第2話


そんなことがあったものの、日常は目まぐるしく過ぎていくこともせず、工場の流れ作業のよりも淡々と過ぎていった。


それもそのはず、無事お目当ての大学にも入ることができたからだ。

それに東京で一人暮らしをすると決めていたので、気がかりだった叔母とも叔父とも関わらなくてすむ。

家を出ていく時、叔母は泣きに泣いて、形見と言って1冊の本を渡してきた。

純粋に嬉しかった。誕生日プレゼントやクリスマスプレゼントは貰うとしても実用品しか貰ってきてこなかった俺が、大切にしようと心に決めたぐらいには嬉しかった。

…まだ本は読めていないが、挟まれていた叔母の手作りであろう押し花のしおりには、

送れそうな時は仕送り送りますからね、東京での生活が雅久にとって幸せであります様に…

と弱々しく油性ペンで書かれていた。

まあ、叔父は俺が荷造りしている時もいざ出ていく時も姿をついぞ現しはしなかったが。



新幹線の中、荷物を見ながらため息をついた。


大学には全く心配などないが、そういえば弟に会う約束をしていたな、と思い出してしまったからだ。

あれから父上は連絡の一つもくれやしなかった。

来てる気配もなく、あれは夢だったのではと思った日もあったが、人の噂は75日…とはちょっと違うが、2ヶ月もたてば何事も無かったかのように俺は日々を淡々と費やしていった。


今、思い出したということが奇跡というぐらい父上の存在など今日まで考えなかった。


気が重くなる。

俺に会う価値はあるのだろうか。

柄にもなく人の目を気にしてしまった。あァ、俺の存在が恥ずかしい。



まあ、そんなこと考えても今に始まったことじゃなく無駄だ。

まずは大学の場所を確認し、その後新居へ向かおうか。

荷物開きという荷物もないから、新居に1度足を入れてから、新居の周りの店を確認しよう。


そう考えるよりも早く、駅から大学へのルートを検索した気もするが。


___ピロロロロ


電話だ。

叔母だろうか?携帯は行事や部活などの連絡のために特に関わりのないクラスメイト数名と叔母しか登録していない。


しかし、見たことも無い番号が携帯に表示される。

間違い電話だろうか…

しかしもし…もし、父上だったとしたら…?

甘い痺れが脳内を駆け巡った。


ボタンを押し、携帯を耳にかざし、もしもしと声を出す。



「…もしもし兄さん?…いえ、そちら雅久さんでしょうか?」


「ァ、ああ。」


声が掠れてしまった、その後ちゃんと立て直せただろうか。

全く聞き覚えのない声だった。

しかも、俺の事を兄と呼ぶ。

甘い痺れが今や恐怖に侵食されていて、鋭いとも言い難い頭を突き刺す痛みが脳内を埋め尽くす。


「良かった!雅久さんなんですね、

あっ、申し遅れました。僕は雅久さんの弟の寛吉と申します!

今、兄さんはどちらにいらっしゃいますか?」


たった数十秒の事なのに、莫大の量の情報を聞かされた気分だ。

コレが寛吉ね…と頭の片隅で素直に感嘆し頷く俺もいる。


「はい、寛吉さんですね。父上から聞いておりました。…今ですね、大学によろうと思いましてもうすぐ最寄りの駅に着くところです。」


電話応対のお姉さんを思い出しつつ、見ず知らずの弟に話しかける。

すぐさま寛吉は、


「ああ!はい!分かりました、僕は大学の前のカフェでお待ちしております。」


「…は、大学の前にカフェなんてあるんですね、わかりました。カフェに向かいます。」


つい、動揺を声に出してしまう。

まさかとは思うが、こいつ俺と一緒に新居を見に行くのか…?

いやまさか、見ず知らずの兄の家を確認して何の意味があるのだろうか。

いや、ない。俺だったら見ず知らずの弟の家は確認しない。

そもそも、カフェて。お前は彼女を待つ彼氏か。


「お待ちしておりますね!では!」


そう、相手から電話を切られる。

そのハツラツとした声とは裏腹に俺の心と顔は、陰鬱としていく。

今鏡を見たら、悪霊に憑かれて生気を吸い取られたかのような顔をしているんだろうなと、漠然と思う。


叔母からの暖かい応援や未知への世界への期待で、大学に対して比較的明るい気持ちで接していたのが、

見ず知らずの弟という不安因子が電光石火、俺の新しい生活という町を竜巻のようにぐちゃぐちゃにされた気分だ。


そんなこんなを考えていると、本当に大学の前にカフェを見つけてしまった。


寛吉はどこだろうと、入口へと吸い込まれるように歩きつつ、窓をチラリとみる。

店員さんに聞くのは億劫だし、寛吉と新居を見るということも相まって俺の心は泥靴で踏まれた弱い雑草のようにゲンナリとしていた。

しかし、それは杞憂に終わったようで寛吉だろう青年がこちらに手を振っている。

俺はふ、と微笑みを作り

歩きながら頭を下げるだけという軽い会釈をした。


店内に入ると、いらっしゃいませ〜おひとり様ですか?

と聞かれるものの、やはりふわふわと聞こえて俺は緊張しているのか、と胸の内が少し騒いだ。

店員に、待たせているヤツがいる。と伝えると店員の対応に目もくれず、満面の笑みでこちらに手を振っている男のもとへと歩く。


「兄さん、来てくださってありがとうございます。」


席に着いた途端、さっきの俺のように微笑みながら会釈をしてきた。

微笑みを返しながらなるべく音を立てずに静かに座る、借りてきた猫ってこんな感じなのかもなァとどこからか声がした気がする。

俺の後をついてきたらしい店員にアイスコーヒーを1つ、とご注文はお決まりでしょうか?という決まり文句の前に頼む。

さっきから店員に主導権を渡さない姿はまるで、2人だけの世界ですので邪魔者は黙っててくださいね、と宣言しているような感じじゃないか?と胸が屈辱的にざわつき少し後悔する。


「腹は違えど、兄弟なのでしょう?

その、敬語は辞めませんか。」


腹は違えど、の部分を皮肉に強調しつつ、真顔でそう告げるといかにも嬉しげに弟は言う、


「まさか、兄さんからそんな言葉が頂けるとは…

お言葉に甘えさせて頂きましょう…

ねえ、兄さん今日、僕がここにいる理由はなんだと思う?」


相手も腹違いという忌々しい事実を少しは弁えているようで、俺の言葉に驚く弟に少し安堵が流れる。が、理由という言葉に身体を強ばらせる。

やはり会いたいというだけではないのか…

東京の大学は寛吉が行くから諦めろ?か、御葬司様の跡継ぎがなんちゃらだからお前は隠れて生きろ?

なんだろう、叔母に大学生活頑張ってと言われた身、大学は通いたい。

この間、ものの数秒。


「さあ、わからないから聞きに来たんだがな…。

寛吉さんが教えてくれないのであれば俺はこのまま帰るつもりです。」


相手を威嚇しながら、馬鹿にする。

高校時代、くだらないヤンキー共に金をいびられたことが何回もあるので台詞はいつも言っているかのように口から出た。ヤンキー共を病院送りにした事があるくらいには力はあるつもりだ。


「ふふ、兄さんって短気なんだね。」


俺の言葉をまるで聞いてなかったかのように、するりとかわされた。

無性にイライラしてたまらない。まるで…ああ、イラついて例えが思いつかないぐらいイラついている。

すっと、寛吉は鍵を俺の前にだしてきた。


鍵を見た瞬間、全身の血がサァーと抜け出たような感覚がした。

俺の家を見に来るなんて甘いものじゃない、こいつは…


「僕の持っているマンションで一緒に住みませんか?」


今すぐ卒倒してしまいそうなのをグッと堪え、顔に集中する。

手が震えているのにも気づいたが、寛吉に行為を示さなければいけないと理由もわからずに頭の中でそう処理をし次の言葉を紡ぐ。


「寛吉さんのマンションに?いいのか?

確かに俺はお金がないから割り勘するのはとても助かりますが…」


確かに…確かに助かるが、今まで赤の他人同然だったのにお前は平気なのか?

他人を家に住まわせて、ストレスを感じないのか?

言葉には出なかったがニュアンスは伝わったのだろう


「僕は大丈夫ですし、兄さんはお金を払わなくていい。」


「それでは寛吉さんに迷惑をかけてしまうのでは…」


「いいのです、僕が兄さんと居たいだけなので僕のワガママに付き合うというお礼に家賃は結構です。

…悪い話ではないでしょう?」


「ええ、確かに楽ですが…

お断りさせていただきます。」


強めに言うと少し心が軽くなった。

そういえばと、敬語はよしてくれとこちらから言い出したのに敬語になっていることに気づいた。

やはりコイツとの同居は丁重に断らねばと心で復唱する。


「あ〜…うーん、そうですよね。」


渋々といった感じだが、意外にもあっさりと了承してくれて驚きが隠せない。

今日初めてあったのにコイツはもう少し粘るかと思ったが、と肩を撫で下ろした。

話は終わりか?と呟いて弟が動揺したのを確認したあと、まだ飲み切っていないアイスコーヒー代を机の上にだして


「それでは俺は新居の確認をしに行きますね。それでは。」


と一方的に突きつけて店をでることにした。マラソンを走り終わったかのような疲労感と怠惰感、しかし爽快感が俺を包み込んで、

そういえば今日は晴天で太陽が気持ちいいなと柄にもないことを思い足を進めた。




























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拝眉そして大腐 白檀 @sandalwood_100

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