第3話 気にしないなんてできない
女――セリーヌと名乗ったあの女は、そのまま去って行った。結局、あの化け物が何で、あの女が何者だったかは分からない。ただ、あれが悪夢ではなく現実であったことは確かだった。誰もいなくなった公園の地面に大きな足跡が残っていた。あれは確かにあの化け物――ドラゴンの足跡だ。
私は現実にいる。そしてあのドラゴンが目の前に現れた。あの女も現れた。全てが現実に起こった事実だ。やっぱり悪夢を見ているとしか思えなかった。
さて、そんなこんなで翌日。たとえ現実離れしたことが起きようとも、学校は普通にある。どんな悪夢みたいなことがあっても、学校には行かなければいけない。だから私は通学路を歩く。昨日のことがあるので、公園は通らなかった。少し時間がかかる道だったが、安全の方が大事だ。
ドラゴン。
緑色の髪の女――セリーヌ・クーヴレール。
ドラゴンはさておき、あのセリーヌという女、どうも普通の人間とは思えない。ドラゴンと対峙して怯えない時点で普通の人間ではないのだろうが、それを抜きにしてもただ者じゃない。
一体誰だったのだろう。
そんなことを考えながら通学路を歩き、学校に着いたのは八時過ぎだった。
「おい、委員長」
教室に入ろうと扉を開けると、目の前に南雲くんがいた。いつもは遅刻ギリギリの彼が来ているところを見ると、どうやら私を待ち構えていたらしい。
「おはよう、南雲くん。今日は早いね」
「ああ、いや、大掃除の件、気になって」
「あ」
忘れていた。ドラゴンとあの女のことを考えすぎて、すっかり頭から抜けていた。
「やってない」
「しっかりしろよ。締め切り明日なんだろ」
「うん」
「もし大変だったら俺、手伝うけど」
「いや、大丈夫。今日中に終われるから」
「そう」
まあ頑張れ、と南雲くんは席に戻っていった。
私も着席した。とりあえず、あの化け物と女については忘れよう。明日が期限の仕事があるんだから、今はそっちに集中しよう。私は荷物を置いて、先生からもらった役割分担表を広げる。さて、仕事をしよう。
だが、ここで分担表にドラゴンとセリーヌという名前をつらつらと書いてしまったことは詳しく述べないでおく。いや、もう少し述べておくと、やっぱりそう簡単には考えを切り替えられなかったということだ。
ドラゴンってどんなやつだったっけ。翼、どんな感じだったっけ。体は何色だったっけ。そういえば覚えてないな。爪は鋭かったな。どれくらいの長さだっけ。あいつ、どんなことができるんだろう。飛んでいたのは見たけれど、火とか吐くのかな。
緑色の髪の女、セリーヌ・クーヴレールとか言ったっけ。髪と目の色一緒だったな。どこの国の人なんだろう。赤い紙みたいなの持ってたけど、あれは何だろう。ドラゴン怖がってなかったのすごいなあ。武器、あれは槍だよな。あれをあんなひょいひょい使えるのすごいなあ。いくつなんだろう。二十歳? 二十一? いや未成年かもしれないなあ。同い年だとしたら大人っぽいなあ。綺麗な人だったなあ。ドラゴン追いかけるって言っていたけれど、どうするんだろう。
そんなことがずっと頭から離れなかった。こんなことを考えても私はどうしようもない。ドラゴンもあの女も、たまたま遭遇しただけだ。
が、昼休みの私は図書館にいて『世界の怪物辞典』なるものを読んでいた。開かれているページは『ドラゴン』という項目のところだ。
ドラゴン。
「鋭い眼光で睨む者?」
しかも、ギリシア語が語源ということは西洋の怪物ということか。
鋭い眼光――ね。
あいつが現れたとき、確かに怖い目で睨まれた。あれはドラゴンの習性みたいなことだったのかな。
一通り知識を蓄えたあたりで時計を見てみると、授業まであと五分を切っていた。まだまだ気になることがあるけれど、ここは高校生として授業を受けなければならない。私は本を閉じて、カウンターで借りる手続きをして図書館を出た。
地下の洞穴を住処にしている、とか書いてあったっけ。でも、昨日遭ったのは公園だし、そもそもこの辺りは都心部とまでは言わなくても、田舎ではないから山もないし、洞窟なんてあるわけがない。
教室への廊下で、またそんなことを考えていた。
「あなたが詳しく知る必要はないわ」
綺麗な声がした。そして同時に横から冷たい外気が流れ込んできたのを感じた。そっちを見てみると、いつも閉まっている窓が開いていた。しかしそれよりも、私は風になびく緑色の髪に目がいった。
「セリーヌ・クーヴレールさん?」
「ええ。昨日ぶりね、お嬢さん」
彼女は靴を履いたまま廊下に入ってきた。そして、私が脇に抱えていた本を取り上げた。
「ちょっと!」
「ドラゴンを探るのは私の仕事よ。あなたには関係ない」
「いいじゃないですか。ちょっと気になっただけなんですから」
「まあ、その程度ならいいけど」
彼女はドラゴンにも似た鋭い目をした。抑圧的な目だ。
「深入りはしないで」
「え?」
今にも刺されそうな目。
「あなたと私たちは違う。違う世界の住民なの。こっちの世界に足を踏み入れないで」
――いや、刺そうなんていう目ではない。突き放す目だ。
「……はい」
私が答えると、彼女は
「いい子ね。じゃあ、これは返してあげるわ」
本を押し付けるようにこっちに渡すと、さようなら、とウィンクして去って行った。
深入りはしない方がいい――分かっている。あれはヤバいやつだ。深く突っ込まない方が絶対にいい。いっそのこと、記憶が消えれば楽なのにな。
そんな都合のいいことは起こらないと、私は分かりきっていた。
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