5話:天使の話

「――君の傍で、君を守りたい」


 そう言って晟を抱き寄せ、抱き寄せられた晟の瞳から、透き通った涙が頬を伝って滑り落ちる。そこにあるのは先刻までの悲しみなどの負の感情とは違い、穏やかで暖かい、嬉しさから来る安堵の涙であった。


「ーーそ、んな……どうして……」


「晟のことが、好きだからだよ。晟のことが、大好きだからだ」


「あり、がとう……」


 晟は、込み上げる数多の感情を落ち着け、一番大きい感謝の気持ちとその言葉を優先し、肯定する。

 その言葉を聞き、龍翔の抱きしめる力が少し強くなるのを感じ、晟もまた抱き返す。


 そうしてる時間は、間違いなく、今までで一番幸せな時間だった。


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 二人が屋上から病院に戻ってきたのは、部屋を出てから20分程経ったあとだった。


 幸い、屋上に行くまでの道では誰とも会っていない。晟の話曰く、命に別状はないと言うことを聞き、龍翔の親も晟親も夜のうちに家に戻っていて、次に来るのは今日の夕方頃だそう。しかし全身に怪我を負って一晩しか経っていないのにこんなに勝手に動き回って、医者に見つかりでもしたら怒られるのは必然だ。そんな感じに笑いながら話をして二人は少し急ぎ目に病室に戻る。


 そうして病室の扉を開けた二人の頬は一気に強ばる。龍翔と晟以外誰も使わないはずの病院に、人影が見える。二人がいないことに気付いた医師。しかしそれにしては病院の中は静かすぎる。もし二人がいなくなったことに気づけば病院内は慌てた医師や看護師などがいても不思議ではない。寧ろいない方が不思議だ。つまり、そこにいるのは他人である。隣の晟の反応を見る限り、晟の知り合いでもなさそうだ。それでは一体この人物は何者なのだろうか。それが分からない今、龍翔は静かに晟を自分の後ろへと引っ張る。万が一、晟だけでも逃せるための行動。しかし、その不安も、警戒も、行動の意味も、その人影の一言で砕かれる。


「おかえりなさいませ。お迎えにあがりました」


「ーーは?」

「ーーえ?」


 二人をーー否。龍翔を前にして深々と丁寧に頭を下げる謎の人影。その風貌は黒く肌の露出を限りなく抑えた服を纏い、眺めの黒髪で顔の左側を隠している背の高い女性だ。髪で隠していない方の赤く細い右目で龍翔の目をひたすらに覗き込んでいる。

 想像していた未来と全く掠りもしない現実に、二人の疑問は尽きない。

 おかえり?お迎え?身に覚えのない言葉が、さらに疑問を深める。


「あぁ、先ずは自己紹介からしないとですね」


 コホンと咳払いをした後に正しかった姿勢をさらに正し、


「私は『時』を司る天使クロと申します」


 ーーは?

 少しは理解できるかもと期待して聞いた自己紹介で、まさかの疑問の追加。時を司るとはなんなのか。天使というものが存在するのか?存在するのだとしてもなぜ今現れた?理解ができない。できるわけが無い。

 それなら、聞くしかない。


「て、天使……ってのは、どういう? 分かるように、説明してくれないか?」


「そうですね。私としたことが、少々焦ってしまいました。先ずは腰を下ろして落ち着いて話しましょう」


 説明してくれとの頼みを、即座に頷き落ち着いて話をすることを提案したクロ。その態度から敵意がないことを確認し、二人も落ち着いて話し合うことを選択した。


「先ずは私の立場からお話します。私の名前はクロ。先程も言った通り、時を司る天使です。私が来たのはこの世界とは別次元の、この世界でいえば『二次元』や『異世界』と言ったようなものです」


 そんな現実味の帯びない話に目を丸くして正気を疑うが、嘘をついているような感じは微塵もしない。とりあえず、全て聞くことが最善だと、二人はそう判断し黙って聞き続ける。


「私が来たその世界は、こっちでは伝説となっている存在などが多数共存する世界です。四天王を初めとし、それに仕える天使が私ともう一人『場』を司る天使がいたりします。その他にも色々な存在がありますが、今はこの二つだけで十分です。そこで私が来た理由ですが、先程も言いましたとおり、あなたを迎えに来ました」


 そう言い切ると、クロは龍翔の方をじっと見る。

 見つめられる恐怖で一瞬目を逸らした龍翔だが、その後直ぐに向き直り、恐る恐る口を開く。


「さっきから、言ってることの意味が、分からない。迎えってのは、なんだ?死とか、そういう類のものか?だとしたらそれは待ってくれ。まだ俺は生きているし、今のところ死ぬ理由もない。死にたいとも思わない、だから……!」


「いえ、そうではありません」


 話の意図が掴めない龍翔は考えがどんどんと悪い方向へ向く。そしてあともう少しで平静を保てなくなりそうだった龍翔の言葉をクロが打ち切る。そして一呼吸置いてから説明の続きを始める。


「良いですか? 私が迎えに来たのは天への誘いではありません。この世界とは違うところへ誘うといった意味では同じになるかもしれませんが、少なくとも死ではありませんし、痛みも苦しみもありません。私は、あなたを元の世界へお帰りいただくために、お迎えに上がっただけです」


 今の説明で、恐怖は消え、何とか平静を保つ。しかし、疑問が尽きることは無い。クロの言う、『元の世界』とはなんなのだろうか。天野龍翔は、この世で生まれこの世で育った。別の世界に行ったことなど、記憶にない。


「説明だけでは理解するのが難しいかもしれませんね。だとすると、少し記憶を取り戻して頂きたいと思います」


「記憶、を?」


「はい、そうです。あなたの過去……ではなく、『前世』の記憶を、取り戻して頂きます」


 そう言ってクロは椅子から立ち上がり、水晶を乗せたステッキのようなものを浮かび上がらせ、右手でそれを握るとそれを龍翔の方へ向け軽く手首で回す。


 その瞬間、龍翔の意識は今いた世界から隔離され、気を失いその場に倒れ込む。


「龍翔くん!?」


 それを見ていた晟は咄嗟に龍翔に肩に手をかけて龍翔の名前を叫ぶ。


「大丈夫です。記憶を取り戻して頂くまで、少しの時間気を失うだけです。彼に記憶が戻れば直ぐに意識は回復します。五分もあれば戻ってくるでしょう」


 そう言って、クロは椅子に腰を掛け、晟は龍翔をベットの上に寝かす。

 そして、龍翔の意識が戻ってくるのをじっと待っていた。

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