第20話 気が付けば、変わり始めた俺たちと……


 俺は暗い廊下を天文部室までドタドタと走っていた。右手には赤色のミニライト、左手は胸ポケットに入れたファーファをしっかり押さえて。


 途中の階段を駆け下り――

 ッッ!!

 段差を踏み外して数段落ちる。くそッ! これだから運動音痴は!!


 部室のある廊下にたどり着いた俺は足を止め、平然とした風に歩き始めた。痛む足を押さえながら。


  近づくにつれ、夜中の学校とは思えない大声が聞こえてくる。

「おい、これだけ開ければ出られるだろうが!」

「あ、あとちょっと……かなと……」

「腕を出せ。引っ張りゃ出られるだろ!」

「い、いたい……」

「む……そういや、連れはどうした」

「あの、その……」

「あん?」


「あ。開けてくれたんですね。有難うございます」

 近づくまで気がつかなかった守衛が、背後からの声に振り向いて……さらに見上げた。

 俺は何食わぬ顔のまま守衛の顔を見下ろす。

 少し怯んだ守衛は俺の顔を見上げたまま、

「お、おぅ。それと、お、お前ら時間過ぎてるぞ。早く終われ」 と言うと引き戸から離れた。

「すみません。すぐ帰ります」

 守衛は特にそれ以上何か言うこともなく立ち去った。



「こわかったぁ……」

「時間稼ぎ成功だ」

「よかったぁ」

 志戸が、ほわーっとした笑顔を見せる。

「アヤトくん、息荒くして顔真っ赤にして引きつったような怖い顔してたから、怒ってるのかと思ったよぉ……」

 走った後で息が上がっていただけだ。それと愛想よく笑顔にしたつもりだったんだけど……痛えぇんだよ。かっこ悪いから言わないけど。


「それより、ミミはどこだ? ファーファの様子がおかしいんだ」

「えっ……」

『ここへ、ねかせてください』

 そばの机の上に、いつの間にかミミが立っている。

 ぐったりと意識のないファーファを胸ポケットから出すと、ミミのそばに横たわらせた。

 ファーファのプラチナシルバーの髪と白のサマードレスがかなり汚れている。


 志戸が泣きそうな顔をして見つめていると、ミミはファーファのそばに正座し、その額に手を触れた。

『いしきたいのわたしたちは、げんかいをこえるふかがつづくと、いしきがきえてしまいます』

「あまりにキツイ負荷がかかると、耐えられなくなって死ぬってことか?」

『はい。わたしたちの、きえるとは、いしきがとびちってうすくなったけっか、もとにもどらなくなることです』

 感情の見えない声でミミが続ける。

 額に当てた手はそのままに、もう片方でファーファの手を握った。

『だいじょうぶ、だいじょうぶだよ、ファーファ』

 声に出してファーファに語りかけている。

「……ミミ、声に出して話しかけてる……」

 志戸がつぶやいた。

 そうか……意識体同士なのにいつの間にか声を出すようになっているのか……。


 意識を分けたミミにはファーファと意識共有しているため、状況は分かっていたらしい。

 長時間、そして多重に、慣れない意識の使い方を続けたことや、強く消耗することがあったからのようだ。

 恐らく、新しく学んだ『礼』や『仲間』のジレンマと、かつてなく攻撃的に斬りつけたといった過剰ストレスで起きたのだろう。

 確かに意識が共有できていた世界では起きない話だったろうな。無茶をさせすぎた……。


『ふつうなら、いしきをたもつために、ここまでになるまえに、やめるのです』

「でも、ファーファは最後まで頑張ったんだね」

 志戸が涙声で二人の宇宙人を見つめている。


 数分後、ミミが立ち上がった。

『わたしのいしきをおくって、かいふくのてつだいをしました』

 不安定になって薄く広がった意識を繋ぎとめ、取り戻す手伝いをしたのだそうだ。

 あとは自分自身の力でしか、回復できないらしい。



 ふっ、とファーファがグリーンの瞳を開いた。

「ファーファっ!!」

 ファーファに顔を寄せていた志戸が思わず大きな声を出す。


「ファーファ、大丈夫か?」

 ファーファは手をついてよろよろと身を起こすと、ゆっくり俺の方を見た。そして――

『つかれたようです』

と、淡々と答えた。


「そうだな。帰るか」

『しょうちしました』


 俺は、身体中埃まみれになっているファーファを手のひらに乗せると、しっかりと胸のポケットに入れてやった。



※※※


 週明け月曜日の休憩時間。トイレの個室の壁越しに、俺はその顛末を音成先輩に報告していた。

 先輩のアドバイスで300体が反抗した結果、全滅から逃れられた事を伝えると、

「そそそうじき、ここまでっうまくいくとは思いませっんでした」 と、先輩は照れたように言った。

「はーはちゃん、がががんばったね……」

 ファーファはいつものように先輩の所に行っている。すっかりお気に入りにされて、ずっと頭をなでてもらっているようだ。


 ファーファは帰宅した後再び眠りに付き、先ほどようやく目を覚ましたところだ。


「に……ににに、逃げるということは、せせ生物にとっっって、ほほほ本能でっす。が……がが、ああ抗うことは、つつ次の段階を……みみ身に着けたということっっで……すすスゴイことでっっすよ」


 そうか。今まで逃げる意識しか無かったものたちが、抗うことに気が付いた。


 ファーファも地球に来て、抗う術を少しずつでも身に付けていっている。

 確かにこれは大きな進歩だ。


 トイレの歌声の一件は、ファーファが録音した音を先輩に聞かせると、

「こここ、この音でっす……」 とのことだった。


「――ということで、俺はあの音はどこかの機械の音じゃないかなって思うんです」

 俺も繰り返し聞いてみたが、たぶんモーターか何かの音だろうと読んでいる。

「そそそ、そそぅですか……よよ、よかっった……」

 幽霊でもトイレの花子さんでもないことにひとまず安心した風な声。先輩なのにかわいらしいもんだなあ。


「そ、そそそそれなら、ああああのタンックローリーが、かか関係あるのかも……」

 確かに、普通なら学校に米軍の軍用燃料は要らないだろう。しかも、あんな大量に。

 偲辺学園は、偲辺産業が資本も出していて大きく関わっている私立高校ということもあるのだろうか。それにしても学校だぞ?


 実は、俺たちが奮闘している間に、先輩は守衛達から色々見聞きしていたらしい。危なっかしい先輩だ。

「けけけ、けはいっを、けけ……け消すのは得意なんでっす」

 確かに。隣の個室で一体どれだけ気がつかなかったことか。


 先輩によると、軍用燃料以外にも普段からあのように搬入作業があるらしいこと。そして、夜の守衛は専門で別の外注先から派遣されているということだった。


「あの守衛、昼間の爺さん守衛達と全然雰囲気が違っていたんですよ」

「すすす守衛なっらSS……しししシノベセくリテーだけど……」

 先輩曰く、シノベセキュリティーとは、偲辺産業の施設専門に警備するため作られている子会社とのこと。新聞を読んでいると偲辺産業に関連する所で頻繁に見かけるらしい。

 偲辺産業ほどの大企業になると自前の警備会社を作っている、そんな話をしてくれた。


 うちの学校にも派遣されているが、それは偲辺の関連施設というより、最もシェアを誇っているのがSSことシノベセキュリティーだからかと思っていたが……。



 俺からの報告は、タンクローリーのトレーラー部分が残っているかと思って調べに行ったが、やはりというか跡形もなかったことを伝えた。


 よくよく考えるとこの学園ってなんなんだ? 今思えば、必要以上に広い学園前通りを目一杯使って入ってきたトレーラー。

 なぜ校門から入ったメインストリートがあれほど幅がいるのか? 田舎特有の無駄に広い土地の使い方だと思っていたが、偶然か?



※※※


 放課後の作戦会議。

 志戸からこの部室のカラクリを教えてもらった。

 引き戸のレール床に数箇所、穴が開いている。2本のボルトを段階的に挿しておいてから外して、少しずつ動かせるようにするのだそうだ。元からガタガタしている引き戸なので、それっぽくてばれないらしい。

「この部室の秘密なんですっ! 先輩から教えてもらったんですよ。先生が突然侵入しないようにって!!」

 志戸……お前ら、ここで何してんだよ。


「ファーファ! もう大丈夫? これ食べれる??」

 志戸が梨をむき始めた。

『おかげさまで、だいじょうぶです。いただきます』

 意識体の彼女たちにとっては、意識へ強いダメージを受けるよりも身体へのダメージはそれほど影響がないらしい。


「そっか! よかったぁ……ほんと心配したんだよ」

 志戸は心底嬉しそうな顔をすると、俺に半月形に切った梨の皿を勧め、2人の宇宙人の手に小さく刻んだ梨を載せた。



※※※


「わたし、今朝気になることがあって……」

 梨を切ったナイフを水洗いしながら志戸が話し始めた。


「あの時の守衛さん、付けていたマークがいつもと違っていたように思うんです」

 見てたの? あの状況で。

「制服の袖に付いていたSSってマーク、いつも守衛さんが付けているのと雰囲気が違っていて、今朝の校門の守衛さん見てもやっぱり違っていて……」

 音成先輩が言っていた別の会社――シノベセキュリティーの違う会社とか?

「胸や腕のマークが、黒地で……小さかったんです」

 言われれば……校門の守衛は、ブルーだ。デザイン化されたSSの文字も目立つ。


 思えば偲辺産業とこの学校ってどんな関係なんだろう。資本が入っているのは知っている。

 この学校は、世界に羽ばたく人材を募集するということでAO入試が盛んな学校だ。

 偲辺産業関連への就職率も抜群で、家族が偲辺産業に関係する子女はほぼ合格という噂もある。俺も親父とお袋が偲辺の研究所で働いていることもあって安直に受験したクチだが……。



「そうそう。トイレの歌声のこと、先輩は安心されてましたか?」

 志戸が心配そうな顔で尋ねてきた。

「ああ、これ聞いてもらったら、機械の音だなって」

 ファーファに音を再生してもらう。

「よかったぁ。これで先輩、引越ししなくて済みますね!」 と、志戸がほわんとした笑顔を見せた。


 突然、調子っぱずれな『おお、ブレネリ』の歌声が流れた。


「!」

 志戸の顔が一瞬でまっかになる。


「あー。なかなかイイ声だったぞ、志戸」

「けしてぇぇーーッッ!!」

 俺はファーファを指に掴まらせて高く掲げた。

「消してくださいぃーーッッ!!」

 俺の腕を掴んだ志戸がピョンピョン飛び跳ねてファーファを捕まえようとする。

 143センチが185センチに敵うわけないだろ。

「ファーファーーーーッッ! 消してーーーーッッ!!」

 志戸、お前結構大きな声出るじゃないか。

 ミミは相変わらず無表情に俺たちを見ながら、黙々と梨の欠片を食べていた。


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