第7章 学園祭最終日。そして――

第31話 始まりの朝


 翌朝。日曜日。

 学園祭の2日目、最終日だ。

 俺は、早めに起きて普段は読まない新聞を丹念に調べていた。ローカルニュースのページを上から下まで指でなぞりながら見直す。


 あの揺れは……記事が無い。やはり地震ではなかったか。そして――


 あった。


 昨日のボヤ騒ぎの記事が掲載されていた。


『私立偲辺学園高校にてボヤ騒ぎ』


 記事は当たり障りないものだった。学園祭の終わった後だったこともあり、けが人もなく、被害も殆ど無くすぐに消し止められた、と書かれていた。


『消防によると、出火の原因は学園祭の来場者のタバコの不始末だったと――』


 消防なんて来ていない。原因も全く違う。


 この記事は、嘘だ。


 俺たちが実際に見聞きした事と違うでっち上げが、書かれていた。

 親父が読んでいる全国紙全てが同じ内容だった。

 俺はその内の一記事をちぎり、ポケットに突っ込んだ。


「あにき、今夜は早く帰るの?」

 そらがパジャマ姿で現れた。

「父さんも母さんも最近忙しいって家に帰ってこないでしょ。あにきはご飯どうするのかなって」

 晩御飯はいつも食べている。わざわざこんな事を聞いてくるのは……。


「ご飯は食べるぞ。ラーメンとかでいいからな。なるべく早く帰るようにする」

「そ、そう? わかった。それならいいよ」

 そう言うと部屋に戻っていった


 ここ数日、親父たちは仕事で泊り込んでいた。夫婦で偲辺産業で働いているが、最近忙しいらしい。お袋は戻ってきてくれるが、すぐにまた出勤してしまう。親父の顔はここ数日見ていない。

 さほど広いわけではない我が家だが、庭に居る犬のトーンだけでは静か過ぎるのかもしれない。


 俺は制服に袖を通した。ポケットの中の、家の鍵を確認する。ちぎった新聞記事が触れた。


 今までの日常にナニカが隠れているらしい。


 俺たちが知らないだけで、隠そうとしているナニカがあるらしい。


 音成先輩は、そのナニカに関係してしまったのか? だから拉致されたのか?


 俺は、日常から外れはじめているのか?


 ふと、胸ポケットのファーファを見下ろす。

 中で小さく身を縮めていた手のひらサイズの宇宙人は、俺の視線に気が付いたらしい。プラチナシルバーの前髪で少し隠れたグリーンの澄んだ瞳をこちらに向けた。



※※※


 自転車に乗った俺は、バスで見慣れた道から外れた。こちらの方が近道だ。


 今日はこっそり自転車通学にしたのだ。昨日のようにバスだと自由行動がしづらくなる。先輩を捜すためには自由な足が欲しい。

 昨日自動二輪バイク愛好会に借りた自転車は、志戸が乗って帰ったので、これは自前だ。


 郊外型住宅の集まる地区を抜けた。田んぼと畑の間に、新しめの家々と昔ながらの日本家屋がまばらに建つ風景に変わる。

 その向こうには小奇麗な偲辺産業のいくつかの研究所が見え隠れし、さらにその背後には朝日が昇り始めた山々の尾根が続いていた。

 たまにキラキラと光が反射するのは、高速道路を走る大型トラックだろう。

 いつもの朝だ。秋の青く高い空が広がっている。


 しかし、いつもとは違って見えるのは、普段の通学に使わない自転車からの眺めだから……だけでは無いだろう。


 仲間が人知れず連れ去られた。


 夜の学校で見聞きした事は、まだ見なかったことにできた。

 しかし、もう知らない振りをすることはできなくなっていた。


 自分たちがこのまま知らなくてもよかった非日常に、巻き込まれてしまった実感があった。


 いや、既に非日常はあったのだ。

 宇宙人と出会い、トイレの中で画面越しの宇宙戦闘に参加する。

 突飛すぎるほどの非日常だ。


 しかし、今回の非日常は違う。俺たちのすぐ背後にいつの間にか忍び寄った薄気味悪い非日常だった。



※※※


 外来者用の駐輪場にサッと自転車を置いて出てくると、巨大正門の脇に悦田が立っていた。遠目にでもわかるな、あいつは。


 今日は制服ではなくカジュアルスポーティーな姿だった。

 巻き上げた菜の花色の髪。ごつめのデニムブルゾンに白っぽいタンクトップ、黒のデニムパンツにスポーツシューズといういでたちだ。

 片手首に鮮やかな赤いスカーフをワンポイントのように巻いている。

 そもそもモノトーンで固めているのに、目立つ色をわざわざチョコンと付けているのはなぜだ? オシャレなのか?

 ファッションに疎い俺から見ると、どこかの量販店で買い揃えたような姿の悦田だったが、学園祭最終日の準備に走り回る男女の目を惹きつけていた。


 その目の前に制服姿の志戸が居た。悦田の目立つ姿のそばで、ただでさえ地味な志戸の存在が全く消えている。


 身長差のある悦田をずっと見上げているが、あれじゃ首が疲れそうだな……と思うと、悦田が目線を合わせるようにしゃがんだ。

 そうか、俺も同じようなことさせてるんだなあ、今度から気をつけてやるか。


 目ざとい志戸が俺の姿を見つけて、ひらひらと手を振ってきた。



※※※


「しばらくの間、盗まれた事にしときたいんでよろしく!」

 自動二輪バイク愛好会の会長が、悦田に拝んでいる。

 弁償費用の入った白封筒を手にキョトンとする悦田。


 学園祭が始まる前に、悦田と俺はバイクを傷つけた謝罪のため、学園の格納庫と呼ばれているクラブ棟を訪れていた。

 志戸は先にクラスに行かせて、俺が遅れる事をごまかしてもらっている。まあ、ごまかせてないだろうけど。


「何をやらかしたかは尋ねんけど、俺らとは関係ないってことにしておきたいんだよ」

 聞けば、朝っぱら早々に職員室に呼び出しを食らって、延々と聞き取りをされたそうだ。

 反骨精神溢れる会長が、相手の居丈高で決め付けるような態度に立腹して、知らぬ存ぜぬで押し通したらしい。


「愛好会から部に昇格できるかどうかの瀬戸際で、俺たちが関わったとなるとちょっとな」

 被害者になっておいたほうがいいってことだな。

「ちゃんと弁償費用を払ってくれるような人だし、別に構わんから。しばらく自由に使ってもいい。ほとぼりが冷めた頃に返してくれ。乗り捨ててあったっていうていにしとくから」


「そんな……悪いわよ」

 悦田が困惑している。どうもこいつも真っ正直すぎるようだ。

「悦田、今返される方が逆に迷惑だってことだ。しばらく借りておいた方が、都合がいいんだと」

「くれぐれも捕まらんようにな。盗難届けは出さんし、事故やら現行犯でヤラレん限り追いかけてこんだろ」

 ニヤリとする会長。


「わかったわ! ありがと!」

 悦田がパッと笑顔を弾けさせた。

「万一があっても、借りたって事にはしないわ!」

「よ、よろしく」

 恋人はバイク! と公言している会長だそうだが、ソワソワしているのは見なかったことにしてあげよう。



「お前、あの子と親しげだけど、どんな関係だ?」

 立ち去っていく悦田の方を気にしながら、会長がコッソリ話しかけてくる。

「えーと……」

 そういや、どんな関係だ?



※※※


 スタスタと上機嫌に歩く悦田に追いついた。

「マズいな」

「どうしたの? 怒られるどころか、そのまま貸してもらえるなんてラッキーじゃない」

 鼻歌でも歌いそうなくらい、ニコニコしている悦田。

「お前、さっきの話聞いてたのか?」

「なによ。馬鹿にしてるの? 事故や現行犯しなければいいんでしょ?」

 俺は頭を抱えた。

「朝一から呼び出し食らったっていってただろ? 相手がどんなヤツらかわからんが、もうこの学校まで探りが入ってきてるってことだぞ」

「それはマズいわね」

「だからマズいって言ってるだろうが! お前、この学校から離れておいた方がいいぞ」

「言われなくてもわかってるわよ」

 むぅ。

「それじゃ、ちょっと頼まれてくれ」

「なぜ?」


 ……深呼吸だ、俺。深呼吸だ。


「先輩を捜すためだよ」

「なら、いいわ」

 俺に対してはいちいち突っかかってくるのな、こいつ。



※※※


『言われた通り、偲辺の消防署と救急病院を見て回ったけど、あの救急車は無かったわよ』

 片側だけに付けたイヤホンから悦田のフフンと言わんばかりの声が聞こえてくる。自由にセローを使えることもあって早々に確認を終えたようだ。


『あんたが言うように、ハイメディックタイプの救急車がありそうな所って限られているから、チェックは早くすんだわ』


「お疲れ。だとしたら、余計ややこしくなってきたな」

 巨大なうさ耳メイド姿の俺は、階段の陰でしゃがみこんでピンク色のポーチに向かって話しかけた。学園祭に遊びに来た小学生たちが、こっちを指差してオオウケしている。

 人目を盗んで悦田に電話をかけているのだ。多少目立ってはいるが。


 ファーファがポーチの中でイヤホンを握り、こちらを見上げている。

 スマホがファーファの姿になって以来、電話を掛ける時はイヤホンを握ってもらっている。

 以前、ファーファをスマホに戻して電話を掛けようとしたが、顔にファーファを密着させているような気分になったので、すぐさま止めた。


『なに? そんなややこしい話なの?』

「どこにも所属していない救急車が、堂々と公道を走って、そのことが事件になっていないってことだからな」

『それって?』

「まったくわからん」

『役に立たないわね』

「うっせ」


『そっちはどうなの?』

 俺は周りを見回し、より声を潜めてポーチに話しかけた。

「保健室の先生にその後の事を尋ねようとしたけど、声を掛けそびれていてな」

『なんでよ。早くしなさいな』

「保険医も拉致した関係者のような気がするんだよ。こちらから接触するのは危ない気がした」

『先輩が危険な状態だったらどうするのよ! 大体あんたって――』


「あ。居た! 調理メイド! 早く持ち場へ戻れ!!」

 背後からクラス女子の声。

「すまん、見つかった! また連絡する!」

 俺は何か言いかけた悦田を無視して、ヘッドホンをポーチの中に放り込んだ。


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