上司

 異世界から戻った我々は大人しくホテルに戻り、すぐに眠った。


 もう少しピーちゃんとお話したかったのだけれど、時間的な都合からそれも難しかった。あまり長くあちらの世界にいては、尾行の人たちに変に思われてしまう。どれだけトイレに籠もっているのだと。


 おかげで積もる話は翌日以降に持ち越しである。当初予定していた中級魔法とやらの練習も同様だ。後者については公務員としてのお仕事に差し当たり、事前に行っておきたかったところ、まこと無念である。


 そんなこんなで明けて翌日、早い時間に来客があった。


「……仕事、ですか?」


「ええ、そうよ」


 寝起きから間もない頃合い、ベッドの上でゴロゴロとしていると、部屋のドアがノックされた。清掃担当者の方が訪れたのかと思い顔を出してみると、廊下にはスーツ姿のお姉さんが立っていた。


 昨日、能力者の何たるかを教示してくれた彼女だ。


「急な話で申し訳ないのだけれど、付き合ってもらえないかしら?」


「…………」


 できればお断りしたい。


 しかし、その顔には有無を言わさぬ笑みが浮かんでいる。


「私はこちらの組織で貴方の他に人を知りません。今回のお誘いに付き合うことは吝かでもありませんが、こうした対応が組織全体の理にかなったものであるのか、これを判断するべき方にお目通しを願えませんか?」


「私と一緒に仕事をするのは不服かしら?」


「貴方という存在が組織において、どういった立場に在るのか、これを客観的に確認したいと考えることは、共に仕事へ臨む立場として当然ではありませんか? 見たところ現場の人間のようですし、直属の上長から話を窺う前に現場へ、というのはどうかと」


「……やっぱり年をとっている人間は使いにくいわね」


「誠意を持って接していただければ、自ずと人は心を開くものですよ」


「…………」


 パット見た感じクールな秘書さんっぽいのに、中身は出世欲にまみれた戦闘狂のようである。仕事熱心なのは良いことだけれど、もう少し相手のことを考えて欲しい。まさか能力者って誰もがこんな感じなのだろうか。


「あー、星崎くん、星崎くん。ちょっといいかね?」


「っ!?」


 そうこうしていると、廊下の方から他に声が聞こえてきた。


 男性のものだ。初めて聞く声色である。


 その声を耳にして、バリキャリの人が顰めっ面となった。


「……課長」


「朝イチでフロアを飛び出して行くから、気になって後をつけてみれば、なるほど、そういうことだったのかい。仕事に対して熱心なのは構わないけれど、君の都合に新人さんを巻き込むのはどうかと思うな」


「…………」


 お姉さんの後ろから、スーツ姿の男性が現れた。


 流すような前髪が印象的なミディアムヘア。俳優っぽい顔立ちのイケメンである。年齢は恐らく三十代。しかも背が高くて、百八十を超えていると思われる。おかげでスーツが良く似合っている。


 課長という響きからして、彼女の上司で間違いあるまい。


「私は阿久津だ。貴方が佐々木君?」


「え? あ、はい。自分が佐々木ですが……」


「星崎君から報告は受けていたんだけれど、顔合わせはこれが初めてになるね。何分忙しい身の上にあって、申し訳ないとは思うけれど勘弁して欲しい。一応、今後は君の上司となる人間だ。もちろん彼女の上司でもある」


「どうも、よろしくお願いします」


 どうやら先方から、わざわざこちらを訪ねてくれたようだ。


 あと今更だけど、バリキャリの人の名前をゲット。


 どうやら星崎さんというらしい。


 ところで我々の上司ということは、彼もまた国家公務員ということになる。どういった名称の部署なのかは説明を受けていないから知らないけれど、他所の中央省庁と横並びだとすると、彼の歳で課長というのは恐ろしく出世が早い。


 見た感じどれだけ上に見積もっても三十代中頃なのだけれど、まさか若作りだろうか。普通だったら四十を過ぎた人間が就くポストだったはず。それとも外見を若く取り繕う能力など存在しているのか。いずれにせよ背景が気になる人物だ。


「星崎君、君はフロアに戻って先日の報告書作りだ」


「っ……」


「佐々木君には研修を受けてもらう」


 よかった、その背景には気になる点も多いけれど、中身は思ったよりもマトモである。もしも水使いのお姉さんと同じ脳筋だったらどうしようかと、内心少し焦っていた。未だ就業規則のイロハさえ窺っていないのだから。


 タイムカードの扱いや残業の申請とか、とても大切な業務知識である。


「これを持っていてくれ」


 端末を渡された。


 世間でも市販されているモデルだ。


「こちらは?」


「連絡はそこに入る。担当者の指示に従って欲しい」


「承知しました」


 どうやら研修を担当してくれる方がいるらしい。


 それが星崎さんじゃないことを今は喜ぼう。彼女は上司から職場待機を言い渡されたことで、陰鬱そうな表情をしている。こうまでも露骨な反応をされると、昨日本人の口から耳にした、青天井だという報酬額が気になってくる。


「なるべく普段から携帯するようにしてくれ」


「プライベートもですか?」


「緊急の呼び出しが発生する可能性もある」


「……なるほど」


 緊急の呼び出しは嫌だなぁ。


 そういう制度があると、休日でも気が休まらない。あまり頻繁に掛かってくるようだったら、異世界に放置してしまおう。あっちだったら電波は入らないし、GPSを筆頭とした各種トラッキングも無効化できる。


「急な顔合わせですまないが、これで挨拶とさせてもらいたい」


「あ、はい」


「それじゃあ私は他に仕事があるから、これで失礼させてもらうよ。何か気になることや現場で解決できないことが生じたら、アドレス帳に私の連絡先が入っているから、電話なりメールなりで相談して欲しい」


「お忙しいところ、どうもありがとうございました」


 こちらが小さく会釈をすると、彼は早々に去っていった。

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