第1話 私の出遭いは突然で

 私立七星ななつぼし高校の終業時間はだいたい三時半だ。クラスによっては違うのだろうが、私のクラスは三時半前後には解散になる。それは今日のような寒い日でも変わらない。

「気を付け、礼」

 私の号令で頭を下げると、クラスメイトたちは教室から出ていく。たいていの人は友達を待ったり雑談に花を咲かせたりしているので、すぐ下校はしない。授業中までおしゃべりをしている連中は一体どんなテーマで会話をするのか、いささか疑問だ。

 が、それはいつものことなのであまり気にせず、私は帰路へ就く。一緒に帰るような友達はいない。七星高校は私にとっては地元の高校なので、小さい頃、同じ教室で学んでいた仲間もいなくはないのだが、彼らは彼らで友達がいる。結局私は一人なのだ。

 下駄箱で上履きと革靴を履き替え、外に出る。外の空気はひんやりと冷たい。やはり十二月となると、制服は薄い。風が吹けば空気が服の布地を通り抜けて肌に当たる。明日からはコートを着てきた方がよさそうだ。

「委員長」

 私を呼ぶ声がした。友達のいない私にも名前を呼んでくれる人はいて(そのときは大抵なんらかの用があるときで、雑談を振られることは絶対にない)、そのときは先生でさえきちんと名前で呼んでくれるのだが、私の周りでただ一人、名前を呼ばない人物がいる。呼びかけに応えて振り返ってみると、やっぱりその人だった。

 南雲なぐも一斗いちと。同じクラスの出席番号二十六番。彼のことをよく知っているわけではないが、特別に変わった点のない、普通の男子生徒だ。強いて言うなら、友達の多い方ではない、ということだろうか。知っている限り、彼が友達と話しているところを見たことがない。ずっと彼を見ているわけではないので、たまたまそうであるだけだろう。

 さて、そんな彼がどうして私を呼び止めたのか。それは聞いてみないと分からない。

「どうしたの?」

「先生がそろそろ大掃除の日程と担当を決めてほしいって」

「あ、そうだった」

 やっぱり業務連絡だった。

「明後日の放課後までに教えてくれって言ってた」

「うん。ありがとう」

 学期末恒例の大掃除の詳細は委員長の仕事として私が決めることになっている。日程は先生からいくつか提示され、それを私がクラスメイトに聞き、最終的な日にちを決める。担当は出席番号で区切っていて、うちのクラスは三十二人クラスなのでだいたい十一人ずつに分けて、さらに役割を決める。掃除箇所は教室だけなので、床の水拭き担当、掃き掃除担当、机と教卓とロッカーの雑巾がけ担当、黒板とその周り担当……全て出席番号の何番から何番はこれ、という風に私が勝手に決める。みんなもう高校生なので、それが気に食わなくて文句をつける人はいない。いや、それどころか誰が決めているのかさえ知らないのかもしれない。知らなくていいが。ただ、どうせこの役割分担が意味のないものだということは何となく分かっている。単純な話、きちんと清掃をやらないのだ。高校最初の友達作りは大抵席の近い人から始まるようで、出席番号で担当を決めると仲良しが固まる傾向にある。仲良し同士が固まるとどうなるか、想像がつくだろう。先生が見張っていればある程度はしっかりやってくれるのだろうが、うちの担任はそんなことはしてくれない。忙しいとか何とか言って、こういうのは生徒に任せてしまう。大掃除なんて結局、おしゃべりの場でしかなくなるのだ。

 しかし、頼まれたからにはやるべきだろう。先生は生徒を頼りにしているつもりなのだから、それに応えてあげなくてはいけない。それを抜きにしても今日は急ぎの宿題もなければ、用事もない。息抜きのつもりでやろう。

 歩き出すと、すでに南雲くんはいなかった。別に構わない。彼はただの伝言係だ。仕事を終えてどうしようと知ったことではない。

 さて、ようやく帰り道を歩く。学校から家まではそう遠くない。徒歩での登下校がいい運動になる程度だ。私の通学路には大きな公園が含まれている。遊具はないけれどいつでも誰かはいるような、そんな市立公園だ。毎日大きな公園を縦断して、登下校しているのだ。途中にコンビニがあるので、そこで菓子パンやらおにぎりやらを買って軽いピクニック気分で公園にとどまることもよくある。ときには読書を嗜んだりもする。私の楽しみの一つだ。

 今日は時間があるしいい天気だけれど、やめておこう。先生に頼まれた大掃除の件がある。それが片付いたらまた本でも読もう。ちょうど好きな作者の新作が発売されたばかりだ。三年ぶりの新シリーズというので、とても気になる。その作者はデビューしてから今までの十五年間、全部で二十作ほどの小説を執筆している。だが、単行本が得意な作家さんなので、シリーズは過去に二度、冊数にして八冊しか出していない。私は二十の作品を全て読んだが、やはり単行本の方が面白い。シリーズ本ももちろん面白いのだが、どうも同じ設定で違う作品を書くというのが不慣れな感じだ。作品作りというのをしたことがない私がこんな批判をするのはいささか行き過ぎた行為だろう。よし、ではこれだけ言っておこう。あの人が書く作品は傑作!

 そんな風なことを考えながら公園を歩いていた。だからこそ、異常な状況にずっと気付けなかった。異常というか、不思議。なんとも思わないくらい当たり前だと思っていた景色が、不気味に感じた。私はその異様な気持ち悪さに出口付近で来た道を振り返った。そして私の感じた異常は、驚きと恐怖に変わった。

 誰もいなかったのである。

 昼間の市立公園に人がいない。毎日通っていればそんな日もあるだろうが、そんな理由で納得できない気持ち悪さが胸を締め付けた。誰もいない――誰も寄せ付けない。そんな風に感じた。しかし、こんなのは所詮、私の感覚に過ぎない。きっとたまたま人がいないだけだ。気にすることなんてない。それにそんなことで立ち止まっている暇はない。私には先生から任された大切な仕事があるのだ。

 さあ、帰ろう――と足を動かしたそのとき。周りの音が掻き消えるほどの突風にあおられた。気付けば十数メートルほど飛ばされていて、持っていた鞄が手元になかった。体には落ち葉や小さな木の実が体に打ちつけられて痛かった。風はすぐに止んだので、ゆっくりと目を開け、起こった状況を確認した。

 大きな翼に、大きな胴体、鋭い牙――目の前にいたのは、ドラゴンだった。

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