待ち焦がれていた瞬間が訪れる前に、

バタン、とドアを閉める大きな音が

階下から聞こえて、

彼は素早く私から体を離した。


だれ、、?


嫌な予感しか、しなかった。

それはどうやら当たっているようで、

彼の顔が一瞬にして青ざめた。


「紗佳! 隠れろ!! 」


息だけの声で、

しかしものすごい剣幕で、

今まで私に見せたことがない怖くて険しい表情で、

私に言葉を投げた。


「え、」


良くないことが起こっているのはわかっていても、

状況が理解できない私がぐずぐずしていると、


「はやく!!!

と、とりあえずベッドの下に!

はやく!!」


彼の勢いに押されて、

言われるがままに隠れた。


次の瞬間、


「たあ~けえ~るう~く~ん~


あれえ?


どこにいるのかなあ?」


ドスンドスン、ドスン、ドスン、


陶器の割れる音、

何かが倒れる音、

食器の割れる音、

何かが衝突する音、

壁を蹴る音、

狂った怒鳴り声、

何かを床に叩きつける音。


恐怖、恐怖、恐怖、恐怖、恐怖。


耳をつんざく音、

鼓膜を破りそうな音、

地震のような地響き。


恐怖、恐怖、恐怖、恐怖、恐怖。



「とっとと出てこいやあぁ!!!!!」



ドンッッッッ!!!

耳を塞ぎたくなるほどの轟音。

おぞましい陽気さを伴った声。

ドスン、ドスンドスン、ドスン。

声の主が階段を踏み鳴らしながら着実にこの部屋に向かってくる。


・・・おそらく、

彼の父。


怖くて怖くて、

息を押し殺して部屋の扉が開くのを待つことしかできない。


頭が真っ白になって、

何も考えられない。


でも。

そんな中でもひとつ理解できたのは、

彼のアザの原因がおそらくその人であるということ。


あなたは毎日、

こんな身の縮むような思いをして

身も心もズタズタになっていたんだね。


想像を超える惨状。


私には無縁すぎるこの非日常が、

彼にとっては日常であるなんて。


はやく気づいて、

あなたをここから逃がせたのはきっと、

私しかいなかっただろうに。


その私が、

その私が、

最低な女であったことも、

彼の不幸の要因のひとつであって。


でも彼は私を選んだ。


あなたは、

あなたは

あなたは。


苦しみすぎている。


そのアザが物語る苦しみよりもはるかに大きな苦しみを、

背負っている。


なぜ、

気付かなかった。


これほどまでの苦しみに、

なぜ、

気付けなかった。


苦しみ、苦しみ、苦しみ。

薄情、薄情、薄情、薄情、薄情。

苦痛、苦痛、苦痛、苦痛、苦痛。

冷酷、冷酷、冷酷、冷酷、冷酷。


彼女として以前に、

人間として失格な、


わたし。



あともう少しで

声の主が階段を上りきろうとするとき、

彼が部屋を飛び出した。


ドアをしっかり閉めて。


う、うそ、。

わたし、を、守ろうと?


私も立ち上がらなきゃと思うのに、

体が動かない。


意気地無し、卑怯者、薄情者。


どんなに心の中で悪態をついても動けない、

私。


「学校、今日、行かなかっただろ?


てめえ、

ふざけてんのかあっ!!!」


怒鳴り声とともに響く

衝撃音。

 

ドサリと人が床に崩れる音。


「ああ?

くたばってねえで、

とっとと立ちあがれやあっ!!!」



や、め、て。


やめてやめてやめて。


やめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめて!!!!


もう、隠れてなんかいられなかった。

私も、行かなくちゃ。

意を決してベッドの下から這い出て

震える足でドアに駆けよって部屋を出ようとしたとき。


先程とは打って変わった

怯えたような声が聞こえてきた。


「死んだ、の、か?」


「おい!おい!」


「答えろ!まだ死なせねえぞ!」


「おい!おい!」


「勝手に死んだふりしてろ!」


「に、逃げないと、や、やばいかも」


ドタバタと階段を駆け降りる音がして、

玄関のドアが勢いよく閉まる音がした。


思わず、

へなへなとその場にしゃがみこんだ。


でも安心なんかしていられる場合じゃなくて、


「尊くん!!!」


部屋を飛び出て彼の名前を呼んだ。


そこに、は。

わずかに頭から血を流して倒れている彼がいた。


「尊くん!」


私が呼んでも、びくともしない。


う、そ、

死んだふりなんかじゃない、


もしかしたら、


もしかしたら、

もしかしたらもしかしたらもしかしたら!!!


溢れそうな涙をこらえて、

無我夢中で救急車を呼んだ。

無機質なやりとりがもどかしい。

早く、早く、早く。


ゆすっても何をしても動かない彼。


やだ、やだ、やだ、

やだやだやだやだやだやだやだやだ!

だめ、だめ、だめだめだめだめだめ!


尊くん、尊くん、尊くん尊くん尊くん!!













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