言い終わるや否や、
私は大きな温もりに包まれた。
私、抱き締められてるん、だ。
ぎゅ、っと、
普段のあなたからは想像できない強い力で、
私のことを抱きしめる。
私の頬をかするあなたの髪の毛、
身体中から伝わるあなたの体温、
頭と腰にまわされたあなたの大きな手、
あなたの胸に押し当てた耳がとらえるあなたのせわしない鼓動、
ふわりと香るあなたの匂い、
かろうじて聞こえるあなたの小さな息遣い、
安心感をもたらすあなたのたくましい体。
全てが愛しくて、
胸が苦しいくらい、
息が辛いくらい、
心臓が速く動いて、
私の体があなたの温もりに歓喜する。
あなたの腕のなかで息をすることが、
こんなにも素晴らしいことだなんて。
胸にじわりと押し寄せる、温かいなにか。
好き、以上の
もっと密で濃厚な感情が私を支配する。
身体中から溢れているであろう私の想い。
想いというものがもし見えるなら、
今はきっと、大洪水。
そしてそれが全部全部、
あなたに伝わりますように。
「さや、か」
すぐ上から降ってくる、
あなたの私を呼ぶささやき声に
ぞくりとする。
もちろん、
良い意味で。
ふっと私の耳にかかるあなたの吐息が
少しくすぐったくて、
たまらなく気持ちいい。
あなたが言葉を発すると同時にあなたの体から伝わってくるほんのわずかな振動が、心地良い。
私の心も体も、
すべてがあなたを感じ、
あなたを欲する。
まるで、
あなたに抱き締められるためだけにこの体が在るよう。
全身で、
あなたを感じられている今このとき。
なんて幸せな時間なんだろう。
「名前、
もういっかい、
呼んで。」
さらに私を抱きしめる彼の力が強くなる。
「たける、くん」
彼の鼓動が速くなる。
「好き、だよ。
尊くん。」
もっともっと、
私を強く抱き締める。
痛いけど、
そんなことは
全く気にならない。
あなたと一体化しているような、
私があなたに溶け込んでいるような、
幸せな不思議な感覚。
「俺も。
俺も、好き。
ずっとずっと、紗佳が好き。」
私の心臓が、
びくんと跳び跳ねて
きゅーっと苦しくなる。
そう、その言葉だよ。
その言葉が、聞きたかったの。
じんわりと温かいなにかが、
全身を駆け巡る、
全身に行き渡る。
ゆっくり、
おそるおそる彼の背中に両腕を回す。
傷があるかもしれないから、
痛くしないようにそっとそっと、
両手の手のひらを彼の背中に添える。
呼吸に合わせてゆっくり動く彼の背中。
「もっ、と、」
彼に言われるがまま、
少し手に力をこめた。
「痛く、ない?」
やっとのことで聞こえるくらいの小さな声で、
彼に問う。
「大丈夫」
彼の言葉を聞いてから、
ゆっくり手を動かして、
彼の背中を撫でる。
今にも壊れてしまいそうな薄いガラス細工に触れるときのように、
丁寧に。
私も彼も、
だんだんと心臓の動きが穏やかになって、
ゆったりしてくる呼吸。
初めて抱擁した興奮が落ち着いてきて、
猛烈な熱いあなたへの想いだったものが、
安心感へと変わってゆく。
このまま、
私たちを除いて
時が止まってしまえばいいのに。
このどうしようもなく平和な時間が、
いつまでも続けばいいのに。
私が彼の背中を撫で始めたら、
彼は私の頭をそっと撫でた。
ぎこちない動きだけれど、
大きい手に
ゆっくり優しく触れられて、
彼がまた一段と愛しくなる。
私の頭を上下に撫でる愛しい手。
ときどき彼の指先が私の頬にかすかに触れて、
鼓動が一瞬、速くなる。
頭を撫でられているだけなのに
とても心地よくて、
なんだかふわふわした気分。
頭から伝わるあなたの体温、
手の感触、
何もかもが今の私を幸福にする。
でも、
私を抱きしめる強さとは反対に、
今にも崩れてしまいそうな儚いあなた。
今、どんな表情をしているのかな。
ゆっくり彼から離れようとするけれど、
「あともうちょっとだけ。」
掠れた色っぽい声でそう言われて、
ぐい、と
再び彼の腕のなかに閉じ込められて、
私を求めてくれることに嬉しくなって、
私はまたあなたの中にすっぽりとおさまる。
「俺なんか、が、紗佳と付き合って、いいの?」
私を抱き締めたまま、
言葉を紡ぐ彼。
「なんかが、じゃなくて、
尊くんじゃないと、私は嫌だよ。
尊くんがいいの。
尊くんこそ、
私で、いいの?」
「俺も、
紗佳が、いいんだよ。」
「私と、付き合ってくれる?」
「うん。もちろん。」
どうして私のことを振ったのかなんて、
聞かなかった。
多分、
私があなたを好きじゃないことと、
自分の状況を考えて
私を振ったんだろうから。
尊くんに聞かなきゃいけないこと、
相談に乗らなくちゃいけないこと、
助けなきゃいけないことがたくさんある。
私が、
名残惜しく思いながらもそっと体を離そうとすると、
尊くんは私を抱きしめる力を緩めて、
私を解放した。
ゆっくり離れる体、
聞こえなくなる尊くんの鼓動、
身体から空気中に逃げていく温もり、
一気に冷える肌、
嫌でも目に入る尊くんの顔のアザ。
つい数秒前まで抱き締められていたのに、
すでにもう彼の体温が恋しくなって
左手で彼の手をとって握れば、
彼もまた、
私に応えるように優しく握り返してくれて
親指で私の手の甲をそっと撫でた。
空いた手を彼の頬に添えて、
触れるか触れないかのごくごく小さな力でアザの上に指を這わせた。
彼が痛くないように。
自然と視線が絡み合い、
あなたの黒くて綺麗な瞳に吸い込まれそうになる。
「ごめんね、
花火大会のとき。
何も考えずに、
見てて暑いなんて軽々しく言って。」
彼の頬から手を離して、
彼が着ている長袖Tシャツの袖をそっとまくる。
彼は一瞬、
びくっとして腕を引っ込めようとしたけれど
私になら見られてもいいと思ったのか、
私にされるがままにしていた。
そこに現れたのも、
青紫色や、黄色のたくさんのアザ。
「そんなの、謝らなくていいのに。
俺は、隠してたんだから。
気づかないのは、当たり前。」
ふわりと笑ったあなたの笑顔が、
優しすぎるがゆえに痛々しい。
「でも。
私は気付きたかったの。」
「・・・好き、紗佳。」
「会話が成り立ってないんだけど。」
くすっと私が笑えば、
あなたも笑って
私の頬を撫でる。
「いいの。
思ったときに俺は言うから。
会話の途中でもなんでも。」
「じゃあ、
私もそうする。」
私の言葉が意外だったのか、
あなたは一瞬、目を丸くしたあと
「嬉しい」
照れたように目を逸らした。
照れた顔、
花火大会まではあまり好きじゃなかったなあ、
なんて思いながら、
今ではその表情がどうしようもなく愛しい。
自分がさらっと言いのけた言葉を相手に言われた瞬間に照れるだなんて、
不思議な人。
「ね、これからは、私に頼ってよ。
私、
尊くんの力になりたい。
今まで尊くんに、
たくさん支えられてきたから。」
真っ直ぐあなたの目を見て、
私は固く決意する。
私は必ず、
あなたの心の拠り所になれるようにするんだ、と。
「ありがとう。
紗佳も、だからね。」
あなたは嬉しそうに微笑んで、
私の髪の毛に手を滑り込ませる。
しっかりとは触れない、
ほわほわした感触がもどかしい。
彼に髪の毛をもてあそばれながら、
私に注がれる甘い視線を気恥ずかしく思いながら、
私は頭をフル回転させて次の言葉を考える。
聞きたいことはたくさんあるのに、
どう切り出していいのかわからない。
今までの私なら
深く考えずにぽんぽん言葉を口から吐き出していたのに。
アザのことも、
就職のことも。
どういう言葉を使えば、
彼をなるべく傷つけずに済むのかがわからない。
私が黙ったままでいると、
不意に彼が両手で私の顔を挟んだ。
「・・・キス、していい?」
あまりにも突然の言葉に、
どきりとする。
彼のまなざしは熱を帯びて
目がとろんとしていて、
目の前の彼は今まで見た彼のどれとも違う雰囲気を纏っていた。
これが色気、というものなのだろうか。
恥ずかしさで返事ができないでいると、
「ごめん、もう待てない」
私の目を真っ直ぐ見据えてそう呟いたかと思うと、
急に彼の顔が近づいてきて
慌てて目を閉じた。
再び速くなる鼓動、
体の芯からわきあがる熱いもの、
すぐそこに感じる彼の気配。
初めてのことに、
どうしても興奮と緊張で強張る体。
私のおでこを
かすかに彼の髪がかすり、
より一層、
すぐ次の瞬間に待ち構えることへの期待が高まる。
でも、
幸せというのはいつのときも、
花火のように一瞬にして散ってしまうみたいだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます