第2話 蜂
「あら、自分で起きれたのね」
母は朝食の支度をしながらこっちを見て笑う。いつも通りの卵焼きとウィンナー。
「うん、なんか目覚めた」
俺には父親がいない。俺が産まれた時には生きていたらしいが、物心がついたころにはもういなかった。いわゆる母子家庭って奴だ。生活は楽ではなかったが苦しくもなかった。週に一回は外食するし、欲しいゲームを買ってもらうとか普通の小学生の生活を送る事ができていた。
それは母親が苦労して働いているおかげでもあるが、俺のIQが人に比べて高いらしく、国が指定した小学校に通う代わりに、学費と住む家の家賃を国が負担してくれている。正直自分が他の子供に比べて優れていると言う自覚は全くないのだが、まあそういう事らしい。
俺にそう言った自覚がないのには理由がある。俺と一緒にその小学校に入学した他の生徒たちが、俺よりもはるかに優秀だからだ。もちろん子供によって得意分野に格差はあり、勉強だけではなく、運動の分野で優れている生徒も俺の小学校にはいる。だが俺はなんとその中で、運動も勉強も最下位だ。
小学校に入りたての頃はさすがに挫折みたいな事もしたが、まあ自分が特別な人間ではないと気づいたのが早くてよかった。俺のプライドが変に増長する前に、すぐにへし折ってもらえたのだから。もしもこれが中学からとかだったら、俺はもっと深い傷を負っていただろう。
「学校楽しい?」
母は毎日こう聞く。
「うん、まあ普通に楽しいよ」
そう聞いて母はいつも通り満足そうな顔をする。
「みんな頭いいし、大変だろうけど、あんたのペースでいいからね。あんたがこの学校行ってくれてるだけで私は凄い助かってるんだから」
「うん、置いていかれないようにはがんばるよ。みんないいやつだし、別に嫌な事とかはないし」
「そっかそっか」
母は満足そうにニコニコ笑いながら頷いて、俺が朝ごはんを食べている様子を見ていた。
「あ、そろそろ遥ちゃんが迎えに来る頃ね」
時計を見て母親は突然はっとしたようにそう言った。
遥は幼馴染で俺の家の隣に住んでいる。元々家が近かった俺達は、今の小学校に入る前から親を交えてよく遊ぶ事があり、偶然同じようにこの小学校に入る事になったので、引越し先も同じマンションにしたと言うわけだ。
「私ももうすぐ仕事だし、お化粧してこないと。まだ時間あるから祐介はちゃんと噛んでご飯食べるのよ」
今年で十一歳になる俺に、母親は物心ついたときからずっと同じ事を言っている。
「はいはい」
しかしこんな親子のやりとりが嫌いじゃない俺はいつもこうやって返事をして、内心少し満たされていたりした。
「ゆーちゃんおはよ」
家を出て、遥に会うと、遥はこれ以上ないんじゃないかって満面の笑みで俺を呼びかける。
「だからそのゆーちゃんっての女みたいだからやめろよ」
そんな遥に俺は照れくさくて、ぶっきらぼうに答える。こんなやりとりももう何回目だろうか。
「えへへ。いいの。私はそうやってゆーちゃんが返事してくれるのが好きなの」
「それはどうも」
遥は恥ずかしげもなく、平気で好意を俺にアピールしてくる。
「ゆーちゃん速いよ~」
さっさと歩く俺にそう言いながら遥は平気で着いてくる。
「うるせえ。早く行くぞ」
「そんなに急がなくても別に時間余裕あるじゃん」
遥はブーブーと文句を言いながらも、うれしそうに俺の横を歩いた。
学校に着くと既にほとんどの生徒が来ていた。俺も結構早く来ているほうなのに、こいつらはそんなに学校が好きなのだろうか。俺達の小学校は国に選ばれた、俺と同い年の生徒しかいないため、小学校とは言っても五年生の俺達しかいない。クラスもこの一クラスだ。
「お、祐介と遥。今日も仲いいね。おはよ」
「おす」
「大祐君おはよ~」
大祐は俺の、まあ親友って言える存在だ。親友ってのはなんか言うと恥ずかしいが、多分そういうものだ。親友なのだが、俺と違って大祐は勉強も運動能力もトップクラスだ。つまり文句なしの天才である。
「なんか今日井上来るらしいぜ」
「え、なんか今日試験とかあったっけ?俺なんもしてないけど」
「わかんね。なんか昨日ネトゲでチャットしてたら来るって言ってた」
「まだお前もネトゲしてたんだ」
ネトゲとは、インターネット上で行うオンラインゲームの略で、大祐と井上は一緒にそのゲームをやっているらしい。
「まあ日曜日だったしな。暇つぶしとしては楽しいよ。お前もしてみたら?」
「いや、俺はいいや」
俺はなんとなく井上と馬が合わない。
この学校の生徒は三十人いるのだが、四年の夏から一人が全然登校してこなくなった。とは言ってもこの学校には出席数が少ない事による罰則等は無く、単純に試験で一定の点数を取れていたら進級させてもらえる。井上はいわゆる不登校の引きこもりなのだが、いじめ等と言った理由で登校してこないわけではない。たまに学校に来る時は割とみんなと仲良くやっている。
「って・・・え?」
問題の引きこもりが、本当に登校してきた。
「お、本当に来たんだ」
「おう。大祐おっはー」
少し太った井上は、眠そうな顔をしながら返事をした。
「お前また朝までやってたのか?」
「いや~いつものノリでやっちゃったね。まあ明日は多分休むしいいかなって」
井上は重度のネトゲ中毒で、学校にも来ずに四六時中ゲームをしている。こいつの引きこもりの理由はこれだ。大祐とは何故か馬が合うらしく、大祐も井上と遊ぶためにたまに一緒にやっているようだ。こいつの成績はもちろんクラスで最下位のほうなのだが、それでも俺よりはいい。と言うかこいつがドベ二で俺がドベだ。そういう事もあってか、俺はなんとなく井上が気に食わない。別にだからどうするってわけじゃないが。
「で、なんで今日来たの?」
大祐がみんなが気になっている事を聞いた。
「いや、その言い方だとなんか俺来ちゃいけないみたいなんだけど」
へらへら笑いながら頭をかいて井上は続けた。
「なんか今日俺らの担任変わるらしいよ。だから今日くらいは来いって昨日電話かかってきた」
「え、そうなんだ。なんでこんな中途半端な時期に?」
思わず俺はそう聞いた。
「いや、俺も知らない。なんかそれだけ言われた。つか学校内でイチャイチャすんなよ。お前らみたいなリア充見るのが嫌で学校来たくないんだよな~」
遥がずっと俺の横にひっついていたらしい、その状態が普通すぎて気づきもしなかった。ちなみにリア充とは現実世界が充実している人間の事を、ネット界隈ではそう呼ぶらしい。
「あ、え?ああ、おい、いつまでひっついてんだよ。早く席戻れよ」
「えーやだよ。授業始まるまではゆーちゃんの隣いるもん。井上君余計な事言わなくていいから」
「ひ~怖いな~。俺も遥ちゃんみたいな嫁欲しいわ」
そう言ってへらへら笑いながら井上は自分の席に戻った。
「気にすんなよあいつ本当はなんとも思ってないし、なんとなくの冗談で言ってるだけだから」
大祐が笑いながらフォローした。
「うん。私達も四年まではほぼ毎日会ってたわけだからわかってるよ」
遥は気にもとめないそぶりで相変わらず俺の横にひっついている。
俺はちょっとだけ本当にイラついていた自分に気づいて少し恥ずかしくなった。
そうこうしている内にチャイムがなり、突然教室のドアが雑に開けられた。
「おーっす。元気かクソガキ共」
その男は眼鏡をかけて、見た目は普通のまじめそうな青年なのだが、態度がどう考えても教師のそれではなかった。
「今日からお前らの担任になる松山だ。特に質問は受け付けない」
「小松先生はどうしたんですか?」
生徒の一人が聞いた。小松先生は先週までの俺達の担任だ。
「おい?質問は受け付けないって言っただろ。しょうがねえな。小松先生はお前達みたいなややこしい奴らの面倒見るのに疲れたってさ。だから俺が国から派遣された。ちなみに俺は高校までお前らの担任だから、まあ長い付き合いだしよろしく頼むわ」
さすがに小学生の教室なので、松山の発言に教室内は大きくざわついた。
「おいおい、お前ら頭いいんだろ?いちいちどうでもいい事で動揺すんじゃねえよ。小学生とも言えど、無駄な時間を使うな。お前らの一分一秒は他の人間に比べるとはるかに貴重なんだぞ」
「いや動揺するでしょ。いきなり担任が変わって、新しい担任がよくわからない口の悪い兄さんで、ちゃんとした説明もしないって」
よせばいいのに大祐が噛み付いた。
「俺が教師らしくないってのは自覚してる。認めよう。だけどお前も俺にタメ口だなぁ~?生徒なら教師には敬語使うだろ?お前も生徒らしくないしお互いさまだな」
ニヤニヤ笑いながら松山はそう答える。いや答えにはなってないが。俺は何も言えなかった。なぜか松山のニヤニヤ笑う顔が異常に不気味で、怖かった。
ってあれ?
「どこかで見た事ある気がする・・・」
はっと声が出ていた事に気づいて、俺はあわてて口をつぐむ。
「お、お前は万年ドベのクラス一のポンコツ、祐介君じゃん。よくまだ学校にいる気になるなぁ」
「先生。もう自己紹介は終わったんですか?もう授業の時間なんですけど。私達は一分一秒も無駄にできないみたいなので。早くしてもらえると助かります」
松山の言葉にかぶせるように遥が言った。遥は静かに普通の口調で言ったが、そこには俺達が今まで感じた事のないような殺気みたいなものを感じた。
「おー怖い怖い。じゃあ授業すっかね~」
あっ。と思い出したかのように松山は俺の方を向くと、不気味な笑顔を浮かべて言う。
「残念ながら俺とお前は初対面だ」
「案外授業はまともだったな」
昼休みに大祐がつぶやく。
「うん。正直めっちゃわかりやすかった。むかつくけど」
俺も同調する。
「まあ、あいつみたいな教師が今は必要なのかもな」
「え、なんだいきなり」
「いや、ああやって生徒達の敵になるような教師がさ。ああいう奴がいたら生徒達は教師を目の敵にするだろうから、クラス内にわざわざ敵作っていじめなんて起きたりしなさそうじゃん?」
「うーん。そんな単純なもんかな」
「案外そんな単純なもんだって。アメリカの映画とかでも宇宙人と戦うときはロシアと協力して戦ったりするじゃん」
「それは映画の話じゃん」
珍しく子供みたいな事を言う大祐に少し笑いながら答える。いや子供なのだが。
「うーん。実際そう言うのあると思うんだけどな。こんだけいじめだかなんだかで世間が騒いでるのも、そう言う教師がいないからじゃね」
「なくもないと思うけど、普通の学校は教師側も難しいんじゃない?目立ったことしたら、それこそ親とか世間がうるさそうだし」
「まあ、それもそうなんだろうな。いずれにしてもうちのクラスとかじゃいじめなんて起きないし、別にあいつがあんな教師である必要もないけどな」
大祐はうれしそうに俺のほうを向いて笑い、話し続ける。
「祐介は小松先生好きだったしな」
「小松先生なぁ・・・。どうしたんだろう」
大祐に言われて小松先生とのやり取りを少し思い出す。
『どうして勉強なんてしなきゃいけないの?』
ちょうど去年くらいの放課後、いくら勉強しても他の生徒に追いつけない俺は小松先生にそんな事を聞いた。
『しょうがないのよ。今のこの社会はね、個々人の才能で全ての子供を計る事ができないの。だから努力すれば誰でもある程度はできるようになる勉強をさせて、それで競わせてふるいにかけるのよ。もちろん教養として役に立つ事はたくさんあるけれどもね。一番の理由は大人達が子供を管理するのに一番楽な方法だからでしょうね』
『そんなの社会とか大人が悪いんじゃん』
『そうよ。社会も大人も腐ってるの。だからあなたが変えるのよ。あなたは優秀なんだから。その為に、まずは社会に認められないといけないの。だから勉強しましょうね』
『そんなの僕には無理だよ・・・。大祐とかの方がずっと勉強できるし、あいつに頼んでよ』
『祐介君にしかできない事もあるのよ。だから・・・そんな事言わないで』
そう言う小松先生はなぜだか少し悲しそうな顔をしていた。
「どうしたんだ遥。えらく機嫌が悪いな」
家への帰り道で、一緒に帰るときはいつもうれしそうにしてる遥が、終始ふくれっつらをしている。
「当たり前でしょ。あの新しい担任。ゆーちゃんの事あんな風に言って、殺してやろうかと思ったわ」
「殺してやろうって・・・。なんで遥がそんな怒ってんだよ。まあ変な奴だけど、あいつの言ってる事、否定もできないから気にしてねえよ」
「だからってあんな言い方ひどいよ。ゆーちゃんの事何も知らないくせに」
本当にそうなのだろうか。あの不気味な笑顔を思い出す。あいつの顔は、まるで俺の全てを知っていて、俺のすべてを見透かした上で、俺のことをあざ笑っているかのようだった。
「まぁまぁ。いいってもう。俺は気にしてないし、大丈夫。授業自体はまともでわかりやすかったしな」
実際授業が始まってからは無駄な話もなく、かといって退屈もしない完璧と言える授業をしていた。
「そういや井上、明日は来るのかな?」
「んー?どうだろ。今日は呼ばれたから来たって感じだし、ゲーム忙しいみたいだし来なさそう」
「なんか俺どうしてもあいつの事好きになれないんだよな」
「へー。ゆーちゃんも他人に対してそういう事思ったりするんだ」
「そりゃな。まあ基本的には井上くらいだから不思議なんだよな。大して学校に来てないのに俺より成績いいからとかそういう理由かと思ったけど、そういうもんでもないんだよな。なんか気に入らないんだよな」
「うーん。生理的な問題なのかな?女子は結構気持ち悪いって思ってる子いるみたいだよ。なんかやらしい目で見てくるときあるし。みんな口には出さないけどね。私は嫌いってほどじゃないけどね。ゆーちゃんと引っ付いてると文句言ってくるのはうざいけど」
「俺のはそういうのじゃないと思うんだけどなぁ・・・」
「あ、わかった!」
突然遥が思いついたように言う。
「井上君、大祐君と仲いいから、ゆーちゃん嫉妬してるんだね」
「はぁ?なんだよそれ。そんな事あるわけないだろ」
「あー嫉妬しちゃうな~。ゆーちゃんが、私と言う女がいるのにも関わらず、大祐君を取られて井上君に嫉妬してるなんて」
「だから違うって」
とは言いつつも、大祐が井上とネットゲームで仲良く遊んでるのはなんとなく気に食わない自分もいる。
「あはは。まあいいじゃんそんな事。あ、なんなら私たちも一緒にゲームしてみる?ゆーちゃんがやるなら私も一緒にするよ」
「やんねーよ」
「えー。ゆーちゃんと一緒にゲームするのも楽しそうなのになぁ」
遥は別にどっちでもいいと思ってる癖に、心底残念そうな顔をした。まあ俺が言うのもなんだが、こいつは俺と話せてればなんでもいいんだろう。
そんな事を話している間に家に着いた。
「今日はゆーちゃんの家に泊まろうかな」
「何言ってんだよ。ちゃんと帰れ」
「えー残念。一人で寝るのが寂しくなったらいつでも言ってね」
「ばーか。じゃあ、また明日な」
「うん。また明日」
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