執事 一

 副店長さんと別れて応接室を出た直後、盛り姫に呼び出された。


 廊下で待ち構えていた彼女に捕まってしまった次第である。そういえば彼女は実家から隔離されており、こちらの商会の高層階でお世話になっていた。しかしそれも、ミュラー子爵の無事が確認された昨今となっては、既に意味のない話だ。


「ちょ、ちょっと貴方っ!」


「これはこれはエルザ様、私に何かご用でしょうか?」


「屋敷に行くわよっ!」


「はい?」


 投げ掛けられた言葉はあまりにも唐突なものだった。


 どうして我々が付き合わねばならないのか。


「だから屋敷に行くわよっ! お父様がご無事だったのだから!」


「ミュラー子爵の無事は事実ですが、どうして私がご一緒するのですか?」


「戦場で途方に暮れていたパパを貴方が助けたのだと聞いたわ! それなのにどうして貴方は、私たちの屋敷ではなくて、こんなところで油を売っているのよっ! ちゃんとお屋敷で饗させなさい!」


 どうやらハーマン商会の副店長さんをすっ飛ばして、お嬢様の下には情報が届いていたようである。恐らくお屋敷から彼女の下まで伝令が走ったのだろう。屋敷で働いている人たちから愛されているのだろうな、なんて思った。


「いえ、ですが……」


「いいから来なさいっ!」


 しかも、相変わらず元気一杯である。


 頭髪も盛り盛りだ。


 背伸びをしたコギャルっぽい感じが可愛らしい。


「それではありがたくご同行させて頂きます」


「下に馬車を用意したわ! 早く行くわよ!」


「承知しました」


 きっとパパに会いたくて仕方がないのだろう。




◇ ◆ ◇




 馬車に揺られることしばらく、再びミュラー子爵のお城に戻ってきた。


 盛り姫様は屋敷と呼ぶが、見た目は完全にお城である。


「お父様っ!」


 父親の姿を確認するや否や、彼女は駆け足でその下に向かい、正面から力一杯に抱きついた。イケメンのパパが、可愛らしい娘さんを抱きしめる。なんて絵になる光景だろうか。写真に取ってSNSに上げたら、沢山イイネしてもらえそう。


 場所は同邸宅の応接室を思わせる一室だ。


 彼女の付き添いで、自身もまたミュラー子爵にお目通りする運びとなった。


 過去にも何度か子爵様や盛り姫様と話をした場所である。兵糧の調達を受けて、家具や調度品が減ってしまった室内の様子は、当初の豪奢な様子を知る者として、少し物悲しく映る。ただ、本日に限ってはそれも気にならない。


 何故ならば、そこにミュラー子爵と娘さんが共に並んでいるから


「エルザ、お前にも迷惑を掛けたな」


「迷惑だなんて、そんなことないわ!」


 盛り姫様は涙を浮かべながら、満面の笑みでパパに訴える。


 めっちゃ嬉しそうだ。


「それよりも、お父様が無事でよかった。本当によかったわ」


「そこにいるササキ殿のおかげで、命辛々戻ってくることができた。マルクス殿下をお救いすることができたのも、彼のおかげだ。もしも私一人であったのなら、殿下をお救いすることはできなかったことだろう。共に絶命していたに違いない」


「家の者からもそう聞いたわ」


「ああ、命の恩人と称しても過言ではない」


「だけど、私は不思議だわ。その男は商人だとセバスチャンが……」


「商人であり、優秀な魔法使いでもある」


「…………」


 このタイミングでミュラー子爵からヨイショされるとは思わなかった。


 おかげで小っ恥ずかしい。


 それもこれもピーちゃんが与えてくれた魔法の賜物だ。おかげで肩の上に止まった相棒の気配が気になる。今晩は奮発して、普段食べているものより良いお肉を用意しなければ、みたいな気分にさせられる。


「私もまだまだだな。今後は今まで以上に学ばねばならん」


「お父様でも、学ばなければならないことがあるの?」


「人生など死ぬまで学びの連続だ。そこに終わりはない」


「……そうなんだ」


「エルザも学び続けることを忘れないことだ」


「わ、分かったわ!」


 星の賢者様を信仰するミュラー子爵としても、これほどやり難い席はないだろう。ほんの一瞬ではあるが、チラリとこちらの肩に止まった文鳥の様子を窺っては、どこか申し訳なさそうな表情を浮かべてみせた。


 ピーちゃんおかげで皆が恥ずかしいじゃないか。


 そうこうしていると、部屋のドアがノックされた。


「旦那様! 旦那様! ご無事でしたかっ!」


 姿を現したのは執事の人である。


 名前をたしかセバスチャンといったか。


「うむ、どうにか無事に帰ることができた」


「それは何よりでございます! このセバスチャン、とても喜ばしく感じております! 家の者から聞いた話によりますれば、なんでも戦場ではマルクス殿下をお救いしたとのこと。これはもう家をあげて宴の支度をせねばなりませんな!」


「そうだな、是非とも頼みたい」


「承知いたしました! 盛大な宴を支度させて頂きます!」


「しかしながら、セバスよ。その前に少し話がある」


「なんでございましょうか?」


 娘さんとの抱擁を終えたミュラー子爵が執事の人に向き直った。


 我々の注目も二人に移る。


 盛り姫様も、なんだろう? といった表情で彼らを見つめている。


「これは屋敷に戻ってきてから家の者に聞いたのだが、エルザの婿としてディートリッヒ伯爵家の次男を紹介しようと考えていたそうだな? そうだ、丁度いい。エルザよ、セバスチャンからそういった話があったというのは本当か?」


「ディートリッヒ伯爵家の次男、ですか?」


「ああ、そうだ」


「一時的に私が家督を継いで、お家の取り壊しを防ぎ、そこへ婿を入れてお家を立て直すのだとは、セバスチャンから聞いておりました。それがお父様の為になることなのだと。しかしながら、入婿がディートリッヒ伯爵家の次男というのは初耳です」


「…………」


 ミュラー子爵の発言を耳にして、セバスチャンが表情が強張った。


 なにやら部屋の雰囲気が一変して思われる。


「セバスチャンよ、なにか私に申すべきことはあるか?」


「…………」


 キーワードはディートリッヒ伯爵家である。


 ヘルツ王国の貴族模様に知見のない門外漢には何が何やら。唯一判断できることがあるとすれば、伯爵なる肩書は子爵よりも上、ということくらいだろうか。それとなくピーちゃんの様子を窺ってみるも、彼は普段と変わらず文鳥している。


「お前たち、入ってくるといい」


 そうこうしていると、ミュラー子爵が手を叩いてみせた。


 これに応じて、廊下に通じるものとは別に設けられていたドアが開かれた。位置的には隣の部屋に通じていると思しき一枚である。ガチャリと音を立てて開かれたドアの先、姿を現したのは十代と思しき二人の少年だ。


 共に立派な貴族然とした姿恰好をしている。


「なっ……マクシミリアン様、カイ様、どうして……」


 たしかミュラー子爵のお子さんの名前だった筈だ。


 長いほうが長男で、短いほうが次男。


「以前からお前や一部の貴族たちの動きには疑問を持っていたのだ。そこで今回の出兵を機会に、策を打たせてもらった。婿がディートリッヒ伯爵家の次男ということは、実際に手を動かしていたのはドール子爵あたりだろうか?」


「っ……」


 ミュラー子爵が語るのに応じて、執事の人に動きがあった。勢いよく身を翻すとともに、駆け足で部屋を逃れようとする。これまでの落ち着き払った大人っぽい雰囲気から一変して、とてもアグレッシブな反応だった。


 どこへ逃げようというのか。


 すると間髪を容れずに、部屋の出入り口に騎士の人たちが現れた。


 手には抜き身の剣を構えている。


 それが二名、三名と部屋になだれ込んできて、執事の人を囲ってみせた。外には更に人の気配が窺える。どうやら事前に配置が為されていたようだ。こうなると執事の人は逃げることも敵わない。


「くっ……」


「セバスチャンよ、話は後ほどゆっくりと聞く」


 そうして執事の人は、騎士の人たちに縄を掛けられて、どこへとも連れ去られていった。牢屋的なスペースにお持ち帰りされるのだろうな、とは一連の流れから自分にも容易に想像がついた。


 しかしなんだ。


 ミュラー子爵の息子さんたちは無事だったのか。


 今はその点がとても喜ばしく感じられる。


 他人の生をこれほど嬉しく感じたのは初めてかも知れない。

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