第10話 夕立

 「珍しいな、お前のほうから俺に会いに来るなんて」


 SNSに書き込みがあった日の放課後、俺は学校の中庭に、降り始めた雨を眺めながら煙草を吸う松山を見かけて朱里と大祐の事を聞きに行った。


 「今日は第一声にポンコツって呼ばないんですね」


 「はは。そういやそう呼んでたっけ」


 「まあいいや。お前の事だから、俺が何でお前に会いに来たかなんてわかってますよね」


 「おいおい。仮にも担任なんだから、お前って言うのはやめろよ。恩師なんだぜ?」


 松山はいつものようにニヤニヤと笑いながらそう言った。


 「今はそんな話をしている場合じゃないんですよ」


 「はは。随分切羽詰ってるじゃねえか。まあ俺も生徒にお前って言ってるから大して人の事言えないけどな」


 「だからそんな話はどうでも・・・」


 「わかってるよ。朱里の事だろ」


 俺の言葉をさえぎって松山はそう言った。


 「なんですぐに朱里の名前が出て来るんですか?やっぱりなんか知っているんですか?」


 「おいおい、生徒が一週間も失踪していて、そいつと親しくしていた奴が、一番嫌いな人間にわざわざ会いに来るなんて、よっぽどの馬鹿じゃなきゃ察するだろ」


 言われて見ればその通りなのだが。


 「一応言っておきますけど、俺は別にあんたの事を嫌いだとは思っていませんよ。苦手なのは確かですけど」


 「へぇ、うれしいね。愛する生徒にそう言ってもらえるのは。それに、お前よりはあんたのほうが幾分かマシだな」


 「いや、そんな事はどうでもいいんですよ。仮にも担任なんだから、少しは朱里に何があったかくらい調べてるんでしょ?あいつどうなったんですか?朱里がいなくなってから大祐もいなくなっちゃうし、一体なんでこんな事に・・・」


 「そうだな」


 松山は少しまじめな顔になり、煙草を指に挟んだまま腕を組んで話し始める。


 「俺はこの教師って職に就いてから考えていたんだが、なんで社会の大人たちってのは高校生にもなるガキに対して心のケアだとか教育だとかにそんなに敏感になって甘やかしているんだろうな。子供ってのは傷ついて、挫折して、見たくないもの見せられて、嫌な事やらされて、やりたい事もやって、見たいものも見て、他人を傷つけたり、そう言う経験をして行くべきだと思ってるんだよな。そうじゃなきゃ意味がない。この思春期って時期はそうあるべきだと俺は思うんだよ。まあ犯罪者になって前科がついたりするのは別だけどな」


 「はぁ?いきなり何の話ですか?」


 「いや、これが大事な事なんだよ。子供達に見せたくないものだとか言って、悲惨な事柄を大人が隠してたら、子供達は大人になってから悲惨な事柄に立ち向かっていけるのだろうか。立ち向かっていけない大人はどうなってしまうのか。俺はいつもこんな事を考えたりしてるんだ。だから俺はどんな悲惨な事でも子供にはありのまま教えようと考えてる」


 俺にとって最悪な答えが返ってくると容易に察する事ができる松山の発言に、俺は何も言えなくなり、ただ次の松山の言葉を待った。


 「まあこれだけ言えば察するよな。そうだ。結論から言うと、朱里は二度と帰ってくる事はない。死んだって事だ」


 「え、ちょ・・・なんで・・・」


 少しは予期していたが、最悪の言葉を突然突きつけられた俺は言葉が出なくなってしまっていた。


 「ちょうど朱里がいなくなった直後に大祐も俺に聞きに来たよ。俺はその日たまたま学校に残っていたからな。その時に俺が知っている朱里の事を全部話してやった。そしたらあいつもお前みたいに言葉を失って、そのままどっか行っちまったな」


 「お前、あいつに朱里が死んだなんて言ったら何するかわかんねえって事もわからなかったのか?」


 「ああ、案外事態を受け止めるのが早くて感心したな」


 「ふざけんなよ!お前、大祐が何しようとしてるかわかってんのか?」


 「だからお前って言うなって、それにタメ口になってるぞ」


 「どうでもいいんだよ。今はそんな事。あんたのせいで大祐は大変な事をするかもしれない」


 「あいつが何するかなんて知らねえよ。でも俺が、悲惨な運命と戦うあいつらにしてやれる事は、真実を教える事だけだと思っただけだ」


 「お前・・・仮にも俺たちの担任だろうが」


 「ああ、そうだな」


 「これを見ろよ。今朝SNSに投稿されたものだ」


 そう言って、俺はスマートフォンを取り出し、SNSの投稿を松山に見せた。


 書き込みを見た瞬間、松山は人のそれとは思えないような笑顔を浮かべた。口角が上がってしまうのを無理矢理防ごうとしているのか、口を手で覆うが、我慢できないと言った様子で松山はぎらぎらと目を輝かせて明らかに笑っていた。俺はこの時、こいつを本当に悪魔か何かなんじゃないかと思った。


 「これが、あいつと何か関係あるのか?」


 一度深呼吸をして、あわてて先ほどの笑顔を消した松山は、授業をする時のまじめな顔を作ってそう言った。恐らくあの笑顔があいつが俺に見せた最初で最後の本当の顔なんだろう。


 俺はいつかの会議室での松山の優しかった笑顔を思い出し、やはりあれは俺の気のせいだったのだと思い、少し悲しくなった。


 「とぼけるなよ。あんたも気づいてるんだろ。これは間違いなく大祐の書き込みだ」


 「はは。まあそうだろうな」


 松山は笑いを堪え切れず、再び少しにやつきながら答える。


 「あんたのせいだぞ・・・。こんな事に・・・。なんとかしてくれよ」


 「わかったわかった。まあ任せとけよ。ちゃんと望み通りになるようにとり計らってやるから」


 そう言って松山は自分のスマートフォンを取り出して何かをしながら行ってしまった。何をしているのかはわからないが、今はあいつを頼るしかない事もわかっていた。


 激しくなってきた雨を見ながら、俺は先程見た松山の顔を思い出し、漠然とした悪い予感だけが頭の中をぐるぐると周り続けていた。




 「まあまあ。びしょびしょじゃない。傘持ってなかったの?」


 学校で松山と別れてから、俺は土砂降りの中家に帰ると、母親が心配そうに出迎える。


 「大丈夫」


 「大丈夫ってあんたね・・・。とりあえずお風呂に入りなさい」


 風呂から出ると母親は俺の方を見て心配そうな顔をする。


 「朱里ちゃん大丈夫かしらね」


 「まああいつの事だから大丈夫でしょ」


 「あら、あんた、友達の事なのに案外気楽なものなのね。それで落ち込んでるんだと思ってた」


 俺ももちろん不安だったが、母親相手に取り乱しても仕方がないし、松山に話した事で今自分に出来る事はやったと思い込み、少し安心していた。


 「朱里ちゃんのお父さんったらもう仕事も行かないで、寝ずにずっと探してるみたいよ。本当に大丈夫かしら」


 大祐が学校に来なかった日から俺は何度も大祐に連絡を取ろうと試みたが、返事は来なかった。俺はあいつの事を親友だと思っていたし、あいつも俺を本当にそう思ってくれていると思っていた。だがもう今はあいつの事がわからない。何でも助けてやりたいと思っていた。しかしどうしてあげればいいかもわからないし、どうする事もできない無力な俺にできる事は、松山を信じて祈るだけだ。


 そんな自分の無力さへの苛立ちから、母親の話が鬱陶しくなり、俺は無理矢理話題を変えた。


 「そういや俺の父さんってどんな人だったの?」


 自分でもよくわからないが、ふと唐突に父親の事が頭に浮かんだ。


 「あら、珍しいわねお父さんの事について聞くなんて」


 俺の父親は俺が二歳の時に事故で死んだ。だから顔もほとんど覚えていないし、実際何をしていたかもほとんど知らない。


 「でも最近の写真とかないのよね。あったはずなのに、いつの間にかお父さんの写真とかだけほとんどなくなっちゃったの」


 「なんだよそれ。なんでそんな都合よく親父の写真だけなくなるんだよ」


 俺は冗談みたいな話だなと思って笑いながら言った。


 「本当にわからないのよ・・・。元々あまり写真に写らない人ではあったんだけど」


 今更だけど遺影もないな。今までなんで疑問に思わなかったんだろう。


 「あ、でも一枚だけあるわ。昔の写真だけど、私ずっとそれだけはお守りとして持ってるの」


 そう言って母は財布を取り、中から一枚の写真を出した。


 写真を見た瞬間、俺は体中から一気に血の気がひき、あまりの事に全身から鳥肌が止まらなくなった。


 「ちょっとあんた、どうしたのよ。大丈夫?」


 事態を理解できず、頭の中がぐちゃぐちゃになり、完全に固まってしまっている俺を心配して母は声をかける。


 「あ、ああうん。大丈夫。こんな顔なんだね」


 「そうよ。なかなかかっこよかったのよ。私よりも二十歳も年上だったけど、お母さん大好きでずっと写真を持ち歩いてたの」


 昔話をする母親の声は全く頭に入ってこなかった。


 俺の頭の中では確信と疑念と謎が入り混じり、いつまでも解ける事なくぐるぐると回っていた。


 「これって何年前の写真?」


 「うーん・・・確か私が中学生の時だったから、三十年前くらいかしら?」


 その返答でますます俺は混乱する。


 あいつの年齢はどう見てもまだ三十歳かそこらだ。


 「お父さんは私の家の近所に住んでいてね、私が小学生の時からずっとかっこいいな~って思ってたのよ。初恋ってわけ。それがそのまま結婚できるなんて、私も案外少女漫画みたいな人生送ってるわね」


「そ、そう言えば母さんって俺の担任に会った事なかったっけ?」


「どうしたの突然?そうよ。あんたの学校は保護者が学校に干渉しちゃいけないって決まってるじゃない。だから学校も外からしか見た事ないし、先生も一人も知らないわよ。それがどうかした?」


「いや、なんでもない」


 その後も昔を思い出してうれしそうに話し続ける母の話しは、ほとんど頭に入って来ず、俺はもはや相槌を打つ余裕もなくなっていた。


 学校に保護者を干渉させない決まりもこのためにあったのか?とさえ思わせられる。


 写真に写る男の顔は松山の顔と全く同じだったのだ。

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