トラブル

夜10時過ぎ。久美子は二人連れの酔客の相手をしていた。二人とも中年太りの脂ぎったオークに似た酷い容貌のリーマンだ。

 

 「ていうかよぉ、久美ちゃん。あんた華がねぇよなぁ」酔客が絡む。

 「そうだわー、もっとこうピチピチのギャルじゃないと、俺達も明日の活力が沸かないってかんじだわ」もう一人も調子に乗る。

 

 ドクンッ

 

 久美子の心臓が、暗い怒りで激しく脈打った。

 

 (黙れ。下等なブタが!ブチ殺してやろう……いや。ダメだ。受け流せ)

 

 「もぉ。佐藤さんも鈴木さんも意地悪言わないでぇ」久美子はを作ると甘えたような声を出す。

 

 慣れない……何時までたっても慣れない。でも生活の為だ。変なおっさんの絵が描かれた紙製の貨幣のためだ。

 

 「ぎゃはははは、アンタみたいなオバハンが色気作ってもキモイだけだわ」

 「ねぇ、ママ。女の子変えてよぉ。こんなゾンビみたいなのより、優花ちゃん呼んでよぉ」

 

 ドクンッ

 

 (黙れ黙れ!何がゾンビだ。貴様らも死霊魔術でドラウグルに変えてやろうか?)

 

 出勤前にタカシの事を思い出してしまったのが悪かったのだろうか。いつもはそこまで怒りを呼ばない酔客の絡みが気に障って仕方が無かった。

 

 「もぉう。やめてよぉ。久美。悲しくなっちゃう」久美子は顔を引きつらせながらそう言うと、わざとらしくほっぺを膨らませた。

 

 「ぎゃははははは」

 「ぎゃはははっ!可愛くないって。痩せたハリセンボンが頬っぺた膨らませてんじゃねーよ!」

 

 

 ゴンッ!!!

 

 

 次の瞬間、酔客の眉間にグラスが当たって中の液体と氷が辺りに弾け飛んだ。

 

 「舐めてんじゃねーぞぉ!このオーク野郎が!いい加減にしとけよっ!」

 

 久美子は立ち上がると身体を震わせ黄色い歯を剥き出しにして、額を押さえている酔客に喚き散らした。


 ガツンッ!!!!!

 

 その瞬間、久美子の頬にとんでもない衝撃が走り身体が浮き上がると、背後の壁に叩きつけられた。

 

 「おいババア。てめぇこそいい加減にしとけよ」

 

 もう一人の酔客が久美子を殴ったのだ。そいつは立ち上がると壁際にうずくまる久美子を憎々し気に見下ろした。

 

 「うっせー」

 

 久美子息を喘がせながらも憎まれ口をたたく。殴られた痛みより、頬に叩きつけられた衝撃と、突然身体が浮き上がった時に感じた変な感覚からくるショックの方が大きかった。心臓が激しく脈打つ。

 

 「ああ?もっと痛い目あわねーとわかんねーのかぁ?」

 

 醜いオークが唾を飛ばして喚く。久美子は激しい怒りを覚えて、マナを集中させようとした。最下級の破壊魔法一発でこいつは灰になる。

 

 (くそが……もう魔法は使えないんだった……)久美子は絶望的な気分で思い出した。

 

 久美子が出来るのは、憎悪のこもった眼で酔客を睨み付ける事だけだった。

 

 「お客様。失礼があったのはお詫びします」その時、落ち着いた声が聞えた。バーテン兼用心棒の藤本だ。彼は力士崩れで『なかよし』に勤務していた。身長180㎝、体重110㎏。トロールのような体つきだ。

 

 「あ?邪魔すんじゃねーぞ?」酔客が憎まれ口を叩きながら、振り返って藤本を見ると、ぎょっとしたような顔になる。

 「な、なんだてめー。このババアが先にグラスを投げて来たんだからな」

 「分かっております。なので、お怒りはごもっともでしょう。ただしこれ以上はお止め下さい」藤本は落ち着き払って答える。

 

 「ま、まぁ、おあいこ……だからな」藤本の体格を見た酔客の怒気が急速に萎む。

 「そうです。おっしゃるとおりです」

 「でもよぉ。おあいこだけでは納得できねーんだよ」

 「ええ、その通りですね。お客様の仰ることも分かります」

 

 その時、ママが茶封筒を酔客に差し出す。紙幣が入っているらしい。

 「ごめんなさい。佐藤さん。これで勘弁して貰えるかな?」

 「ま、まぁ、ママさんがそこまで言うなら……」

 「分かってくれるかしら?もちろん今日のお代は結構よ」

 

 酔客はママの顔を見、それから藤本の静かに闘志を漲らせている顔を見る。

 そしてカウンターで、マスターが携帯電話を握っているのを見ると酔客は答えた。

 

 「分かったよ。お前らの顔を立ててやるよ。おい、鈴木。大丈夫か?」

 「おっ、おお」痛みに顔をしかめながら、グラスをぶつけられたもう一人の酔客が立ち上がる。

 

 二人は酔いの醒めた足取りで扉に向かう。ママと鈴木とマスターが見送りに出た。

 

 「二度と来ねーからな」

 

 憎まれ口が聞えた直後、扉を閉める音が聞えた。

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