第32話 俺、いつもトイレ探しているよな。
「あ、アヤトくん!」
たぬき耳メイドの志戸が困ったような顔で飛び込んできた。
猫背でケチャップライスを炒めていた俺はジト目で返す。
「オムライス2人前ならもう少し待ってもらってくれ」
「緊急状況なんですっ!!」
肩からかけたピンクのポーチを突き出す。
「あ? あーーーーッッ!!!!」
やべェェッッ!! また、忘れてたーーーーッ!!
大急ぎで俺のポーチを開くと――ファーファがポーチの中から黙々と俺の腰を押していた。
見上げて言う。
『きんきゅうじょうきょうです』
いつもの淡々とした声がなぜか怖い。前髪越しのグリーンの目がなぜか怖い。気のせいだろうけど。
「悪い! 忘れていたわけじゃないんだ」
『しょうちしました』
「……」
「アヤトくん! 早く!」
俺と志戸はこっそり教室を抜け出した。
※※※
学園祭最終日の校内は、昨日以上の騒乱状態だった。
たぬき耳のちんちくりんメイド姿の志戸と、うさ耳の巨大メイド姿の俺は、とにかく一人きりで潜める場所を探そうと人波にもまれていた。
宇宙戦闘の方は、多数の仲間たちが妖精の姿で敵を翻弄してくれているはずだ。時間は稼いでくれているが攻撃手段は無いため、敵が撤収しない限り戦闘が続いている。できる限り早く様子を見てやらねばならない。急がないと!
昨日使った男子トイレは、ボヤを出した後だ、使えないだろう。
人が少ない方向を選んでいるうち、目の前にプール施設が現れた。立ち入り禁止のテープが張られている。道理で人通りが少ないわけだ。
「こっそりテープをくぐって、プールのトイレに忍び込むか……」
「あ、アヤトくん! あれ! あそこ‼」
志戸の視線の先には――
「黒のSSマークの警備員さんです!!」
「マズイっ! 逃げるぞ、志戸!!」
志戸と二人、くるりと回れ右して逃げ出す。
立ち入り禁止テープの前で微動だにせず立っている黒SS警備員。
奴らとは何かロクでもない時に出くわす印象がある。接触しないにこしたことはない。
「どうするかな……志戸、いい所を知らないか?」
俺は人ごみをかき分けながら隣の志戸に尋ねようと――
「あ、あ、あのっ!! ちょ、ちょっとぉぉぉぉ!!」
ちんちくりんの志戸が人波に飲まれ、弱々しい叫び声だけがなんとか聞こえてきた。
※※※
「ご、ごめんなさいッ! わたし、こういう所だと皆さんのお腹とか、カバンとかしか見えなくって……」
もみくちゃにされ、ショートボブの髪も息も乱した志戸が、ペコペコと頭を下げる。
「アヤトくんに助けてもらわなかったら、あやうく死んじゃうところでした……」
それはオーバーだろ。
「いや、俺も気が付かずに悪かった」
焼きとうもろこしの露店の横で、俺たちはひとまず態勢を立て直していた。
「ところで、志戸。良いトイレを知らないか?」
なんだろう。俺っていつもトイレを探しているような気がする。
うーーーーんと眉根にしわ寄せて、ひとしきり悩む志戸。
はた、と何かを思いついたようだ。
「昨日のトイレ! あそこはどうでしょう?」
「……ボヤで立ち入り禁止になっているだろが」
「それって男子トイレですよね?」
そうか!
「女子トイレなら大丈夫かなって。わたしなら……」
「おお! 志戸、ちょっと見直したぞっ!」
「ちょ、ちょっと……だけ!?」
早速、人波に飛び込む志戸と俺。
「ひゃぁぁ!!」
志戸の情けなさそうな声が早速聞こえてくる。
あ、そうか。
「志戸、俺のスカートを掴んでおけよ」
背中側のスカートを志戸がチョンと握ったのを確認すると、俺はガシガシと人ごみをかき分けて図書館に向かい始めた。
※※※
必死だったからか、思うよりも早く図書館横にたどり着いた。
「し、志戸……だ、いじょう、ぶ……か?」
ゼーハーと息を切らしつつ振り向くと、
「ひっ……」
志戸の顔が強ばった
「アヤトくん、こわ……」
おずおずと、志戸がポーチから小さな鏡を取り出した。
……なるほど。化粧とうさ耳が崩れた全高2メートルの巨大メイドが向かってくれば、誰でも思わず避けるか……道理で俺の目の前に道ができたわけだ。スカートと化粧が思わぬ役に立った。
志戸がポーチを開いた時にひょこんと顔を出したミミが、食い入るように俺を見ている……ように思える。変な事を学習するなよ……。
「で、どうだ?」
鏡を見ている間に、志戸がトイレの様子を見てくれていた。
「男子トイレの前で、警備員さんがパイプ椅子に座ってますね」
ジッと見ていた志戸が俺を見上げた。
「青いSSマークです。ウトウトしてるみたい!」
「その前を通って向こうが女子トイレだな? 見つかると説明が厄介だ。コッソリ行くぞ」
パイプ椅子で居眠りしている青SSの前を静かに通りすぎ――
「トイレは使えんよ」
突然目を覚ました青SSが顔を上げた。
「ひゃぃ!」
志戸がビクッと固まる。
スマン、志戸! なんとかしてくれ!! 俺は声を出せん!!
俺は背を向けたまま、しらんぷりを決める。
「あ、ああ、あのその、と、トイレを……」
しどろもどろの志戸。
「ああ、我慢できないんだな……女子トイレなら使えるよ、悪かったね」
トイレを使いたいとお願いするのに照れている、と勘違いしているようだ。
「二人とも早く済ませるんだぞ」
顔を真っ赤にした志戸が、急いで女子トイレに駆け込んだ。廊下に残る訳もいかず、俺も顔を見せないように女子トイレに入った。
※※※
マズイ。緊張する。
落ち着かないぞ、これは……。
男子トイレ特有のあの小便器。それが並んでいない風景。ただそれだけなのに、目線をどこへやればいいのかわからない。
個室の方を見るのは気まずい。ただひたすらこの場から逃げたい。
メイド服を着ていなかったら、完全に犯罪者だった。いや、着ていても犯罪者か? いや、志戸の公認で入っているんだから、犯罪じゃないよな?
だいぶと頭の中がグルグルと混乱してきた。
志戸が個室に入って頑張っている。
誰か入ってこないとも限らないので、俺は女子トイレの中で見張りをしていた。
入り口に顔を向けていると、もし女子が入ってきたら大騒ぎになる……ので背を向けて、まだ持っていた志戸の鏡で背中越しに見張っているのだ。
「おーい……まだかぁ」
「あ、その、もう少しです……」
なんだろう、この会話。
※※※
「ちょっと時間がかかっちゃいましたね」
志戸が申し訳なさそうに小さく話しかけてきた。
コッソリとトイレのドアの陰から青SSの様子を確認する。
「ウトウトしていると……思います……」
自信なさげだ。さっきの通りすがりの恐怖が残っているのだろう。わかるぞ。
「こうなりゃ、不審な動きをせずに堂々と出て行こう。俺も女子に思われているみたいだし」
そう言うと、
「せーの」
二人、スタスタと早足で通りすぎ――
突然ポーチから楽しげなメロディが流れてきた。
「で、で電話ですーー!」
志戸が泣きそうな顔でフリーズした。
お、おいっ!
「お、終わったか」
「ハイ」
俺は、頭のてっぺんからひっくり返るような裏声で返事をすると、志戸の首根っこを掴んで逃げ出した。
校舎の陰で、志戸がスマホを耳にあてて電話をかけている。悦田からの連絡だったそうだ。あいつ、俺にそんなに嫌がらせをしたいのか?
スマホに頷いている志戸を横目に、俺もポーチを開いてみた。
ファーファがひょこんと顔を出す。
『でんわがかかってきましたが、ならしてはいけないとはんだんして、バイブにしました』
――と、ドヤ顔で言った。ドヤ顔は気のせいだろうけど。
『ふつうのスマホでは、できないことです』
いや、たぶん気のせいじゃないな。
その時、志戸が珍しく大きな声を上げた。
「アヤトくん! アッちんが、怪しい場所を見つけたってッ!!」
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