跡目 一
ミュラー子爵宅で話を終えた副店長さんは、すぐにどこへとも去っていった。
なんでも盛り姫様の住まいを用意しに向かうのだとか。執事の人からも、なるべく早めにお願いします、との注文を受けていたので、きっと今晩あたりは大変なのではなかろうか。当然、我々と駄弁っているような暇はない。
そこでこちらは例によって魔法の練習にやってきた。
継続して中級魔法の新規習得に励んでいる次第である。
守りについては、回復魔法と障壁魔法を中級グレードで覚えたので、次は攻め手のバリエーションを増やそうと考えた。唯一使える攻撃性の中級魔法は、雷撃を放つ魔法である。これが非常に指向性の強い魔法であるから、次は広域を補える魔法を練習中だ。
幾つか呪文を教えてもらったので、それらを順次繰り返している。
『……まさか、あの者が討たれるとはな』
しばらく練習をしていると、傍らでピーちゃんがボソリと呟いた。
ちなみに同所での彼のポジションは、こちらの肩を離れて、地面の上に置かれたリュックサックの上である。そこにちょこんと止まって、魔法の練習に励む中年野郎を見守って下さっている。可愛らしくも頼もしい文鳥だ。
「ミュラー子爵とは仲良しだったのかい?」
『仲良しというほどではないが、何度か酒を交わした覚えがある』
「……そっか」
副店長さんから訃報を聞いて以来、どことなく湿った雰囲気を感じる。
恐らく同じ会社に勤める同僚のような関係にあったのだろう。
『もう少しばかり、長生きすると思っていたのだがな』
「…………」
出会って間もない自分には、彼に掛ける上手い言葉が浮かばない。
魔法の練習の手を止めて、その様子を窺うばかり。
ただ、ずっと黙っているのも気まずいので、異世界一年生という立場を利用して、適当なところで合いの手を入れさせて頂こう。
「こっちの世界には人を生き返らせる魔法とか、あったりする?」
『厳密には存在しない。ただ、似たようなことを行う方法はある』
「え? 本当に?」
『しかしながら、そのためには幾つかの条件が存在している。それに全てが全て元通りという訳でもない。少なくともこれまでの生活を、人としての営みを全て放棄する必要がある。同時に世間からは、外法として忌み嫌われている』
「……なるほど」
『そちらの世界には存在するのか?』
「申し訳ないけれど、力になれるような技術はないかな……」
『いいや、貴様が謝る必要はない。生きているということは、いつか死ぬということだ。今回の一件ではあの者に限らず、多くの者たちが亡くなったことだろう。いちいち気にしていては身が持たん』
ミュラー子爵の言葉を信じるのであれば、こちらの文鳥は腐敗も甚だしい貴族社会の中にあって、それでもお国の為に立ち回っていた豪傑である。そんな人物の諦めにも似た物言いは、出会った当初の告白と相まり、なんとも重々しいものとして響いた。
「もしも自分に何かできるようなら、気軽に声を掛けてよ」
愛しいペットの為なら、多少のリスクは取る覚悟がある。
これまでの好意に報いたいとも感じている。
「これでもペット思いの飼い主だからさ」
『ふふん、稼ぎが悪い割には口達者ではないか』
「そっちも頑張るってば」
『……ああ、期待していよう』
すぐにどうこうと考えない時点で、ピーちゃんは既に、この世の中から一歩身を引いてしまっているのだろう。だからこそ、そんな彼に先んじて自分が動くのも違う気がして、意識は再び魔法の練習に向かった。
しかし、それから数日ほど頑張ったけれど、魔法は覚えられなかった。
色々と気になることが多くて、雑念が入ってしまった為ではなかろうか。
魔法の行使に大切なのはイメージ、とのことである。
◇ ◆ ◇
魔法の練習が上手く進まないことを受けて、気分転換することにした。
向かった先はハーマン商会さんの下である。
ミュラー子爵の娘さんの近況を確認しに訪れた体で、軽く雑談でもしようと考えた次第だ。当面の彼女の所在については、我々も確認をしておいた方がいいだろう。執事の人と顔を合わせている都合、何かあったときに知りませんでした、というのは避けたい。
もしも彼女と顔を合わせることができたのなら、趣味や食べ物の好みなど、訪ねてみてもいいかも知れない。盛り姫様のご機嫌伺いにチャレンジである。中学生くらいの女の子だし、スギノのケーキなど買っていったら、喜んでくれるのではなかろうか。
というのも、自分が彼女とお話をすることで、肩の上のピーちゃんも、少しは気が晴れるのではないかな、とかなんとか考えている。本人はあまり多くを語ろうとしないが、子爵様とはそれなりに交友があったように思われる。
そうした理由から、我々は副店長さんの下を訪れた。
すると彼はいつものニコニコ笑顔を浮かべて、盛り姫様の下まで案内をしてくれた。場所はハーマン商会の本社が収まる建物の上階フロアだ。色々と検討した結果、同所こそが安全且つ快適であると判断したのだそうである。
感覚的にはタワマンの最上階、みたいな感じだろうか。
ハーマン商会の本拠地ということもあって、深夜でも常に見張りが立っているそうだ。そうして聞くとたしかに、これ以上ない隠れ家だと思う。更に今後は盛り姫様の為に警備を増員、武装した護衛もマシマシだという。
そうして通された先、臨時で設えられたミュラー子爵の娘さんの居室。
二十平米ほどの広々とした一室に、天蓋付きのベッドやら、豪奢なソファーセットやらが窺える。調度品は店のものだろうか、それとも屋敷から持ってきたものだろうか。いずれも非常にお金が掛かっているように見える。
「お久しぶりです」
「……なに?」
軽快にご挨拶をしたつもりだけれど、お返事は厳しいものだ。
ベッドに座り込み、こちらを睨みつけていらっしゃる。
副店長さんが一緒だったら、もう少し穏やかに対応してもらえたのかも知れない。しかしながら、彼は他に忙しいとのことで、同所には自分とピーちゃんの二人で向かう運びとなった。きっと子爵様の敗退における処理とか、色々とあるのだろう。
「ご挨拶をと思いまして、伺わせて頂きました」
「言っておくけど、私には利用価値なんてないわよ? あの家のことはお兄様たちが握っているから、この身体をどうにかしたところで、何の利益も得られないのだから。私にできることは精々、晩御飯の献立に追加で一品お願いするくらいかしら」
「なるほど、エルザ様は美食に覚えがお有りですか?」
「……私のこと、馬鹿にしているの?」
「滅相もありません。私の知り合いがこちらの町で、上流階級向けの飲食店を経営しています。もしよろしければ、気晴らしにと考えておりました。やはり外を出て回るのは億劫でしょうか? それでしたら料理を取り寄せることもできますが」
ピーちゃんが一緒なら、少しくらいは外出しても問題ないだろう
ミュラー子爵の言葉を信じるのであれば、星の賢者様は最強の魔法使いである。彼女一人なら十分に守ることができると思われる。それでも気になるようであれば、副店長さんに言って護衛を付けてもらえばいい。
屋内に引きこもりっぱなしというのは、精神衛生上よろしくないと思う。自身も過去に一ヶ月くらい、部屋に引きこもって生活した経験がある。あっという間に自律神経が乱れて、動悸が止まらなくなり、疲れていても眠れなくなった。
小さなことが気になり、得体の知れない不安に苛まれるのだ。
「いかがでしょうか?」
「……何という店なの?」
「それは……」
しまった、シェフの人がやっている店の名前、知らない。
どうしよう。
それもこれも彼に仕事を丸投げした自分が悪い。
「ここ最近になって営業を始めた店となりまして、お店の名前はあまり出回っておりません。繁華街の一等地で、店頭のベンチにまでお客様の予約が入っているお店、と言えば興味を持って頂けますでしょうか?」
「それってもしかして、フレンチの店のこと?」
それっぽく語ってみせたところ、相手に反応があった。
聞こえてきたのは店長の名前である。
「あ、はい、多分それです」
「貴方、あの店の店長と知り合いなの?」
「店長の名前はフレンチで間違いありませんか?」
「ええ、そうよ。甘いお菓子と奇抜な料理で有名なお店」
「それなら間違いありません」
よかった、どうやら無事に切り抜けたようである。
「あのお店、名前がないのよね……」
「そうなのですか?」
っていうか、名前もないのによく営業しているものだ。現代日本ほど厳密な規則はないのだろうけれど、それでも関心してしまう。足を運んでいるお客さんも、どうやって店のことを扱っているのか。
「何度聞いても、まだ決まっておりませんのでって言われるの。だからあの店に通っている者たちは、店長の名前からフレンチの店って言っているのよね。まあ、今となってはそれがもう店の名前みたいなものなのだけれど」
「なるほど」
そんなことになっているとは知らなかった。
ただ、おかげでこちらは助かった。
シェフの人、本当にありがとうございます。
「いかがでしょうか? 予約だ何だと面倒な手間は省いて、本日にでも食事を取ることができると思います。興味はありませんか? もしよろしければ、お好みの料理をご用意させて頂きたいと考えているのですが」
「私の機嫌を取ってどうするつもり? パパはもういないのよ?」
「他意はありません。ちょっとした気晴らしになればと」
「…………」
「それとも他のお店がよろしいでしょうか?」
ピーちゃんが少しでも大切だと思う人の娘さんだ。
なるべく良くしてあげたい。
ペットの悲しみは飼い主の悲しみである。
「あそこは貴族が相手だろうと、一律で予約の横槍を断っているお店よ。それが原因で何度か問題になったこともあったようだけれど、後ろにハーマン商会が付いているから、あまり強く言える人はいないらしいわ」
「大丈夫でございます。お約束します」
シェフの人のお店、そんなに凄いのかい。
これでも毎日のように通っている。しかしながら、自分やピーちゃんはお店の勝手口から入って、奥の個室で食事をするばかりである。そういった経緯もあって、他所様からの評判を気にしたことはなかった。
「……そこまで言うなら、付き合って上げてもいいわ」
「ありがとうございます」
普段から別室でご相伴に預かっている我々だ。一人くらい人数が増えても、たぶん問題はないだろう。
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