拝眉そして大腐

白檀

第1話





俺には弟がいる



____そう知ったのは俺が高校の3年生になってすぐだった。

厳密に言えば、"知った"んじゃなくて"知ってしまった"というのが正しいだろう。




家に帰ると、叔母が泣いているのが聞こえた。

純粋に何故だろう、と疑問に思った。



俺の母親は俺が小学校に上がる少し前、入水自殺をした。

子供を産むと共に父に置いていかれ、もともと気が狂っていたが俺がどんどん父に似ていくにつれて狂ったそうだ。


さらにはあの子の母親は入水自殺をした、とクラスの子の親から嫌煙され、

家の反対を押し切っての結婚だった、借金が、カタギが、と尾ヒレに尾ヒレが付き、遂には友達という友達ができなかった。

大体、親の言いつけだから、と絶交を持ちかけられた。




高校にはいると叔母は俺に干渉してこなくなり(というか叔父に高校生なのだからもう世話はするな、と止められている。もともと叔父は俺の世話が不本意だったようでやっと理由が見つかって嬉しそうだ。)俺の世話をするという悩みの種は無いはずなのに。

唯一、顔を会わすのはご飯の時だけ。

それぐらいの繋がりだが、やはりこの家に来てからずっと叔父の目から隠れてコソコソと愛情を注いでくれた叔母が泣いているのは心苦しくて、話を聞いてやろうか、と声をかけようと叔母の部屋へ行った。


しかし叔母の部屋の前でふと止まってしまった。

ご飯の時だけ顔を会わす俺が、叔父にとって邪魔な俺が、どんな顔をしてなんて切り出すべきなのか?

そもそも話しかけない方がいいのか?

と襖に手をたどたどしく伸ばしながら考えていると、



____知らない男の声が聞こえた。


後頭部になにか…そう、人の命を一瞬で奪うような熱い弾でドンッと撃たれた気持ちだった。

瞬く間に全身の血が燃え上がる、が、数秒も経たないうちにそれがまるで嘘のように絶対零度の血が循環する。


なんだ、なんだこの気持ちは、死を体験しているようだがそんなんじゃあ、言い表せない…

大量のそれこそ数千、数万の霊達が俺の中を通ってゆくような…


異常な寒気。



俺は襖に伸ばしていた手を震わせつつ自分の身体に引き寄せ、全身で息を引き詰め、必死に気配を消そうとした。

なるべく音を立てずに息を、と繰り返し心の中で唱える。

そんな自分の意志に問わず心臓が鳴り続ける。耳が燃えるように痛い。

得体の知れない何かに追われているかのように冷や汗が止まらない。

なんなら鼻の奥がツンとして今にも涙が出そうだ。


この男の話を聞く為に気配を消さなくてはいけないのに…!!


話を盗み聞こうだなんて好奇心からじゃない、その男の声音から尋常ではない張り詰めた空気が漂っていたからだ。

__いや、張り詰めた空気は俺からか…?

こんなにも人を警戒したことは無い、漫画の読みすぎか?ドラマの見過ぎだろうか?…いや、漫画やドラマはどうも見ているうちに飽きてしまうので見たことがない…

心臓の鼓動はけたたましく鳴り続ける。


そろそろアイツも高校を卒業するだろう…


あ、ああそうだ、なんだって大学の入試の勉強をしている?

この男に何故俺の卒業が関係あるのか…?

耳が熱い。溶けてしまうかのようだ。



卒業したとしても………ゆ……あまりにも……………ごめんなさい。



叔母の声は涙声でしかも相手にビビっているのか声がか細くて聞き取れない。

この緊迫した空気に、音に、人に、恐怖感だけが募る。

これでは何の話をしているのかさっぱり検討がつかない。

そして俺はどうするべきなのかと目を右往左往させた。



___ガチャ


俺は猫が突然でてきた蛇に驚愕するかのように肩を揺らし、目を開いた。


…なんてことは無い、叔父が帰ってきたのだ…ああ、全身にゆったりと血が巡る。生きてる心地が戻ってきた。

これほど、叔父の存在に安心感を覚えたことは無い。


あの、旦那が帰ってきましたので…もう…


そうだな………………また。



知らない男が出口へ向かおうと立つと同時に俺は叔母の部屋の前から去った。

もちろん細心の注意を払い、かつ気配を消して。さっきまでの尋常ではない寒気も無くなり逆に泣きそうだったがそんなことより早くこの場から逃げなくてはならない。

嘘かのように冷静で、自分でも驚く。



しかし、そんな安心感が俺を鈍らせた。



おい、



不思議と肩は揺れなかった。

が、心臓が張り詰めたようにガンガンと鳴り響く…痛い。

冷静、冷静、取り繕って振り向く


「なんでしょうか」


自分の声なのだろうか、足が浮いているような感覚がする。顔は、目は、声は、ちゃんと相手を向いているだろうか。


「おまえが、雅久か。」


ふっと心に隙間ができた。

雅久と呼ばれた瞬間懐かしいような暖かいものが流れてきた。

この感覚は…もしかして、いやもしかしなくても


この男は父なのではないか、と。


心の中で今更なんなんだと苦虫を噛み潰したような気持ちと、産まれて初めて父上に会えて嬉しいという気持ちがごちゃ混ぜになって吐きそうになる。


「ええ、そうです。」


そんな内情を悟られないよう、努めて硬い声をだす。いかにも私は警戒していますよ、とでも言うように。


「そうか……」


しかし男はそう一言呟いただけだった。それは乾いた砂に石を落としてしまったかのような声音だった。全くの感情も見つけられない。

俺は唖然とした。


久しぶりに、18年ぶりに、息子に会ったというのにそれだけか!

普通なら大きくなったなとか言うものではないのか!

この沈黙はなんなのだ!そして今まで沈黙なんてものともしなかった俺が動揺している、この沈黙はなんなのだ!


ああ、父上、他に何か言ってくださいませんか。

縋るように父上を見る。

はく、と口を動かしてみるが声は出ない。



「すまん、なんでもない。

___邪魔をした。」



ふわりと白檀のいい香りがする。ぼんやりと父上が踵を返し玄関へ向かうのが見える。

俺が何も出来ないおかげで、崖から墜ちた。…奈落へと。


見放されてしまった…?


俺は柄にもなく焦った。

今日という日は、俺という歴史を次々と塗り替えてゆく。こんなに感情を揺れ動かした日はない。


「お待ちください…!父上……!!」


言うつもりがなかった言葉が出た。

父上も目を猫のようにして驚いている、どこかで冷静な俺が今の俺とそっくりだなァと呟いた。


「雅久…」


…違う。そんな顔をさせたいわけではなかった。

しかし気の利いた言葉も伝えたい言葉すらも思いつかない。真っ白だ。


「…寛吉と…お前の弟と会ってくれないか。」


父上は後ろめたそうに目を下に向けてから俺を見た。


弟がいるのか?


…そうか、つまり本妻の子だな。

答えはあっさりしていた。

父上は俺に会いたくて逢いに来たわけじゃないのだろう、弟が会いたがってぐずっているから仕方なく俺に逢いに来たんだな。

ああ、きっとそうに違いない。

今までの勝手な期待は崩れ去った。トランプで作ったタワーを倒したようにあっさりと音もせず。

ふつふつと苛立ちがやってきた。


「いいですよ。しかし、いまは入試の勉強で忙しいので…


___またいつか。」


そっと告げて自分の部屋に戻った。

入試の勉強が忙しいだなんて嘘だった。毎回テストでは1位を取っているし、毎日勉強漬けなわけじゃない。別に休日は朝から本を読むか、ボーッとしたりして過ごしている。

そう伝えてみたものの、父上の顔は見れなかったし答えも聞かなかった。それに静止の声も聞こえなかったので、俺に弟か、と息をついた。
















「父上様、今日雅久さんの家にお伺いしたと聞きました。」


「お前は…。

そうだが?」


「例の件、聞いてくださいましたか…?」


「…ああ。春頃には会えるだろうな。」


「、ありがとうございます…!!」

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