花火のあと

@Akirpap

第1話 花火のあと

 梅雨も明ける頃だと言うのに雨が降る。雨の中、空を見上げると、夜空にはきれいな星が見える。雲があるわけではないらしい。不思議な景色だ。

 

 悲劇のクライマックスには雨が似合うのかもしれない。雨は主人公の悲劇性を際立たせるのだろうか。俺は誰かが仕立て上げた舞台で踊る、哀れなピエロだ。雨が降っても、孤独に耐えられなくても、大事な人が死んでも、舞台を降りることは許されない。


 人は自分の過去を振り返った時、全ての思い出を鮮明に思い出せるわけではない。俺が思い出せるのは、思い出の中の一瞬の断片にすぎないのだろう。それほどに人の記憶と言うものには限界がある。だから結びつける。悲しみと雨を。そうやって記憶に刻み込む。


 今俺の腕の中で、一番大事な人が死んでいった。彼女はいつも俺の前で幸せそうに笑っていて、それは俺にとって救いだった。その彼女が幸せだった瞬間は、俺にとっても幸せであり、楽しい時間だったからだ。


 だが俺は数年も経てば忘れてしまうのだろう。その幸せだった思い出も、楽しかった思い出も、いずれは断片しか思い出せなくなってしまう。彼女は俺だけをまっすぐに愛し、俺のためだけに死んでいった。彼女はおよそ十八年の生涯のうちの大半を俺と過ごし、恐らく俺のために生きていてくれた。でも俺はその彼女と過ごした時間の断片を、それらを全て繋ぎ合わせたとしても、数時間程度しか覚えていられないのだ。


 「人生は時々襲い来る孤独感との闘いだ」


 大嫌いだった奴の言葉が脳裏をよぎる。


 人はみんな悲劇を迎えるのかもしれない。愛を知り、愛する人の死を、失う事を悲しむ事が出来るのに、どうしてもその現実から逃れる事ができない。産まれた瞬間から、俺達は愛する人の死に直面する事が決定づけられている。誰が用意した舞台なのか、その悲劇は主人公が自ら舞台を降りるまで続く。


 でも俺にとって本当に悲しいのはそう言う事じゃなかった。愛する人を失うと言う事は確かに悲しい。しかし、予期できていた死、覚悟できていた彼女の死に直面した今、俺は予想していたよりも取り乱したりする事はなかった。彼女が死ぬまでは、俺は彼女が死ねばどれだけ悲しい思いをするのだろうかと覚悟していたが、いざ彼女が死んだ今、彼女の死を夢の事かのようにちゃんと受け止めていられず、ただ呆然と、来る時が来てしまったと現状を冷静に考えていた。


 恐らくこれから彼女のいない日常を生きるにつれ、次第に彼女の喪失感を感じ、今よりも悲しい思いをするだろう。しかしその感覚も段々と薄れていく。彼女との楽しかった時間、思い出を、全て一秒も漏れずに思い出す事はできない俺は、彼女を失った今の時間を、ほんの一瞬しか覚えていられないのだろう。そして俺はいずれ、彼女の喪失感から癒され、立ち直ってしまう。


 今感じている彼女が段々と冷たくなっていく感触を、俺は恐らく忘れていく。人はきっとそうやってできていないと壊れてしまうのだ。


 だからせめて、この彼女が死んでいく感触だけは少しでも長い時間覚えていられるように、これは悲しい事なんだって、ちゃんと俺は悲しいんだって自覚するために、冷たくなった彼女を強く抱きしめ、雨と共に彼女の温もりを記憶に刻みこむ。


 誰かこのまま幕を引いてくれないだろうか。もうこの物語を終わらせてくれないだろうか。こんな思いをするのが主人公の役目ならば、俺はずっと脇役でよかったんだ。

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