執事 二
場所は変わらず応接室、そこでミュラー子爵から説明を受けた。
なんでも彼の息子さんたちには、事前に話が通じていたのだそうな。曰く、もしも戦場からミュラー子爵の訃報が届けられたのなら、その時にはしばらく、お互いに家人の目の届かない場所に隠れて欲しいと。
これを忠実に実行した息子さんたちは、自身も副店長さんから伝えられて知るように、跡目争いから亡くなったという体裁で動いてみせたらしい。お子さんたちの言葉に従えば、お父様が死んだとは決して思わなかった、とのこと。
これまた父親に似て賢い少年たちである。
一方で息子さんたちの動きを素直に信じた執事の人は、ディートリッヒ伯爵なる人物の指示の下、唯一生き残った盛り姫様を担ぎ上げて、ミュラー子爵家をどうにかする為にあれこれと動き出したのだという。
そう考えると、ディートリッヒ伯爵家というのは、子爵家にとってライバル的な家柄と思われる。
隣国との戦時下にありながら、同時に国内でも家族を巻き込んで、家同士の抗争を考えなければならないとは、ヘルツ王国の貴族社会は大変なものである。ピーちゃんほど優秀な人物が、もう戻りたくないと語ってみせたのも納得だ。
ちなみに盛り姫様の毒殺騒動については、ミュラー子爵と懇意にしている貴族から彼女を遠ざける為に行われた、セバスチャンによる自作自演だったそうな。まんまと利用されてしまったハーマン商会である。
「なるほど、そのようなことになっていたのですね」
「ササキ殿には迷惑を掛けた。我々の問題に巻き込んでしまったことをすまなく思う」
こちらに向き直り、ミュラー子爵は頭を下げてみせた。
おかげで居合わせたお子さんたちから、ぎょっとした目で見つめられた。やはり、貴族が平民に頭を下げるというのは、滅多にない出来事なのだろう。気性の荒い盛り姫様などは、即座にお口が動いた。
「お、お父様っ!?」
「エルザ、お前には特に苦労を掛けたな。すまなかった」
「っ……」
続く娘の言葉を遮るように、ミュラー子爵は語る。
彼はその手で盛りに盛った彼女の頭を撫でて見せた。ボリュームが半端ないし、フワフワしているし、しかも随所にリボンや飾りが付いているしで、めっちゃ撫で難そうだ。それでも懸命に腕を動かしてみせる。
「……お父様、どうして私には伝えてくれませんでしたの?」
「エルザはとても素直な子だ。隠し事は苦手だろう?」
「で、でもっ、心配しましたっ!」
「そうしたエルザの振る舞いが、セバスチャンを動かすのに一役買ったのだ。おかげで私はとても助けられた。そういった意味では、君の行いもまた、私にとっては大きな力だったのだよ。ありがとう、エルザ。私の可愛い娘」
「っ……」
これまた絵になる光景である。
パパから優しく微笑み掛けられたことで、盛り姫様のお顔は真っ赤だ。
もしも同じことを自分がやったら、通報必至の名シーンである。
それからしばらく、娘さんが落ち着くのを待ってから、ミュラー子爵は改めてこちらに向き直ってみせた。たくさんナデナデしてもらったおかげか、盛り姫様も機嫌を直した様子で、我々を見つめている。
「しかし、本当に死にかけるとは思わなかった。当初は訃報を出してすぐに戻る予定だったのだが、自ら知らせを出すまでもなく戦死が伝わる羽目になるとは、私もまだまだ精進が足りていない」
「私が手を貸さずとも、ミュラー子爵はお一人で殿下を助けたと思います」
「そんなことはない。あの時はもう駄目だと考えていた。殿下は歩くことも儘ならない重体であり、私も精根尽き果てていた。貴殿の魔法により天から大量の水が降り注いだ時、我々は喉の乾きから目を輝かせたものだ」
あの時はこっちもこっちで必至だったけれどな。
本気で死んだと思った。
墜落的な意味で。
「そういえばマルクス殿下のことで、少しお話をしたいことが」
「なるほど、私でよければ幾らでも言って欲しい」
「ありがとうございます。それでは後ほどお時間を頂戴できたらと」
「うむ、承知した。ササキ殿」
一時は危ぶまれた子爵家の騒動も、これにて一件落着である。
◇ ◆ ◇
同日はミュラー子爵のお城でご厄介になる運びとなった。
是非泊まっていって欲しいとのこと。
我々の他にマルクス殿下もお泊りするとのことで、その日のお城は大騒ぎであった。殿下の来訪については、ハーマン商会さん以外には口外しないで欲しいと子爵様から言われていたけれど、この様子ではいつまで秘匿にできるか怪しいものである。
そして、晩には豪勢な宴が開かれた。
こちらに戻ってきたのが朝も早い時間だったので、その支度をしている間に、ミュラー子爵とマルクス王子は休みを取ることができたようだ。会場で見掛けた二人は共に顔色を戻して、割と元気そうにしていた。
ちなみに自分とピーちゃんも、その催しにお呼ばれした。
主役であるミュラー子爵とマルクス殿下の周りには、常に貴族様の姿がある。平民である自分たちは、会話をすることはおろか、近づくことも難しそうであった。なので既に十分にお話をした後ということも手伝い、当初から食事に意識を定めた。
立食のビュッフェ形式で食べ放題。
ここぞとばかりにがっつかせて頂こうという算段だ。
『この肉、なかなか美味いぞ』
「本当? それなら僕も試してみようかな」
会場の隅の方のテーブルで、ピーちゃんと言葉を交わしながら手を動かす。
皆々の注目はミュラー子爵やマルクス殿下に向かっている。ボソボソと小声で控えめに交わす程度であれば、まずバレることはあるまい。会場には他にも平民と思しき人たちがいる。おかげで悪目立ちすることもなく食事ができる。
「このデザート、フレンチさんが作ったのと似てない?」
『似てるというか、そのものではないか?』
ピーちゃんとあれこれ言い合いながら食べる食事は楽しい。普段とは違った場所で、という状況も手伝ってのことだろう。料理も非常に多彩であって、一晩で全てを味わうことは不可能なのではないかと思わせるほど。
そうしてディナーを楽しむことしばらく。
「ちょ、ちょっと、そこの貴方っ!」
空になった手元の皿を眺めて、次なる料理を求めに足を動かそうとした頃合いのことだった。ふと覚えのある声を耳にして、その意識がビュッフェボードから声の聞こえてきた方向に向かう。
すると目についたのはミュラー子爵の娘さん、盛り姫様だ。
どうやら我々の用があるらしく、こちらをじっと見つめている。
おかげで彼女の他、彼女の存在に気付いた周囲の参加者たちが、何がどうしたとばかり、こちらに注目していた。どこからどう見てもコギャルな彼女だけれど、これで子爵様の愛娘とあっては、同所での発言権も結構なものなのだろう。
彼女に声を掛けられたことで、こちらまで注目されてしまっている。
「これはこれはエルザ様、何かご用でしょうか?」
「……パパから色々と話を聞いたわ」
「話、ですか?」
一体何を聞かされたというのだろう。あまりにも唐突な会話の運びだったもので、どういった話題が飛び出してくるのか不安で仕方がない。肩に乗ったピーちゃんもお口を噤んで、彼女の言動に注目している。
それとなく目玉を動かして、パパさんの姿を探す。
すると彼は彼で他に大勢、貴族に囲まれて忙しそうにしていた。
ヘルプを求めるには些か距離がある。
「マーゲン帝国の兵から助けられたって言っていたわ」
なるほど、戦地での一件を聞いたようである。
きっと娘から請われて、断りきれずにあれこれと喋ってしまったのだろう。どこまで喋ったのかは知らないが、こちらとしてはあまり公にしたい内容ではない。取り分けピーちゃんの存在については、絶対に秘匿としなければ。
「いえいえ、そこまで大したことはしておりません。現地で偶然からお会いしましたところ、後ろからサポートさせて頂いたに過ぎません。前に立って戦われていたのはミュラー子爵とマルクス殿下のお二人でございます。その勇ましいお姿は今も私の脳裏に刻まれて……」
「そういうのは結構よっ!」
「…………」
適当にヨイショして交わそうかと思ったら、ピシャリと言われてしまった。
彼女は数歩ばかりこちらに歩み寄る。
そして、どこか申し訳なさそうな表情となり、言葉を続けた。
「パ、パパを助けてくれて、ありがとう」
「……エルザ様?」
それまでのどことなく怒っているような言動とは一変して、しおらしい立ち振る舞いである。どうやら当時の状況を追求しに訪れたのではなく、ただ単純にお礼を言う為に足を運んだようである。
これまた珍しいこともあるものだ。
「それと以前は辛く当たってしまって、悪かったわね」
ミュラー子爵からどのような話を受けたのか、ちょっと怖い。
彼女にここまで言わせるとは。
「滅相もありません。先程の言葉通り、私はほんの少しばかりお手伝いをさせて頂いた限りでございます。しかしながら、それが皆様のお役に立てたのであれば、その事実をとても嬉しく思います」
「以前、偉そうに語ってみせた時とは態度が違うわよ?」
くそう、どうやら過去の説教を根に持っているようだ。
他の参加者から注目を受けているこの状況で、そういうことを言われると非常に心苦しい。結果的にミュラー子爵もご存命であるから、輪をかけて小っ恥ずかしい。まさかこの年になって黒歴史を作る羽目になるとは思わなかった。
「大変申し訳ありません。私もあれからこの国の制度について学ぶ場を得まして、貴族と平民の関係がどのようなものか、理解を深めるに至りました。つきましては平民として、貴族であらせられるエルザ様のお言葉を改めて実感した次第にございます」
「そうなの?」
「はい、そうなのです」
「……なら、また改めることになりそうね」
「どういうことでしょうか?」
「言いたかったのはそれだけよ。それじゃあ失礼するわね」
「お声掛け下さりありがとうございました」
一方的にあれこれ語ると、盛り姫様は我々の下から去っていった。
大股でズンズンと歩む姿が非常に彼女らしい。
これに応じて他の参加者もまた、我々から視線を外していった。そう多く言葉を交わした訳でもない。挨拶に忙しいミュラー子爵に代わり、その娘である彼女が下々の下へ社交辞令に訪れた、とでも取られたのだろう。
「…………」
お礼と言えば、ふと星崎さん思いだした。
かなり長いことこちらの世界で過ごしている。今回の一件が片付いたら、一度元の世界に戻って状況を確認するとしよう。放置してしまっている仕事用の端末の着歴も気になる。もしかしたら上司から連絡が入っているかも。
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