第12話 壁の向こうの君は緊張気味
【今回までのお話】
俺が学校で何度も秘密基地にしている男子トイレ。一番奥の個室はいつも使用不可の札がかかっていた。
人知れず俺は毎回その隣の個室を秘密基地にしては、宇宙人のファーファと共に遠隔宇宙戦争を指示するわ、ぼやくわ、怒鳴るわと騒いでいた。
あるとき、その隣室から思わず声が漏れてきた。
その声は息を呑むような詰まったような声だったが、確かにかわいらしい女子のものだった。
※※※
「えっと……なんで女子がここにいるの?」
驚いてすっかり気がそがれた俺は、まったく普通の声で尋ねた。
「……」
むぅ。
「女子がなんで、男子トイレに居るんだよ。覗きか?」
「……っち……ちちが、ちがいま……」
えらく緊張しているな。過呼吸気味に息を吸いながら、なかなか喋られない様子だ。
なんだか普通じゃない感じなので、かえって冷静になってきた。まあ、この状態は既に普通じゃないし。
俺は深呼吸を3回ほどした。
深呼吸は冷静さを取り戻すおまじないだ。俺にとっては実際効果がある。と思っている。
「えーーと。怒鳴ったのは悪かったよ」
「……」
「ちょっとこっちも驚いてね。そっちも驚いたかもしれないけど」
「……」
男子トイレの個室で、壁越しのコミュニケーションが始まった。一度深呼吸をする。
「……つかぬことをお尋ねしますが、妙な会話が聞こえていませんでしたか?」
なぜか丁寧口調になっている。
「……っっ」
緊張しているのか、声が出ていない。
「えっと。深呼吸するとイイよ?」
スス……ハクハクしている様子。案外素直な子だな。だけど、それ深呼吸と違うし。
「えーと、深呼吸ってこうやるんだよ。真似して」
男子トイレ、個室の壁越しの深呼吸講座。
何をやっているのやらだが、とにかく相手の話を聞かないとこのまま放ってはおけない。
深呼吸のやり方が伝わったところで、
「それで、妙な会話が聞こえていませんでしたか?」
「……っはぃ……」
やっばい……。
落ち着いたようで、なんとか息を詰まらせながらも声が聞こえてきた。
気弱でかわいい感じの声だな。結構ドキドキする。相手は男子トイレを覗いている女子だけど。
「えーと」
あ、深呼吸だ。深呼吸。こういう時は深呼吸。
どうやら壁越しの向こうも深呼吸している様子。男子トイレの個室の壁を挟んで、てんでに深呼吸する二人。
「アン○ンマンモードだーとか、しょうちしました、とか聞こえました?」
「っ…はっぃ」
まずい、バレたか?
「こっちがなにしてるのか分かってます?」
「っっだ、だだぃたいは……」
隣人は落ち着いてきたのか、喋りにくそうだが会話ができるようになってきた。
「他、何か聞こえました?」
「……っぬぃぐっっるみ……」
しょっぱなからじゃねーか!
もう仕方ない。と同時に、我ながらお伺い口調なのはなぜだと、今更ながら気がついた。
「どうやら、こっちのことはバレているみたいだな」
「……」
「そっちはなんで、ココに籠もっていたんだ?」
「……っぃ言いた、くな……ぃ」
「こっちの秘密は知っているのに、勝手な話だな」
我ながら勝手な理屈だ。
「……っっご、ごめごめ、っなっさぃ」
あ。なんだか、悪いヤツじゃない気がしてきた。
「お前、女子?」
ひっと、息を呑む声が聞こえた。
「深呼吸しろ、深呼吸」
すううーーーはぁーーーー。
素直なヤツだな。
「……っボ、クは、おとこ、で……す……」
はあ? 誤魔化してきたか。
「この期に及んで嘘つくなよ。こっち来て姿みせろよ」
「……ぃや、だ……」
なんか苦しそうな喋り方だな。心配になってきた。
「仕方ない。ファーファ、上から覗いて来い」
「……っ!?」
こちらは秘密がばれている。いまさらファーファを見られても構わないだろう。怖いものはないのだ。むしろ口封じに入らなければ。
ファーファを指に掴まらせて、壁の上に腕を伸ばした。壁に取り付いたファーファがヒョイと登る。
「!?」
刹那。
「ッッッィイやァァーーーーッッ!!!!」
「うわあああああああああああああーーッッ!!!!」
驚いた! 驚いたーッ!! 絹を裂くような悲鳴がトイレに響く。
なんだか俺の方が覗きをしているようじゃないか! 男子トイレだぞ、ここはっ!!
悲鳴は思ったより声が出てなくてカスレ声になったので、たぶん外には聞こえていないだろう。むしろ俺の声の方が漏れているかもしれない。
しばらく外の様子を伺ったが、誰も駆けつける様子はない。それはそれでこのトイレの位置はよいのか不安になるが、こちらとしては好都合。
「どうだ?」 戻ってきたファーファに尋ねる。
『だんしのせいふくをきた、じょしでした』
「っっ、ちちが、ちがっ!」
「どう違うんだよ。ちゃんと見てきた人間の証言だぞ」
あ。人間じゃないか、こいつは。
「っっい、いっ言いたくなぃ」
苦しそうに喋るヤツだな。
「お前、なんか苦しそうだな。どうした?」
「……」
だんまりかよ!
イライラしてきた。
――っと、まずいまずい。深呼吸する。
「えーと。俺たちの秘密。誰かに喋るか?」
「……っささべらない……ぜったぃ」
さべ? ああ、しゃべらない、か。訛りかな。
でも、こうなれば信じるしかないか。たぶん、こいつは喋らないだろう。なんとなくそう思う。
「そうか、ありがとう」
「……」
「ひょっとして、使用禁止の札貼ってるの、お前?」
「……っはぃ」
「わけアリか?」
「…………っっはぃ」
「じゃあ、無理に言わなくていいよ」
「!?」
「誰にでも言いたくない秘密ってのはあるからなー」
俺はその状況真っ盛りだしな。言えない話ってあるんだろうよ。
ちょうど、ここで昼休憩終了のチャイムが鳴った。
あ。昼飯食べるの忘れていた。
※※※
次の休み時間。俺たちはまたいつものトイレに向かった。一番奥のトイレは使用禁止の札が貼ってあるので、その隣の個室に入る。
「よぉ」
「……っ!!」
驚かれてしまったようだ。
男子のふりして、トイレに籠もっているわけってのは知りたいところだが、無理に話さなくてよいと言った手前、尋ねることも無く。
「……っど、どぅっ……して?」
向こうから喋ってきたか。
「わかってるか? お前、俺たちの秘密を知っているんだからな。こうなりゃ、秘密仲間みたいなもんだ」
「……な……」
しょっぱなから聞かれていて騒ぎになっていないということは、こいつが誰にも話していないということだ。そう、信じることにしたのだ。
下手に新しいトイレの個室を探すリスクより、実績のあるココのトイレを使い続ける方がマシだろう。それならば、隣人として仲良くなっている方がよいだろうな。
……いや、自分でもかなり変な事を考えているとは思う。
「ファーファ、こいつを相転移しておきたいんだけど」
『しょうちしました』
デッサン人形をもう一つ放り込む。壊れたときのための修復材料だ。
美術部員の人、ごめんなさい。壊さないようにして後で返すから。できるだけ。
「……」
隣人の反応はなかった。
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