急務 三

 恐る恐る臨んだ初陣は、初っ端から大惨事の予感である。


 フロア内では建材の破片やボーリングの玉など、重量のあるあれやこれやが、どこの誰の能力に因るものか、凄まじい勢いで宙を飛び回っている。まるで局所的にハリケーンでも上陸したかのようだ。


 おかげで突入部隊は全滅である。


 課長が運用していたドローンも、全て撃ち落とされてしまった。


 活動しているのは星崎さん一人だけ。


 そうした彼女もまた、遂には建材の破片やボーリングの玉と同様に、ハリケーンの餌食となってしまった。敵グループの能力者による行いだろう、身体がふわりと空中に浮かび上がり、天井付近まで持ち上がる。


 そうかと思えば、頭を下にして床に向けて急加速。


 見た感じソロでパイルドライバー。


 ただし、彼女の周りには縦横無尽に動き回る水の壁が存在しているから、これといってダメージを受けることはない。水が衝撃を吸収することで、衝突から身体を守っていた。被害があるとすれば、都度水の中に身体が入り込んで濡れる程度だろうか。


 現状を抽象化して考えると、水を操るという彼女の能力もまた、念動力的な側面を備えている。これにタンク係の自身が付き従えば、ハリケーンの人ともある程度は勝負になる、というのは割と自然な話なのかも知れない。


 ただ、相手の姿が見えない為、戦況は彼女の防戦一方だった。


「佐々木っ……に、逃げなさいっ!」


「ですが……」


 上司からも連絡がないし、逃げるのが得策だろう。


 しかし、そうなると星崎さんはどうなるのか。


 他に控えていた前線支援の面々は、既に姿が見られない。どうやら逃げ出した後のようだ。おかげで自分もめっちゃ逃げたい。けれど、彼女のパートナーという立場上、どうしても決断することができない。


 倒れた同僚の中には、見るからにお亡くなりになっている人も多い。水の安定供給が失われたのなら、彼女もそこに仲間入りしかねない。後々になって彼女の訃報など届けられた日には、メンタルに支障をきたしそうだ。


「このままだと死ぬわよ!? いいから、い、行きなさいっ!」


「パートナーである貴方を残して逃げる訳にはいきません」


「っ……」


 それに何よりも、敵前逃亡で重罰、などと言われたら大変だ。


 以前、自衛隊の規律について本で読んだ覚えがある。敵前逃亡は懲役七年以下の懲役または禁固となっていた。まさか彼らと同じとは思わないけれど、それに近しい規則が整えられていても不思議ではない。


 というか、公務員として現場での活動に特別手当が出る時点で、絶対にあると思うんだ。思い起こせばそういった辺りの規約については、ほとんど確認していなかった。法律の上では存在しないかも知れないが、内々ではどうだか知らない。


 逃げるにしても、その辺りを考慮した上で――


「思ったよりも奮闘しておるのぅ」


 などと、あれこれ悩んでいたのがよくなかった。


 フロアの片隅で新たに人の気配が生まれた。


 ボーリングのレーンがあるメインフロアに対して、その隅に伸びていたトイレに通じる一角である。見たところ小学校中学年ほどと思しき和服姿の女の子だ。腰下まで伸びた長い黒髪に、色白い肌が印象的である。


 彼女が一連のハリケーンの元凶だろうか。


「なっ……」


 その姿を確認して、星崎さんの口から悲鳴じみた声が上がった。


 戦闘狂な彼女らしからぬ反応である。


「だがまあ、これで終わりじゃろうがのぅ」


 少女の姿を目撃するも早々、星崎さんは水の壁から氷柱を作り出し、これを相手に撃ち放った。一つ一つはペットボトルほどの大きさで、先端の鋭く尖った幾十という氷が、我々の見つめる先で飛んでいく。


 これに対して女の子は地を蹴って走り出した。


 勢い良く飛んでくる氷柱を器用に交わしながら、右へ左へ進路を変えつつも、星崎さんの下に向かい猛然と迫る。その速度はとてもではないけれど、子供の足とは思えない。まるで野生の動物のようだった。


 やがて水の壁の正面まで到達した少女は、大きく右腕を振り上げる。


 星崎さんが正面の水を氷に変える。


 構わずに振り下ろされた少女の拳が、分厚いそれを直撃した。


 ガツンという大きな音と共に、氷が音を立てて割れた。その先から姿を現したのは、驚きから瞳を見開いている星崎さんのお顔である。まさかそんな馬鹿なと、言外に訴えて止まない表情である。


 そうした彼女の頬に、少女がそっと指先で触れた。


「殺しはせん。なかなか使えそうな能力じゃ」


 その行為に一体どういった意味があったのか、詳細は定かでない。ただ、少女に触れられると同時に、星崎さんの周りに浮かんでいた水や氷が、支えを失って床に落ちた。行き場を失った水が床に大きな水たまりを作る。


 同時に本人はガクリと脱力して、ピクリとも動かなくなった。どうやら意識を失ってしまったようだ。宙に浮いたまま、まるで糸の切れた人形のように大人しくしている。


「…………」


 一連の出来事から察するに、ハリケーンの原因とは別の能力者のようである。つまり我々からすれば、能力者の敵が一人増えたということだ。しかもパッと見た限りでは、どういった能力なのかまるで判断ができない。


 人間離れした身体能力とも関係しているのだろうか。


「……もう一匹、ネズミが隠れているようじゃのぅ」


「っ……」


 なんということだ、こちらの存在にもお気づきの予感である。


 既に敵対組織の会合がどうのと言っていられる状況ではない。恐らく課長は偽の情報を掴まされたのだ。そして、まんまとおびき出された我々は、一方的に奇襲を仕掛けるはずが、逆に仕掛けられてしまったと思われる。


 素直に逃げても、彼女の人間離れした脚力を出し抜けるとは思えない。しかもこちらの廃墟のどこかには、ハリケーンの原因となった能力者が隠れている。下手に動き回るより、まずは落ち着いて状況を確認することを優先するべきだろう。


 そのように考えて、逃げ遅れた新米能力者は物陰から一歩を踏み出した。


「すみません。乱暴は止めてもらえると嬉しいです」


「ふむ、見ない顔じゃのぅ」


 ロリっ子の視線がこちらに向けられる。


 めっちゃ可愛らしい。


 古めかしい和服姿と相まっては、まるでお人形のようだ。


「はじめまして、佐々木と申します」


「局の人間のようだが、水の出どころはお主か?」


「さて、どうでしょうか」


「なるほど、あの娘と共に運用すると効果がある訳か」


「…………」


 サクッと舞台裏が看破されてしまった。


 このままではよくない。


 こちらからも話題を振って情報を引き出さねば。


「二人とも恐ろしい能力ですね。物を飛ばす能力で広域を抑えると共に、貴方の力で漏れてしまった相手を個別に対処していく。もしよろしければ後学の為にも、皆さんの名前を伺いたいのですが……」


「……おぬし、儂らを知らんのか?」


「え?」


 まさか有名人だったりするのだろうか。そんなことを言われても、異能力者一年生の自分にはさっぱりである。おかげで自身の経験の浅さが露見する羽目となってしまった。まさか一言目で地雷を踏んでしまうとは。


「なるほど、新人というわけじゃな」


「…………」


 女の子の口元に、ニヤリと笑みが浮かんだ。


 助けて、ピーちゃん。本格的にヤバそうな気配を感じるよ。

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