第2話

「正しく歩めることなんてないに決まってる。そもそも、歩む道がどこに向かってるのか」

知った風なことをいうOBだ。あんたは私より3年ばかり早くうまれて2年早く社会人になっただけじゃないか。

新大阪駅から降りていちばん近くにある喫茶店で落ち合った。

「現役合格できなかったことすら、これが自分の人生だと肯定的に捉えることで面接にのぞめるんよ」

私には見えない立方体の何かを持ち上げるような仕草を繰り返し、握りこぶしを上下にふる。

彼が着続けたスーツの皺やネクタイの結び目のシミ汚れに視線がいった。婿の靴がすり減っていれば善き伴侶だという格言はどこのものだったか。

「ところでお仕事の内容を伺ってもよろしいでしょうか」

「もちろん」

彼はコーヒーに手をつけた。

「普段のスケジュールを教えて下さい」

そうやなぁ、と手で顎をなで回して、煙草に火をつけた。

「あぁ煙は大丈夫?」

ええ、と答えると、僕の顔に向かって紫煙を吐き出した。

「新入社員のときなら、8時に出勤して、メール確認とかをして、先輩に付き添って取引先に行ってたな。ルート営業っていって、うちらんとこは地銀やから個人経営のとこが多いかな。法律で決まってるからさ。ほんな法人はまた別の手際がいい人がやったりとかしてた」

それから彼は、潰れかけていたパン屋を救うことができた話をした。

「俺がそのパン屋の財務状況を審査したときは問題ないって思ったとしても、稟議すると審査に通らないってことがあってさ。そんときもそうやった」

彼の鼻が広がった。私は先を促した。

「この店は俺が最初に見つけた優良な取引先になるって、必死に説得した。証拠を揃えたけど、ここだけの話、けっこう無茶な計画やったと思うわ。今ではできひんな」

時計に目をやって時間やからごめんなと行って立ち去った。

午後の講義には出なければならなかった。大講義室の窓際で、顔の前でこっちに来いと手を振るリュウは今年で25にも関わらず幼稚園児のようなアクションを交える。

さっきのOB訪問について、適当にまとめて話した。

「それにしてもさ、今度、ゼミの後輩に就活の話を聞かせてくれって言われてさ」

「頑張れっていえばいいんじゃないですか」

言葉は誰かが吐いた後のものばかりだから、それでもいいと思うのだが。スマホを眺めるとラインの未読が増えていた。

「リュウくんは日本で働くのかな」

「面接は受けてます。国では、自分は微妙な頭しかないんで、働けそうにないんですよ」

「日本じゃあ、しんどいんとちゃう」

「でも、日本ならサブプライムローンも知らないし英語もしらない人ばかり、私は中国語も知ってます」

素晴らしい。彼は立派な社会人になれる。

メールを受信した。

「ワードじゃわるいから、pdfにしておきました。また読んでください」

網島さんから2ヶ月ぶりに短編小説が送られてきた。スマホで読むのは辛いから、毎度げんなりする。今夜の帰りの電車では読みかけのカポーティーは諦めるしかないみたいだ。


「送ってくれたら読んであげるから、書いてみてよ」とメッセージが送られたことがある。小説を読むのは面倒だ。まして義務ならなおさら。この苦痛を押し付けてよしとする気にはなれない。

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