ちなみに、脳を損傷したために性格が変わったという事例は珍しいながらも実際に存在します。一番有名な例はフィネアス・ケージでしょうか。彼は鉄道工事の作業中に爆発事故にあい、鉄の棒が顔面を下から突き抜け左前頭葉を失うという大けがを負います。その後奇跡的に生還しますが、しかし前頭葉を失った彼は粗暴で衝動的になり問題行動を起こすなど大きな変化が見られました。もっともこれは俗説で、実際にはそこまで大げさな変化ではなかったらしいとも言われていますが。
ほかにも、脳にできた腫瘍のために性格が変容し、犯罪に手を染めたものの腫瘍を切除したとたん元の人畜無害な性格に戻ったという事例もあります。これらは極端な事例ですが、しかし脳が人の性格を規定していることを示唆しています。
しかし鶴見中尉が幸運なのは、前頭葉の負傷によって確かに衝動性が増している一方で、計画性や先を見通して行動するという司令官に必須の能力に影響がみられていないことです。それに彼が軍人であったことも幸運のひとつでしょう。衝動性からくる荒々しさは、ともすれば軍人たちの上に立つために必要なカリスマ性に直結しますから。その証拠に、部下たちはみな楽しそうに働いています。
帝国陸軍第七師団は明るく楽しい職場です。
【要約】
脳のなかで生命維持に直結するのは延髄。なので脳が吹き飛んでも延髄が無事ならワンチャンある。助かったあとの人格までは保証できないけど。
前頭葉は自己コントロールなどを司り、これが機能しないと衝動的になって犯罪につながりやすくなる。
【元ネタ】
ゴールデンカムイ:野田サトルの漫画。和風闇鍋ウエスタンの自称にふさわしい冒険譚。変態たちの超絶バトルが見どころだが、それだけじゃないのは次回を参照。
【参考文献】
エイドリアン・レイン (2015). 暴力の解剖学 神経犯罪学への招待 紀伊國屋書店
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