第8話 始まる仕事と終わる関係
外へ出ると、もう空が暗かった。結構な時間、セリーヌさんと話していたらしい。そういえば、アジトの外見を見るのは初めてだった。アジトは知っている場所だった。駅の反対側にある廃工場だ。夏祭りで毎年恒例の肝試しはここで行われる。今年もここだった。
「陽菜、ご両親には連絡しなくていいの? 多分家には帰れないわよ」
「大丈夫です。親は今日、帰ってこないので」
「そう。じゃあ、捜索始めましょう」
「セリーヌさん、歩きですか?」
「そうね。でも二人だけじゃ足りないわ」
セリーヌさんは地面に八枚、黒い魔法陣を広げた。
「黒もあったんですね」
「ええ。これには怪異が封じられてるの」
ナイフの先で手のひらを浅く差し、そのナイフから滴る血をそれぞれに落とした。すると、小さいペガサスと茶色くて小さい怪異が四体ずつ、現れた。
「うわあ、小さくて可愛い! ペガサスってこんな小さいんですね」
「いいえ。これは人工的に小さくした怪異。そして茶色いのがブラウニー。本来は家事を手伝ってくれる怪異なんだけど、こういうこともしてくれるの――さあ、ペガサスたちは空から、ブラウニーたちは陸から探してきて。遭遇しても戦っちゃダメ。すぐに私に知らせて」
八体の怪異たちはそれぞれ肯定の返事をすると、三々五々に散っていった。
「さあ、私たちも行きましょう。早ければ一時間くらいで見つかるわ」
「はい」
こうして、私たちはドラゴンの捜索を開始した。
ドラゴンがどういう風に動いているのか、全く分からないらしい。例えばエサがあるところとか、隠れられるところとか、そういうルールみたいなものがいつもはあるそうなんだが、今回はそれがなく、いい状況でない理由はそれもあるそうだ。
私たちは魔導方位磁針の矢印を頼りに進んだ。アジトで見たときと同じ方向を指していた。動いていないのか、魔法陣が剥がれたのか。剥がれていないことを祈るが。どっちにしても頼れるのはこれしかない。信じて進むしかない。
二人で歩く夜道は静かだった。私の革靴とセリーヌさんの靴の音が響く。
「陽菜、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「ドラゴンについてですか?」
「いえ、ただの雑談よ。ガールズトークでもしようかと思って」
「はい、いいですね」
「学校って、どんなところなの?」
セリーヌさんは怪異のことを話すよりも楽しそうに、聞いてきた。学校について聞くのはガールズトークにしては華のない質問だが、私は答えた。
「楽しいところですよ。行ったことないんですか?」
「私はずっとこの仕事してるから。名前は聞いたことあるわよ」
「セリーヌさんみたいな人は人気者になれますよ。学校は同じ服を着た同年代の人たちがいる場所で、お勉強するところです」
「あなたが着てるそれをみんな着てるってことね」
「はい。私のはセーラー服っていうやつですけど、男の子は学ランっていうのを着ています。年齢ごとに学年って言われる区分けがされてて、さらに三十人くらいの団体に分けられています。学校は勉強だけじゃなくて部活とかイベントとかもあります。運動会とか文化祭とかのイベントはクラスごとでやることもあります」
「部活? 聞いたことはあるわ。スポーツとかやるんでしょ」
「はい。でも具体的なことはよく分かりません。やってないので」
「そう。でも随分、
楽しくなさそう?
いや、楽しく――はない。楽しいものか。学校じゃ陰みたいなものだ。誰にも見てもらえない。そんな学校生活が楽しいものか。
「そんなことないですよ。学校は楽しいです」
私はそう答えていた。見てくれないのは私だけだ。他のみんなはちゃんと誰かから見られていて、楽しくやっている。だから、きっと学校は楽しいところなのだ。それなのに、『学校は楽しくないところ』と教えてしまうのは間違っている。だからこれで正解。
「そう」
セリーヌさんの声は静かな空気に混ざった。彼女の綺麗な声はやっぱり魅力的だった。
『まさにあなたは私の光よ』
その一言で惑わされているのかもしれない。
彼女だって結局見ているのは――
「ペガサスが来たわ! ブラウニーを連れてきたみたい」
急にセリーヌさんが空を指さした。そこには宙を白い翼で舞う小さいペガサスと足で挟まれているブラウニーがいた。ブラウニーは怖いのか、短い足をバタバタさせている。
セリーヌさんは上に手を伸ばして、二体を手の上に乗せた。すると二体はセリーヌさんに向けて何かをアピールするように手足をバタバタさせた。何かを伝えたいらしい。しかし私には分からない。セリーヌさんは理解しているようだが。
「分かったわ。頑張ったわね。お疲れさま。アジトに戻っていて」
セリーヌさんはそう労いながら、再び二匹を真夜中の空へ放った。
「あの、どうだったんですか?」
「ドラゴンがこっちに向かってきてるみたい」
「え!」
「怪異は夜になると活動も活発になる傾向がある。ドラゴンの場合は、それがあまり顕著に出るタイプじゃないけど、きっと能力が上がるくらいはするでしょう」
槍の柄を握る。
「ここで待ち伏せる」
「え」
「私が合図したら引き返してアジトまで走りなさい。結界が貼ってあるから、逃げ込めばドラゴンは入って来られない」
「でも、セリーヌさんが……」
「私なら大丈夫。今度は退治の準備完璧だから」
「分かりました」
「やばかったら、あげた白い魔法陣を使いなさい。使い切っていいから」
「はい」
「――来るわ」
槍を抜いた。
それと同時に――ドラゴンが空からアスファルトに着地した。
お出ましである。
荒い息。吹き付けられる熱風。鋭い歯。牙。同じく鋭い目。大きな図体。足。
「――行くわよ」
走り出すセリーヌさん。槍を振り回してドラゴンの背後へ回り込む。前回は上からの攻撃だったのを、今度は平面的な攻撃。
「はああああああああっ!」
彼女の雄叫び。陰になって全く見えないが、どうやら槍の刃をドラゴンに当てているらしい。ドラゴンが
痛そう。
苦しそう。
「逃げなさい、陽菜!」
「は、はい!」
セリーヌさんの合図だ。逃げなきゃ。来た道を引き返して走り出す。
セリーヌさんの声。
ドラゴンの呻く声。
それを背中で聞きながら走る。後ろを振り返るな。言われた通り走れ。そこで思い出す。私は白い魔法陣を胸に貼って、指を噛んで血を出して、それをつける。そして念じる。どうすればいいのかな。逃げなきゃ、逃げなきゃ……!
「私の足を速くして!」
叫ぶと周りの景色が急に動き出した。風も強い。いや、私の足が速くなったんだ。これであのアジトまで戻れば、大丈夫。来た道をひたすら戻る。もっと近い道があるのだが、そこまで頭が回らない。とりあえず逃げる。とにかく逃げる。ドラゴンからはどれくらい離れただろうか。風の音が全ての音をかき消している。自分の息の音すら聞こえない。息が苦しい。脚が痛い。体が冷たい。感覚がもうなくなりそうだ。
――見えてきた。セリーヌさんのアジト。あそこへ行けば何とかなる。
早く、早くあそこへ――
「陽菜!」
そんな声が届いて振り返ると、遠く離れていたはずの――ドラゴンが私をみつめていた。
どうして? 私はこいつから逃げていたはずなのに。どうしてここにいる?
……動け。動け私。ちょっと動けば、もう結界の中に入れる。そうすればこいつは近寄れない。でも動けない。こいつに睨まれると動けない。そうだ。魔法陣、魔法陣を使おう。あれをまた私に貼って、無理やり動かそう。無理だ。魔法陣をポケットから出すこともできない。まずい。このままじゃ――食われる。
「赤い魔法陣を出しなさい、陽菜!」
「は、はい!」
ここでようやく体が動く。赤い魔法陣は対怪異、つまりこいつに効く。私はもらった全てに血をつけて、思いっきりそれを投げる。全部投げる。えっと、念じなきゃ。えっと、えっと……
「遠くに飛んで行って!」
すると、風を切って辺りの民家を破壊しながら遠くに飛んで行った。すっ飛ばされた。
ようやく息が落ち着いてきた。冷たい風が感じられる。
――危機は免れた。もう少しいい判断をしていれば、この私でもドラゴンを倒せたかもしれない。またドラゴンを野に放ってしまった。
「陽菜、よく頑張ったわ。なかなかいい働きだった」
「……何もできませんでした。結果、ドラゴンをまた逃してしまったし、それも遠くにやってしまって……しかも、被害も出しちゃいました」
「この程度なら想定の範囲内、なんとかできるわ。それに私の合図で動いてくれたし、あなたはできることをやってくれたわ」
慰めてくれているのか。それとも本気で……? そんなわけない。
だってセリーヌさんはそう言いながら、大きい魔法陣を広げているから。
「これを使って帰りなさい。そしてゆっくり休んで」
「……はい」
「あなたは本当に頑張った。巻き込んでごめんなさい」
血をつけて、魔法陣につける。三回目ともなれば慣れてくる。
紙の縁に沿って光り始める。発動の合図だ。
「 」
最後に何か言った気がするが、私はお辞儀をしてお別れをした。
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