敗退 二

 馬車に揺られることしばらく、我々は子爵様のお城に到着した。


 通された先は、以前にも訪れた覚えのある応接室だ。


 対面のソファーには十三、四歳ほどと思しき少女が腰を落ち着けている。艷やかな白い肌と青い瞳の、とても可愛らしい顔立ちの女の子である。ただ、そうした顔立ちにも増して印象的なのが、ミュラー子爵と同じブロンドの髪を盛りに盛った頭部の飾りっぷり。


 現代日本でも、若い女性の間でキャバ嬢カルチャーが一般に流行った時期がある。そのときに流行した盛り髪に負けずとも劣らない盛りっぷりである。頭髪に悩む中年男性としては、羨ましいにも程がある光景ではなかろうか。


 おかげでコギャル感が半端ない。


 また、ソファーに座った盛り姫の背後には、六十代ほどと思しき老齢の男性が、直立不動で控えていらっしゃる。副店長さんに連絡を入れたミュラー子爵の執事殿だそうな。年の割に背筋が良く伸びており、筋肉質な身体付きをしている。


「……我々に庇護を求められるのですか?」


「このようなことを家の外の方にお願いするのは恐縮ですが、どうか我々の願いをお聞き願えませんでしょうか? 昨今、こちらの屋敷ではお館様の跡目を巡り争いが起こっております。その影響は跡目に関係のない、こちらのお嬢様にまで及ぶほどでして」


「私とはお初にお目にかかると思うのですが、そちらのお嬢様は……」


 主に応対しているのは、副店長のマルクさんである。


 自分とピーちゃんは彼の隣に腰掛けて、何を語るでもなく話の成り行きを見守っている。かなり込み入った話題のようであるから、こちらの世界の文化風習に疎い門外漢が口を出すには敷居が高い。


「お嬢様、ハーマン商会様にご挨拶を」


「……ふん」


 執事の彼に促されて、盛り姫はつまらなそうに鼻を鳴らした。


 これまた不機嫌そうである。


 その首が動くのに応じて、頭髪に盛られた飾りがゆらゆらと揺れる。額より上に縦長な盛りっぷりは、僅かな首の動作にも先端を大きく揺らせた。見ている我々としては、飾りが落ちるのではないかと気が気でない。


「どうして私が平民に名を名乗らなければならないの?」


「このままではお嬢様の身の安全にも関わります。向こうしばらくはハーマン商会様の下で、お屋敷が落ち着くまで過ごされるべきでしょう。つい先日にも、食事に毒を盛られたことをお忘れですか?」


「っ……」


 どうやら割と退っ引きならない状況に晒されているようだ。


 食事に毒なんて、自分だったら絶対にトラウマになる。


 刺し身にアニサキスが入り込んでいただけでも、向こう数ヶ月ほど生魚が食べられなくなった覚えあるもの。以来もイカ刺しを食べるときは、必ず冷凍物を指定。新鮮なネタほどアニーちゃんとの遭遇確率は高いと学んだ。


「……私はエルザ・ミュラーよ」


「はじめてお目に掛かります、エルザお嬢様。私はハーマン商会で副店長をしております、マルクと申します。そして、私の隣におりますのは我々商会と同様、こちらのお屋敷に出入りをさせて頂いております、商人のササキと申します」


「はじめまして、ササキと申します」


「…………」


 盛り姫様は我々の顔をつまらなそうに眺めている。


 これと言って興味はなさそうだ。


 貴族と平民、身分的な問題も多分に影響してのことだろう。


「エルザお嬢様は長男であるマクシミリアン様と仲がよろしい為、マクシミリアン様と家督を争っている次兄のカイ様に目を付けられております。おふた方の後ろにはそれぞれを支持する貴族の方々の存在がありまして、我々も対応に困窮している状況です」


 なにやら新しい人名が沢山出てきたぞ。


 この場にいない兄弟の名前など、すぐに忘れてしまいそうだ。漢字ならまだ文字の雰囲気で意識することができるけれど、横文字だとそれも難しい。取り急ぎ長いほうが長男、短いほうが次男と覚えておくことにしよう。


「お嬢様の存在が家督争いに影響するのですか?」


「カイ様とは幼少より仲がよろしくなかったことが関係しているものかと。屋敷の人間にはお嬢様を贔屓にする者も多いですから、そうした背景も手伝っているのでしょう。また、跡目争いで精神が過敏になっているということも考えられます」


「カイは馬鹿なの。あれが跡目を継いだら家は終わりだわ」


「お嬢様、お客様の前でそのような物言いは……」


「だって本当のことじゃないの」


「他の家の方々にご助力を願われないのですか? たしかに我々の商会はそれなりの規模があります。ですが、それでもやはり平民に過ぎません。貴族の方々にお声を掛けられた方が、確実ではないかと存じます」


「これでなかなか複雑なものでして、ミュラー家に関係した方々は、どこまで信じられるか分からないのです。長年勤めている私であっても、今回の跡目争いについては、判断がつかない部分が多くございます」


「なるほど」


 彼女が跡目争いに直接絡んでいるのでなければ、これを助けることはそこまで大変な仕事ではないだろう。ハーマン商会さんなら、セキュリティの利いた施設を確保することも可能と思われる。たとえ平民であっても、蓄えた銭の力は並の貴族を寄せ付けない。


 一方で無事に仕事を終えた時、ミュラー家に売れる恩は大きい。


 副店長さんもそのように考えたようで、続く言葉は穏やかなものだった。


「承知しました。ミュラー子爵にはいつもご贔屓にして頂いておりました。ご家族の危地とあらば、我々も微力ながらお力添えしたく存じます。ご不便をおかけするかも知れませんが、それでもよろしければ、どうぞ我々の下にいらして下さい」


「ありがとうございます。お嬢様、お嬢様からもご挨拶を」


「……世話になるわね」


 ぶっきらぼうに語ってみせる盛り姫は、中学生ほどと思しき年頃も手伝い、思春期も真っ只中の娘さん、みたいな雰囲気を感じる。私の服をパパのパンツと一緒に洗わないでよね、みたいな台詞が似合いそうだ。


「それでは早速ですが、店の者に滞在先を確保させるとしましょう」


 副店長さんは笑みを崩すことなく、淡々と話を続ける。


 お貴族様とのやり取りにも慣れているのだろう。こうしてお偉いさんのお子さんを相手にするのも、初めてではないものと思われる。身分の上ではどうだか知らないが、経済力を含めた力関係では、意外とイーブンなのかも知れない。


「すみませんが、それともう一つお願いがございます」


「なんでしょうか?」


「そちらのササキ様は、なんでも大変珍しい商品を扱っていらっしゃるのだとか。以前、旦那様から伺ったお話によりますと、遠く離れた場所でお互いに会話をするような道具や、遥か遠方を見渡す道具をお持ちだと耳にしました」


 ここへ来て急に執事の人から話を振られた。


 副店長さんが自分を連れてきた理由はこれだろう。


 彼に代わって、ここからは自分が受け答えをさせて頂く。


「たしかにそのような商品もございます」


「それらを一式ずつお受けしたく思います」


 素直に答えて応じると、執事さんから即座に発注が掛かった。


 何に利用するつもりだろうか。


「一方はかなり制限のある商品となりますが……」


「それは存じております。なんでも遠く離れた場所と話をする道具には、距離に制限があるそうですね。しかも利用する為には、特別な金属が燃料として必要になり、これが非常に高価だとも伺っております」


「ええ、そうです」


「そちらですが、どうか売っては頂けませんか?」


「……そうですね」


 ミュラー子爵の執事さん相手なら、まあ、いいのではなかろうか。


 数も一つだけとのことだし。


「承知しました。近い内に仕入れて参ります」


「ありがとうございます。とても嬉しく存じます」


 そんなこんなで子爵様のお宅でのやり取りは過ぎていった。

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