第4話
私は水を飲んで、そしてペットボトル内の流動や気泡を見つめる。私は何かを忘れていた。
その何かは鶴橋駅で思い出した。鞄の中から彼女の財布が出てきた。
電話をかけると、暫く待っていてほしいとだけ答えた。
私のいたホームと反対側から彼女が降りてきた。寒かったであろうから、駅を出たところにあるタイヤキ屋でアンコ味のものをよこした。
「これわたしのから出したの」
「そんなわけないやん」
すると彼女はなきはじめた。ほんとうに良かったと。ともすれば大学を辞めなければならないのかもしれない末法的厭世に囚われたそうだ。
「ついに稼いだぶんからも見放されるのかと思った。ほんまに助かった」
私が乗りたかった近鉄の快速急行が走り去っていくのがみえた。
「寒いから、もう帰った方がええやろ」
「そっちは大丈夫なん」
「近鉄に乗って奈良駅まで帰るだけ」
「ちょっと付き合って」
私はまたしても手をひかれて居酒屋に連れていかれた。ここはそこそこ安いからと磨りガラスの向こうに踏み入ると暖房が効いていて韓国語での談笑が耳についた。
私はビールと焼き鳥。彼女は聞き馴染みのない料理名をいい、出てきたものは胡麻油の匂いが香ばしい手巻き寿司だった。一つどうときいた。さっきの店でたらふく食べていたため遠慮した。
「自分、落とし物を届けた人は謝礼を要求できるの知らんねんな」
「僕が返し損ねたんやから、お互い様やろ」
「さっきさ、なんかキレてたやん」
「覚えてないよ」
「あんときにさ、なんでこんな度数も値段も高いやつを皆で頼まなあかんねんって思っててん」
「僕は断ったんやろうな」
「そうそう、で、ケチケチすんなよって笑われてさ。僕は、ヤバイくらい小説を読みたいし映画もみたいからって言ったら、そんなん意味ないって言い返されとんねん」
「まあ、意味はないんやろうな」
なるほど、と酔っていたから忘れていた。
先日出会ったOBも趣味に読書と答えたら何の本と聞き返した。タイトルをいってみた。
「それやったら半沢直樹とかって答えやなあかんで。あれを読んでいかにサラリーマンが働いているかに感銘を受けた。って面接で答えると話題になるやろ」
「話題ですか」
「そう。人に興味をもってもらわなあかんからな」
記憶を弄んでビールを飲んだ。そういえば彼女と乾杯はしなかった。それに疑問を抱いていなかった。既にジョッキの半分くらいになっていた。
「あんときさ、自分がへべれけになって言ったんが面白すぎてさ」
彼女は私のふりをするため目を無理に細めた。
「意味意味うっさいねん。お前らに意味がないだけやろ。あぁ、今までうんこ味のうんこしか喰わずに育ったからカレー味のカレーを喰ってる僕が羨ましいだけのくせによぉ、私に興味ねえだろうし私も興味ねえわ、ばぁか」
「酷いやつやな。品のなさは絶交もんやで」
「そいつ目の前にいるねんけど」
幾日もしないうちに、メールアドレスを教えてくれと連絡がきた。そして、pdf10枚ほどの短編が送られてきた。件名には今のところ一番の自信作とあった。人をくったような短編であった。
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