3話:絶望の炎

 ーーッ!


 龍翔が元気よく部活に登場してから約3時間後、練習も終わろうとしていて、龍翔と優也は先に着替えて片付けを手伝っていた時、突如として起こった衝撃音から、事件は起こった。


「なんだ! どうした!?」


 片付けを手伝っていた顧問が叫び、音がした方を一斉に見る。


「ーーは?」


 そこには、激しく音を立てて燃え上がる炎があった。炎は卓球場と反対の、体育館のステージ上から発火しているようだ。

 余程の衝撃的な発火だったのか、ステージ上の暗幕は焼け焦げ、ステージもほぼ全壊だ。そして、炎はステージ全体に燃え広がっていた。


「やべぇ! 逃げろ!」


 体育館一階で練習していたバスケ部が叫んでいる。ボールを投げ捨てみんなが一斉に逃げる。それを目にして、反応が遅れたことを龍翔や顧問は後悔する。だがその後悔の時間も今は惜しい。直ぐにでも避難しなければ、本気で誰かが死ぬ。


「おまえらも逃げろ! まずは一年からだ! 二年は一年を誘導して一階に下ろせ! 天野と佐野は先に下に行って一年を外まで誘導しろ! 場所は火が届かないところなら何処でもいい!俺は職員室に報告しに行く! あとは頼んだ!」


「はい!」


 顧問の咄嗟の指示に遅れることなく返事を返し、顧問に続いて二人は階段を降りる。三年間昇り降りしていた階段だ。その三年間で色々な降り方を試している。中学生なら誰でもするであろう遊びの一つ、階段遊びだ。

 それが今役立つ。どのくらいの勢いで跳び降りればいいか、そんなことは考えるまでもなく体が判断する。


「こっちに降りて来い! ここから出て真っ直ぐ駆け抜けろ! とりあえず校庭まで逃げればいい!」


 二人の素早い行動で何とか遅れを取り戻す。普段は開閉しないドアを開け、そこから一斉に逃げる。これもまた、三年間通っていた二人だからできる判断だ。

 この二人の行動を見れば、顧問の指示も流石と言える。これなら顧問がいなくても問題は無い。

 二人の指示に従い、一年も直ぐに逃げる。しかし人数が多い。幸いにもバスケ部とは逃げるドアが違ったが、それでも一年だけで20人ほどはいる。半数が避難したかというところで一人が最後の階段を踏み外し、それに後ろの人が躓きドミノ倒しに……


「危ねぇ!」


 とはならない。一人が転んだところで龍翔がカットに入る。転んだ少年の後ろにいた人の前で手を入れ、ドミノ倒しを防ぐ。そのカットの直後に優也が転んだ一年を素早く抱えて集団から抜ける。少々荒々しいが、最善であったことには違いない。

 そのまま、優也は転んだ男子を抱えて外まで抜ける。

 そして龍翔も、落ち着いてから手を退けて再び避難を再開する。


「焦らなくていい! 1段ずつ確実に降りろ!」


 そして一年が降りきり、降りた一年を二人は校庭まで誘導する。

 二年が自力で逃げられると信用しての行動だ。それにもうすぐ教員が来る頃合いだと予想していた。

 現に、二年の行動は一年よりも速やかではあった。が、二年の数は一年よりも多い。時間としては一年と同じくらいかかるだろう。

 そんな避難劇は、開始してから五分を経過しようとしている。

 教員達が来る気配もない中で、避難を続けていたその時ーー


「ーーは?」


 一年と校庭に逃げている途中、龍翔は真横の光景に力のない息を漏らした。

 教員が来ない、それは当たり前のことだった。校舎の周りに植えられていた木が、全て倒れているのだ。職員室からの経路は塞がれていて、その木の奥に見えるのは、呼びに行くと言って先に職員室に向かった顧問と、彼に呼ばれたであろうほかの教員達だ。何とか木の隙間を潜っているが、あれではあと数分はかかる。待っていられない。そう判断した龍翔は、一年を優也に任せ一人体育館に戻る。

 突然の衝撃音と出火、狙った様に教員と生徒を分断する木、一向に来る気配のない消防隊。この火災で消防隊を呼ばないわけがない。ーー嫌な予感がする。


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 ーーそして、嫌な予感は見事に的中した。

 人間か、神か、天か。何者かの運命の悪戯だ。龍翔にとって、最も残酷で卑劣な。


 先程まで使用していた通路が、塞がれている。塞いでいるのは、やはり木だ。体育館周辺の木はなぎ倒されていて、火が燃え移っている。そして体育館の中には、晟が残っていた。


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 時は僅かに遡り、龍翔が戻る直前まで、避難は続いていた。

 そんな避難の中、晟は最後尾にいたが、もう逃げ切れると確信していた。

 しかし、そんなに甘くはなかった。火が燃え移っている木が、音を立てて倒れてくる。


「ーーぁ」


 それに呆気を取られ、晟の前を逃げていた少年が足を止めてしまう……

 ーー違う。止まって、しまったのだ。

 逃げ切れると確信していただけに、その喜びが一瞬で壊された時、極度の絶望に陥る。絶体絶命の危機に、足が竦んでしまったのだ。

 足は、体は、仏像の様に重く、固くなる。自力で動かすことなど到底できない。

 それを見た晟は全力の勇気と力を込めて、前の背中を押す。

 約4時間の練習後、燃え広がる炎で酸素が薄くなって、極度の緊張で精神的にも肉体的にも辛い状況。力など出るはずもない。

 元々小柄だった晟の体は、押した反動で後ろに跳ね返される。

 だが、やった。跳ね返されはしたが、倒れてくる木からは救えたはずだ。

 友人を救えた安堵と、その代償である死の恐怖の狭間で、晟はこの上ない脱力感を感じる。もう、力は込められない。込められたとしても、全ての逃げ口を塞がれたこの状況では、何も出来ない。

 極度の脱力感で、意識が遠のく。目前の光景が歪み、意識が朦朧とする。

 朦朧とした意識の中、様々な人が走馬灯の様に脳裏を過る。

 父親の叱りの言葉、母親の励ましの言葉、兄弟との喧嘩、祖父母の明るい笑顔、友人との思い出、教師の教え、先輩の優しさ、後輩の可愛さ。その中には勿論、龍翔も優也も映っていた。

 ーーそして、ここで死ぬのだと、そう感じていた。

 10数年の短い時間で、幕を閉じるのだと、そう思った。

 涙が頬を伝い、床に落ちる。悲しいからか、怖いからなのか。自分の終わりを理解し、静かに、ただ静かに……


「晟ァァァァァァッ!!!」


 しかし、その静かさは突然の叫びによって見事に打ち砕かれた。


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 燃える木の向こうで、体を抑えられながら叫び続ける龍翔の姿がある。

 右手を優也に掴まれ、漸く来た教員に腰を掴まれて左手を晟に向けて泣きながら叫んでいる。


「離せ! 晟を助けに行く! 早く離せ!」


「馬鹿! あの火だぞ! 危なすぎる!」


 無理に体を振り解こうとする龍翔を必死に止める。


「危ないから行くんだろうが! 晟がいるんだ! あの危険な火の中に!」


「あともう少しで消防隊が来る! それまで待て!」


「待ってられるか! 火はもう晟を囲ってる! もう時間がねェんだよ!」


「おまえが行っても助けられる確証はない! 無駄死にするようなもんだろ!」


「ならここで見殺しにするってのか!? ふざけるな! そんなこと出来るわけねェだろうが!」


 燃え広がる体育館を前に口論は続く。龍翔は一番可愛がっていた後輩を救いたい。だがそれは不可能に近い。出来たとしても龍翔が死ぬ可能性もある。燃える火の中に入るのは自殺行為と同じだ。

 それは中にいる晟が一番理解している。

 だからーー


「ーー来ないで! 危ないから! 龍翔くんまで巻き込みたくない!」


「晟……何言ってんだ! 危ないから助けるんだ!」


「龍翔! やめろ! 落ち着け!」


 晟と優也が必死に止めるもそれを聞く気は無い。そして、龍翔が取った行動は……


「うるせぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」


 掴まれていた右手を無理矢理に捻り肘を突きだし、優也の手を外す。かなり強引ではあったが、腕を掴まれた時の護身術に似ている。

 そして両腕が自由になった龍翔は、そのまま腕を回してその反動を利用し、全力で体を捻る。限界まで体を捻られ、そのままフックが緩んだ腕を掴み、回転を利用して引き剥がす。素人に出来るはずもなかった、素早い身のこなしだった。

 そしてそのまま、叫びながら火の中に飛び込む。


「晟ァァァァァァ!!!」


「おい! 待て!」


 優也の叫びに耳も貸さず、燃えて脆くなった木を蹴り壊し、前屈みでできる限り腰を低めて、晟の元へ駆けつける。火はもうすぐそこまで迫っている。一刻の猶予もない。直ぐに抱えてでも戻る必要がある。

 それなのに、『最悪』だ。この場において、この状況において、最も最悪なことが起こる。建物の、体育館の崩壊が始まる。壁が焼け崩れ、逃げ道が塞がれていく。支えを失う屋根も崩れてくる。

 もう一刻の猶予もない。悩んでいる時間も、考えている時間もない。動くしか、ない。抗うしか、ないのだ。


「晟! これを被れ!」

「龍翔くん!?」


 そう言って渡したのは羽織っていた上着だ。龍翔は私服のときでも何かを羽織っていないと落ち着かないと言って夏でも薄手のパーカーを羽織っていた。羽織っていたパーカーを渡し、晟の頭に被せる。


「俺が背負うから、何がなんでもしがみついて小さくなってろ。一瞬でも力抜いたら死ぬと思え。俺もできるだけ支える!」


 何故か冷静な口調に聞こえた。まるで、最後の先輩としての優しさのような。そんな強くて優しい声だった。そしてーー


「クッ……ァァァァァァァ!!!!」


 燃える火の中に正面から突っ込み崩れている壁を体当たりで突き破る。まさに猪突猛進と言った感じだ。そして出口まで突っ切り、最後は全身の力を足に集中させて思い切り外に飛び出した。そこで力を使い切った龍翔は受身など取れるはずもなく、顔面から地面に飛び込んだ。


「ぅ、ぁ……」


「ーーッ! 龍翔くん! 龍翔くん!?」


 力のない声を漏らし、全身の痛みに体を丸める。

 もはや痛みに叫ぶ力も転がり回る力もない。

 そんな龍翔を見て、背負われていた晟は必死に龍翔の名前を呼ぶ。


「おい! 大丈夫か!?」


 優也が龍翔と晟の元へ駆けつけ声をかける。


「な、とか……ぁきら、は?」


 龍翔はなんとか力を振り絞り途切れ途切れの言葉で話し、晟の安否を確認する。


「俺はここにいるよ! 大丈夫だから! ねぇ! 死なないで!」


 晟は必死に龍翔に声をかける。

 それを見て龍翔は頬を緩めて無理に笑い、


「そ、か……よかった……」


「もう話さないで! お願いだから! 死なないで!」


 無理に言葉を発する龍翔に晟は叫び続ける。

 そんな晟を見て龍翔は「あ、きら……」と、力ない声で名前を呼び、


「だいすき……」


 それだけ言って龍翔は意識を失う。


「ーーえ? 龍翔、くん……? 龍翔くん! 龍翔くんってば! ねぇ! 龍翔くん!!」


 それから消防隊や救急車が車での間、時間にして約3分間。晟は只管に龍翔の名前を叫び続けた。

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