疾走
三か月後、久美子は中古のスポーツカーを自ら運転し、高速道路を流していた。彼女はあの事件後、すぐに『なかよし』を退職し自動車学校に入学し、驚くべき熱意で普通免許自動車免許を取得した。
金をほとんど使わなかった彼女には、かなりの貯金があった。その金を使い、中古のスポーツカーを購入したのだ。咥え煙草で車を運転する久美子の表情は弾んでいた。
(やっと戻れる……元の世界に。マナも大分回復した。下位の送還魔法の呪文も思い出した……これで『事故』と『詠唱』を組み合わせれば……戻れる。戻れるんだ)
久美子は、ルームミラーに引っ掛けてある逆五芒星のアクセサリーを見つめた。例の繁華街にある『オカルトショップ』と言う店で見つけたものだった。どれもこれもが紛い物で、彼女にとっては何の意味も無い物だった。
だが、『¥500』と値札が付けられたアクセサリーコーナーの中で、この逆五芒星のキーホルダーだけが、彼女のマナに反応した。
どういう理由か分からないが、大量につくられた既製品のキーホルダーの中でも、この一つだけが、僅かながらも彼女のマナを増幅させる効果があったのだ。
(元の世界の『魔装具』のレベルだったらガラクタだけど……この世界だと貴重なアーティファクトだ)
この三か月間でマナは少しづつ回復し、それに諦めかけていた『送還魔法』の呪文も思い出した。弱い生命体しか送れない下位呪文だったが……。
カーブの続く道を進む。このルートを抜けると暫く直線が続く。彼女はここで前方に走るトラックかダンプがあれば、時速200kmで
コーナーの立ち上がり、クラッチを踏み込むとギアを三速から四速に変える。更に間髪入れずに五速へ。気持ちの良いほどの加速で開けた直線に飛び出す。
その瞬間、後ろでけたたましいサイレンの音が聞えた。ハッとしてルームミラーを見る。後方にピタリと黒色のセダンが張りついていた。車の天井から赤色の回転灯がせりあがってくるのが見えた。
『はい。前の白色の『淑女Ζ』、前方の路肩に寄せて停まりなさい』
スピーカーから割れた声が聞こえる。クソが。『ネズミ捕りの儀式』だ。しかも偽装した神官の鉄の馬でか……卑劣な奴らが……。久美子は減速しながらハザードランプを付ける。それを見た覆面パトカーもハザードを付けるとスピードを上げ、久美子のスポーツカーを追い抜いた。先導するつもりらしい。
久美子の車と覆面パトカーが並走した時、助手席に乗っている神官がこちらをチラチラ見るのを感じた。久美子も見返す。愚鈍そうなコボルトにそっくりだった。
路肩が近づく。パトカーが速度をギリギリまで落とし始めた。久美子もそれに合わせてギアを二速に落とす。だが『儀式』に付き合う気は無かった。
パトカーのブレーキランプが点灯した瞬間、久美子はアクセルを踏み込む。エンジンが唸りを上げて車が急加速する。すぐにクラッチを踏み込むとシフトレバーを三速、四速と上げていく。久美子の
「コ……ァ! ……まれッ!」スピーカーからの声がとぎれとぎれに聞こえる。サイレン音だけは周りの空間を渦巻くように歪んではっきりと聞こえる。
(停まる訳ねぇだろ。間抜けな神官どもが)
先行車を次々抜き去りながら久美子は
(やるじゃん)
前方にトラックがあれば突っ込む気でいたが、残念ながら大型車両は走っていなかった。久美子はチラリとルームミラーを見る。覆面パトカーはかなり距離を詰めて来ている。
(神官の乗る鉄の馬はエンジンを乗せ換えているらしい……あれもそうか。御者の操術も悪くないが、馬も良いみたいだ……)
目前に大きく緩やかなカーブが見える。
(だけど……このコーナーで"けり"を付けてやる)
スピードを緩めずコーナーに飛び込む。その瞬間、一瞬だけステアリングをコーナーとは逆に切り、次の瞬間イン側にステアリングを切った。サスペンションの復元力と遠心力が合わさり、アウト側にロールする。……しかし慣性力という物理法則で、『駿馬』の鼻面は鋭く、しっかりとイン側を見据える。
『スカンジナビアン・フリック』
(どうだ。真似出来まい)
鋭くコーナーに突入した駿馬は斜め方向を滑るようにコーナーをクリアしていく。エンジン音と回転計をしっかり見据え、エンジンの回転数が落ちる瞬間、クラッチを蹴とばすように操作する。その度にエンジンが急激に上がり、ドリフトが維持されコーナーをスムーズに曲がっていく。
立ち上がりの直前、久美子は踵をアクセルに載せ、つま先をクラッチに載せる。タイミングを見計らい、踵でアクセルを踏み込み、回転数が上がったエンジン音を確認するや否や、つま先のクラッチを踏むと二速まで落としたギアを三速に叩き込む。そのまま四速、五速と巧みな操作でシフトアップする。
プロドライバーのような見事なシフトチェンジでコーナーをクリアした。久美子はこの技術を、『リアルカーバトル劇画 あたま文字パー』を繰り返し読んで習得した。たつみくんサイコー。
コーナーをクリアした先は、再び長い直線だった。他の車両はほとんど見えない。そして遥か目前に、ノロノロ走るトラックが一台見える。
(……チャンスだ)
久美子はステアリングを握りしめると、ルームミラーを確認した。先ほどクリアしたコーナーは、はるか後方だ。そして赤色回転灯を光らせた覆面パトカーが、やっと姿を現した。
(オートマだろ?その鉄の馬。ミッションを舐めてんじゃないわよ)
久美子は勝ち誇った笑い声をあげた。覆面パトカーは明らかに速度を落としている。諦めたらしい。だが……
(どうせやつらは、高速道路の出口で『砦』と『警戒線』を敷いて待ち構えている……今、決めないと……)
久美子は見る見る近づいてくるトラックを見据え、マナを集中しはじめた。同時に、最近思い出した送還魔法の呪文を詠唱する。対象者は自分だ。
全身が青白いマナで包まれるような感触がした。魔力が上がっている。詠唱を開放した次の瞬間にトラックに追突しなくてはならない。最高速度で。久美子は慎重にアクセルを調節した。
……身体が異様に高揚する。顔の感覚がなんか変だ。久美子はほんの一瞬、ルームミラーで自分の顔を見る……
(……!? 戻ってる! エノクに! 本当の私に!)
完全復活したのか。今や久美子はエノクだった。美貌を持ち、人間も亜人間も惑わす、魔性の美貌と破壊的な魔力を持つ女上級悪魔『エノク』に戻っていた。
(アゼザル様!)
アクセルを思いっきり踏み込む。トラックは荷物を満載しているのか、ノロノロ走行車線を走っている。エノクはアクセルをベタ踏みする。トラックの巨大なアルミの積載箱が目前に迫る。
『ハッピー運送』と荷台に書かれた文字が視界一杯になった瞬間、エノクは魔法を開放した。
(いま参ります!)
魔法が発動している最中、淑女Zは巨大なトラックの後部に、時速220kmで激突した。荷物を満載した超重量のトラックが、その衝撃で前方に少しジャンプし、『速度』という特性のために、軽量化に命を削った駿馬は、ぶつかった瞬間、形を失いただの鉄の塊と化した。
ただ、タイミングは完ぺきだった。
これ以上ない位、完璧だった。
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