第1話【一人と二人】
微かにそよいだ風が僕を撫でていく。
柔らかく吹いたそのそよ風はどことなく木々と仄かな夏の香りを含んでいる。
それが瞳を閉じて眠りに落ちていた僕を目覚めさせる。
「……ん」
小さく覚醒の声を発し、軽く目元を手で擦りぼやけていた意識をはっきりとさせていく。
仮眠のため――いや、昼寝のためにもたれ掛かっていた木、気持ちの良い木陰があるその根元から立ち上がって軽く伸びをする。
「……ん~っ、はぁ」
上へと伸ばしていた腕を吐き出す息と同時に下げる。
半ばぼんやりとした瞳で辺りへと目を向ければ多くの歩く人の姿が視界に入る。
どこか心地よい喧騒が休憩するだけのつもりだった僕を眠りに落としてしまったようだ。
懐から銀の懐中時計を取り出して時間を確認してみれば時刻は十一時。
もう暫くすれば十二時を知らせる鐘の音と共に、外を歩く人間は更に増える事だろう。
僕としては、人ごみはあまり好きではないので――人が嫌いというわけではなく、ちょっとした理由であまり人が多い所にはいたくないのだ――今のうちに昼食を食べることする。
隣に立て掛けてあった大きなリュック――商人たちが使うようなそれ――を背負って僕は今の状態でも十分賑わうレッテの街の市場へと歩みを進める。
レッテの街。
王都からほど近い街の一つであり、この辺り特有の比較的温暖な気候のおかげで生産される農作物が美味しいと評判であり、それを求めていつも多くの商人が訪れるため、『王都に寄る商人はまずレッテを通る』とまで言われる。
そして僕もその言葉に習って王都に行く前にこのレッテの街に寄ってみたわけなのだが。
「それにしても人が多い……」
昼寝をしていた通りの外れから見た限りではそこまで多くなかったはずなのだが、一度本通りとも言える場所に足を伸ばしてみればかなり多くの人がいた事に驚かされる。
僕はそんな隙間の少ない人ごみの中を苦労して歩いていく。
前が殆ど見えないというのはなかなかに大変なのだ。
それは体格が良くないというのが理由の一つなのだが。
もう一つの理由は目深に被ったフード付き外套のせいだ。
僕の身長は百五十五センチ程と男としてはかなり小柄である。
これからこの身長が伸びるのかどうかは分からないが、“種族的”に年若いと言われる年齢の為、これからに期待するとしよう。
まだ僕はこの身長からの脱却を諦めていないのだ。
いざとなれば僕がこのためだけに作った魔法で姿――身長を変える事など難しいことでは無いが、それを使うとどこか負けた気になるので使わないでおこう。
そんな風に自分の体格の事を嘆いていると、通りの左に掲げられた看板が目に入る。
『凪の小鳥亭』。
……ふむ。
こうして目に留まったのも何かの縁かもしれない。
今日の昼食はここで食べることにしてみようか。
人の流れを少しばかり無理をして掻き分け、凪の小鳥亭へと向かう。
取っ手の付いたドアを引いて中に入ると、カランカランと軽やかな鈴の音がドアの上部から響く。
客の入店を知らせるその音を聞いた店員らしき女性が僕の方に向けて爽やかな笑顔を向けてくる。
「いらっしゃいませ!一名様ですね?こちらの席にどうぞ」
栗色の髪を後ろで一つにまとめた店員さんの先導に従って僕は席に着く。
「ご注文は――」
各席に一つずつ置かれているメニュー表を見て、注文したいものが決まったのなら声を掛けてくれ、と言った事を言われる前に僕は店員さんに向かってこう言う。
「――お姉さんのオススメで頼みます」
「えっと、はい。かしこまりました」
少し戸惑った様子を店員さんは見せたが、すぐに軽い笑みを浮かべて注文を伝えるために厨房の方へと向かっていく。
初めての所では何が美味しいのか分からない為、僕はそこで働いている人のオススメを最初に注文することにしているのだ。
暫くして厨房で料理をしている人間――大抵は店主だろうが――に注文を伝えた先程の女性の店員さんがこちらへと向かってくる。
もう料理が出来たのか、ファストフード店もびっくり、と思っていたがどうやら違ったようで、店員さんは僕の隣の席に腰を掛けてくる。
「料理が出来るまで暇なので少しお話しませんか?丁度他にお客さんもいませんから」
悪戯っ子の様な顔でそう言ってくる店員さんに僕は「いいですよ」と答えて、食事に邪魔になる外套を脱ぐ。
目深に被ったフードを下ろして、外套を脱ぐと店員さんの驚いた顔が目に入る。
「……どうしました?」
少し首を傾げた事で僕の薄緑金の長髪が揺れる。
店員さんの瞳の中に映る僕は、見た目は鮮やかなぱっちりとした蒼の瞳をした白皙の美少女だ。
……性別は男だけれど。
見た目はどこからどう見ても少女にしか見えない。
僕自身も最初に自分の姿を見た時は戸惑ったものだ。
実に懐かしい。
とは言え、かなりの長い年月を共に過ごせば慣れてしまうもので。
いやはや、慣れとは恐ろしい。
「……可愛い」
思わず口から零れたと言ってもいい店員さんの言葉に僕は柔らかく笑ってお礼を言う。
「ありがとうございます。お姉さんも可愛いですよ」
男にとっては可愛いという褒め言葉はどうにも受け取り難いものがあるのだが、この姿は自分から見ても可愛い為、素直に受け取ることが出来る。
そしてついでに店員さんの事を褒めておく。
……別にナンパをしている訳ではなくて。
何というか、ついつい自然と口をついてしまうのだ。
おそらくは僕の【スキル】が関係しているとは思うのだけれど。
「……」
店員さんは何を言うでもなく、感動したような顔で隣の僕の事を抱きしめてくる。
……こんな風にされることも慣れてしまった。
男としては嬉しいは嬉しいのだけど。
やっぱりこんなことをされるのは、僕の見た目が女の子で子供に見えてしまうせいだろう。
僕に抱きついたまま店員さんは話し掛けてくる。
「私はシアって言います。えっと――」
名前を尋ねられているのだろうけど、正直に僕の名前を言ったものか。
本名はあまり言いたくないが、まぁ今は取引でもないし大丈夫かな。
そう考えて僕は普段商人として使用している幾つもの偽名ではなく、本名の方で自己紹介をすることにする。
「――僕はユニティアと言います。商人として各地を回っています」
「ユニちゃんですね、覚えました。ユニちゃんは小さいのに商人さんなんですね、驚きです」
ちゃん付けはちょっとやめてほしいがしょうがない。
だって(見た目が)女の子なんだもん。
心中でそんな事を考えつつ、僕は店員さん――シアさんとの会話を続ける。
「えぇ、僕にとって世界を自由に歩ける商人は夢みたいなものでしたから。こんな成りですけど、こうして楽しく商売させてもらってます」
「わぁ……、しっかりしてますね。私が小さいときなんて泥だらけになって遊んでただけで、ユニちゃんみたいな利発さは無かったですよ……」
「あはは……。僕がちょっと変わっているだけだとは思いますけどね」
そんな会話をしていると、「お料理取ってきますね」とシアさんが一旦僕から離れて注文した料理を厨房へと取りに行く。
「おまたせしました。暖かいうちにどうぞ!」
シアさんが運んできてくれたオススメ料理は、少し焼いたパンに鶏肉のハーブソテー、それから鶏の出汁が効いたスープだった。
「はい、いただきます」
僕の「いただきます」、という言葉にシアさんは「あー、それ帝国式の挨拶でしたよね」と思い出すように口にしたのに対して、僕は誤魔化すように笑って運ばれてきた料理を食べていく。
うん、あっさりしていて美味しい。
シアさんは食事をする僕の隣にまた座って来て、ニコニコとこちらを見ていたが、ふと思い出したようにしてパンを食べていた僕に質問をしてくる。
「ユニちゃんは商人さんなんですよね?“普通”の商人さんなんですか?」
普通の商人?
どういう意味だろうか。
それは僕が非合法な何かに手を染めているように見えるが故の質問なのだろうか。
……いや、それは無いだろう。
そんな胡散臭さを感じているのならば、僕にここまで構ったりしないだろうから。
まさか……、僕がコネで商人しているだけのダメ人間だとバレた……!?
……流石にそれはないか。
となると……、やっぱりどういう事だろうか?
「普通ってどういう事でしょうか?」
疑問の表情を浮かべた僕に、シアさんは「うん?」と言って首を傾げて事もなげにこう言う。
「――“奴隷商人”じゃないかって事ですよ?」
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