第14話 遥

 「もしもし?今終わったよ」


 学校からの帰り道、俺は遥に電話する。


 「よかった。ゆーちゃん無事だったんだね。大祐君は?」


 「今からそっち行くから、それから話すよ。家で待っててくれ」


 まだ心の準備が出来ていない俺はそう答えた。


 「うん。わかった」


 そんな俺に遥は何も聞かずにいてくれた。俺はちゃんと会ってから話せるだろうか。


 ふと帰り道の商店街にある、家電売り場のテレビを見てみると『狂気の大量連続殺人犯逮捕!動機はSNSによる殺人予告!?』とでかでかとテロップが書いてあった。


 『俺がやった事実もその意味もすらなかった事にしちまうつもりだ。』先ほどの大祐の言葉が蘇る。


 「半分は叶えてくれたみたいだぞ」


 テレビにでかでかと映された犯人は、いつものようにニヤニヤと薄気味悪い笑みを浮かべていた。


 俺は少し回り道したが、結局何の心の準備も出来ていないまま遥の家の前に着いてしまった。


 ドアの前に行くと、そこには遥が待っていた。


 「もう親寝てるから、外で話そっか」


 そう言って遥は微笑んだ。


 俺はこんなに遥を愛おしいと感じていたのに、何で最近になるまで気づかなかったんだろう。失う直前になるまでどうして気づけなかったんだろう。もう少し遥との時間を大事にしておけばよかった。


 後悔と悲しさで泣きそうになる。


 「どうしたの?ゆーちゃん。大丈夫?」


 「うん。大丈夫」


 「ここで話そっか」


 遥が指したのは近くの河原だった。


 「ほら、なんかドラマっぽい」


 座ってから遥はそう言って微笑む。


 「うん」


 俺も隣に座ったが、なかなか切り出せず、しばらく沈黙が続いた。そんな俺を遥は黙って待っていてくれた。


 「大祐は死んだ」


 心の準備ができたわけではないが、このまま黙っているわけにも行かないし、遥に時間がない事を考え、俺は無理矢理切り出し、そのまま学校で起きた事を全て話した。


 「そっか」


 遥は特に驚く様子もなかった。


 「正直、色んな事を一気に体験って言うか、聞きすぎて、全然頭の整理がついていないんだ。親友の大祐が死んで、悲しまなきゃいけないのに、あまりにも出来事が現実離れしていて、まだちゃんと実感できていない」


 「しょうがないよ。私でもそうなる」


 「お前はいつも優しいな」


 「当たり前でしょ。ゆーちゃんの事なら何でも受け止められるよ。私以外の女を好きになるとかじゃなければ」


 遥は子供みたいに笑いながら言った。


 「そっかそっか。私死んじゃうのか」


 ふーっとため息のような息を吐いた後、遥は言った。


 「ショックじゃないのか?」


 「そりゃショックだよ。もうちょっとゆーちゃんと一緒にいたかったもの」


 「ごめんな」


 「なんでゆーちゃんが謝るの?」


 「俺の親父のせいで」


 「それはゆーちゃんの問題じゃないでしょ」


 遥は少し怒って言った。


 俺が本当に謝りたい事は違った。


 「もっと遥の事を大事にしていればよかった。遥はずっと俺の事を支えてくれていたし、最近になって俺自身も遥の大切さを自覚してきて、その・・・愛おしいとかそう言うのよく考えるようになったんだ。でもずっと何も言えなくて、俺はちゃんと遥にいつも応えられていなかった」


 「ふふ。うれしい。ゆーちゃんがちゃんとそうやって言ってくれただけで、私は今すぐにでも満足して死ねるよ」


 「そんな・・・」


 「それにね」


 俺の言葉をさえぎって遥が続ける。


 「それに、ゆーちゃんはいつも私のわがまま聞いてくれてたし、なんだかんだずっと一緒にいてくれたじゃない。私はそれだけで十分毎日幸せだったんだよ」


 「俺も、思い返せば本当に幸せな日々だった。どうしてああいう日々をもっと大事にできなかったんだろう」


 「ゆーちゃんは色んな事に必死だったもん。ちょっと嫌味になるかもしれないけど、私は別に必死にならなくてもなんでもできたから、ゆーちゃんと一緒にいる幸せを全力で毎日感じられただけだよ」


 そう言って遥は俺の腕に抱きついた。


 「それにね、テレビで見たんだけど、女の人は色んな事に同時に一生懸命になれるけど、男の人は一つの事にしか一生懸命になれないんだって」


 「浮気性って事か」


 遥のおかげで少しずつ元気が出てきた俺は、そんな事を今言う空気じゃないなって思いつつも茶化して見る。


 「うーん。逆じゃないかなぁ?女の人は他の事に一生懸命になっている時も、ちゃんと元の事にも一生懸命なままなんだから。男の人は逆に他の事に一生懸命になっちゃったら、元の事には一生懸命じゃなくなるって事でしょ?」


 「色んな事に一生懸命になるほうが浮気性って感じするけどな」


 「そうかなぁ。浮気って聞くと、もう元の事から心が離れちゃうってイメージ」


 「価値観の相違だな」


 「ふふ。別れる?」


 「馬鹿」


 俺は遥の頭を腕でぐいっと抱き寄せた。


 「えへへ。別れるって言ったら、ゆーちゃんが『元々付き合ってねえだろ。』とか言い出さないかちょっと不安だった」


 「俺もさすがにそこまで野暮じゃねえよ」


 「じゃあ付き合ってるって事でいいの?」


 「そうだな」


 こうなってもぶっきらぼうな返答しか出来ない俺に少し苛立ちを覚える。


 「やったー。やっとゆーちゃんと結ばれるのね。子供は何人欲しい?今から作る?ここで?家で?」


 「馬鹿。何言ってんだよ」


 もうすぐ死ぬ事をわかっている上で、俺のために馬鹿みたいなキャラを演じてくれているんだろう。


 「私は本気なのに」


 ふてくされながら遥は言った。


 「あー。ゆーちゃんとこうしてると、やっぱ死にたくないなって思っちゃうな」


 「でもしょうがないね。私はもうこんだけ幸せな気持ちになれたし。きっと普通の人の一生分の幸せをゆーちゃんからもらえた」


 「それにきっと、私よりもゆーちゃんのほうがつらいもんね。私、ゆーちゃんが死ぬのと私が死ぬのだったら、やっぱりゆーちゃんが死ぬほうが万倍くらいつらいもん」


 「・・・」


 「ゆーちゃんももう、私の事、私がゆーちゃんの事思ってるくらい好きだしね」


 遥はそうあって欲しいと思うような、ふざけているような、そんな感じで言った。


 「そうだよ」


 そんな遥に俺は精一杯素直に応えた。


 「ふふ。私やっぱ死にたくないけど、もう死んでもいいとも思って来ちゃった。こんなに幸せな時間って他にあるのかな。どうせ死ぬなら今、ゆーちゃんの腕の中で死ねたらいいのに」


 「馬鹿。泣くぞ」


 本当に泣きそうだった。


 「えへへ。ごめんね。でもなんか急に眠くなってきちゃった」


 「なんだよこんな時に」


 すごく嫌な予感に襲われる。何も本当にこんなタイミングにならなくてもいいのに。


 「なんだろう。おかしいな。幸せすぎて胸がいっぱいになったら、なんか頭がぽーっとして、気持ちよくなってきて。すごく眠い」


 「おいおい寝るなら家で寝ろよ。寒くなってきたし帰るか」


 「ゆーちゃん。大祐君が人殺しをしてきた事にゆーちゃんはどんな答えを出したの??」


 「え、いきなりどうしたんだ。今聞く事か?」


 「いいから教えて欲しいの」


 遥はいつになくまじめな口調で言う。


 「わかったよ」


 そう言って、俺は少し考えてから言う。


 「まあ正直なところ、あいつの言いたい事もわからなくもないなって思った。SNSだろうがなんだろうが、現実の世界に吐き出してしまった人間の言葉ってのは、どうあがいても簡単に消せないし、飲み込めない。それを理解していない人間はいっぱいいる。だからそんな現代社会への警鐘としての意味はあったのかもしれない」


 遥は黙ってうなずきながら静かに俺の話を聞く。


 「あいつは弱い人間が許せないんだ。でもそれはあいつ自身も含めている。弱い人間を許す事ができないのも弱さだから」


 「俺にはわからない。強くあるためにどうあるべきなのか、弱い人間を許し続けた先に正しい未来が待っているとも思えない。強くある事が正しいのかどうか、結果を見れば大祐のやった事が正しかったのかもしれない。俺はみんなみたいに頭がよくないから自分で正しさを見出す事はできない。だからルールに従うしかないんだ。法に正しさを委ねる事しか俺にはできない。だからやっぱり大祐のやった事は許される事じゃない。どれだけ優秀な人間だって、どんな宿命を背負った人間だって、一人の価値観で秩序を崩しちゃいけない。秩序ってのは今まで生きてきた人の思いが形になっているものだから、善くあろうとした人達の魂の結晶なんだから。だから俺はそこに正しさを委ねるしかないんだ」


 ああ・・・。俺自身もそうなんだ。


 自分で言ってから俺は気づく。秩序だけじゃない。一人の人間もそうやって、今まで生きてきた人達、関わってきた人達の思いの結晶なんだ。


 「ふふ」


 俺の言葉を聞いて遥は微笑む。


 「大丈夫。ゆーちゃんはもう大丈夫だね」


 「大丈夫じゃねえよ」


 「ううん。よかった本当に。ゆーちゃんと言う人と出会えて、ゆーちゃんと言う人を好きになって」


 「どうしたんだよ急に」


 「うん、ごめんちょっと限界かも。少しゆーちゃんの腕で寝かせて欲しいな」


 やめろよ。まださすがに心の準備ができてないぞ。


 「ねえゆーちゃん」


 「ん?」


 「寝る前にお休みのキスして欲しいな」


 「なんだよそれ」


 「ふふ。白雪姫の逆ね。王子様のキスで私は眠るの。してくれないの?」


 「するよ」


 そう言って俺は遥にそっとキスした。


 唇を離すと、遥はすごく満足したようににっこり笑う。


 「ねぇ、ゆーちゃん知ってる?」


 「なんだ?」


 「――――――・・・」


 「―――――――・・・・」


 遥は小さな声で俺の耳元でささやく。


 「勝手な事言うなよ。馬鹿野郎・・・」


 俺はそうつぶやくが、遥から返事が来る事はなかった。


 行き場のない感情に呆然となる。いくらなんでも早すぎる。心の準備もクソもない。でもそのおかげで、俺は壊れずにすんでいるのだろうか。俺はまだこの現実を受け入れられていないのか。


 頭は冷静で、色んな思考が駆け回る。


 静かになった遥の頭を撫でると雨で濡れていた。今日も雨かと空を見上げるが、雨は一滴も降っていない。


 遥の頭を濡らしていたのは雨ではなく、俺の涙だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る