副業 二
結論から言えば、取り引きは想像した以上に円満に進んだ。
「これは素晴らしい……」
応接室と思しき部屋に通されて、そこで商談と相成った。
対応してくれているのは、同店の副店長を名乗る男性だ。年齢は自分と同じくらいだろうか。ただし、その顔立ちはとても優れており、背丈もかなりのもの。女性には苦労したことがないだろうな、なんて思わせる美丈夫だ。
短く刈り込んだブロンドと、緑色の瞳が印象的である。
お名前はマルクさん。
平民なので名字はお持ちでないのだとか。
「いかがでしょうか?」
商売の席ということもあって、余所行きの口調で対応だ。
笑みを浮かべてマルクさんにお問い掛け。
どうして異世界を訪れてまで、物販営業をしなければならないのかとか、疑問に思わないでもない。しかし、それもこれも可愛いペットの頼みとあらば、意外と前向きに頑張れたりするから不思議なものである。
ただ、そうは言っても大変なものは大変だ。
理由は我々が通されたお部屋。
思ったよりもお高い感じの応接室に迎えられたので、予期せず威圧されている。腰掛けた椅子も木製のフレームを金で縁取りした代物で、クッションはお尻が沈むほどフカフカだ。おかげで額にはじんわりと脂汗が浮かんでいる。
「すべて買い取らせて頂きたく思います」
「ありがとうございます」
持ち込んだ商品の値付けについては、ピーちゃんからカンペをもらっている。全部まとめて金貨三百枚くらいが妥当だろうとのこと。内訳は板チョコが五十枚、砂糖が五十枚、紙が百枚、ボールペンが百枚となる。
現地の貨幣は金貨一枚が銀貨百枚、銀貨一枚が銅貨百枚、銅貨一枚が賤貨十枚らしい。そして、食事をするならランチが銅貨十枚、お宿に泊まるなら一泊二食付きで銀貨一枚くらいが相場とのこと。
銅貨一枚が百円ほどと思われる。
つまり日本円に換算すると三億円。
ただし、新品の衣服を上下で揃えると銀貨数十枚したり、家庭で利用するような包丁が中古でも銀貨数枚からだったりと、加工品の物価が日本と比較して恐ろしく高い。その為、厳密にはゼロを一つか二つ引いたくらいの価値になるのではないかと思われる。
よって三百万から三千万円。
また、この場合の各貨幣とは、本日取り引きに臨んだハーマン商会さんが所在する国、つまりヘルツ王国の発行する貨幣に限った話とのこと。他にも近隣諸国が独自に貨幣を発行しているそうで、それぞれ力関係があるとピーちゃんが言っていた。
「金貨四百枚、すぐにご用意させて頂きます」
「四百枚、ですか?」
事前に三百枚と伝えていたのだけれど、百枚ほど増えている。
誤差というにはあまりにも大きな金額だ。
「代わりに今後とも、我々とお付き合いを願いたいのですが……」
「ええ、そういうことでしたら是非お願いします」
可愛いペットが勧めてくれたショップだし、仲良くしておいて困ることはないだろう。たった一度の取引で、お貴族様の下まで我々の名前が響くとは思えない。当面はこちらに卸して実績を作るべきだと思う。
「ありがとうございます」
ちなみにここまでピーちゃんは一言も喋っていない。
肩に止まったままじっとしている。
なんてお行儀のいい文鳥だろう。
同所で取り引きを始めるに差し当たり、その存在を巡っては使い魔だと説明したところ、これといって追求を受けることはなかった。本人から事前に確認を受けた通り、こちらの世界ではそういうものとして常識になっているのだろう。
しかし、それでも恐れは尽きない。
ペットショップでは店員さんから、いきなりウンチをする場合があるからケージから出すときは気をつけてね、と言われたことを覚えている。信じているつもりだけれど、信じきれていない自分に申し訳無さを感じる。
どれだけ精神が理知的であったとしても、肉体の生理現象に抗うことは難しいのではなかろうか。うっかり肩の上で致してしまう可能性も考えられる。ペットショップのケージの随所に見受けられた糞から不幸な事故が想起される。
「ところで少し、お話をよろしいでしょうか?」
「なんでしょうか?」
売買が決まった直後、改めて副店長さんから問われた。
「チョコレートや砂糖については分かるのです。その品質には目を見張るものがありますが、私どもでも時間を掛ければ仕入れることは可能でしょう。しかし、こちらの紙とペンについては、まるで見えてきません」
「なるほど」
「失礼ですが、この大陸の方ではないように見受けられますが……」
「申し訳ありませんが、仕入先は秘密とさせて下さい。代わりと言ってはなんですが、今回ご提案させて頂いた紙とペンについて、当面は他所のお店に卸すことはしません。今後とも仲良くさせて頂けたらと思います」
「それは本当ですか?」
「ええ、本当です」
これくらいのリップサービスは構わないだろう。
具体的な契約の伴わない上から目線な営業トークって、一度でいいからやってみたかった。自社商材が弱いばかりに、頭を下げて過ごした日々が脳裏を駆け巡る。取引先の営業担当が感じていただろう感慨を知った。なんて非人道的な快楽だろうか。
心の底から気持ちいいと言わざるを得ない。
「承知しました。是非ともそのような形でお願い致します」
「ご理解ありがとうございます」
そんなこんなで懐には金貨四百枚が転がり込んできた。
結構な額であることは理解できる。
ただ、実感は沸かない。
何故ならば自身がやったことは、右から左へ時価数万円の物品を流しただけである。おかげで仕事をしたという気分にならない。最初期に仮想通貨で大儲けした人も、こういう感じだったのではなかろうか。
「失礼ですが、宿はこの辺りに取られておりますか?」
「いえ、知人の家に世話になっておりまして」
「なるほど、これは失礼しました」
「また近い内に、こちらへ持ち込ませて頂けたらと思うのですが」
「それはもう是非お願いします。歓迎させて頂きます」
あれやこれやと適当にはぐらかしたところで、当初の目的は達成だ。
以降はそのまま丁重に見送られて、同所を後にする運びとなった。
◇ ◆ ◇
ピーちゃんの言葉通り、リュックの中身は小一時間で空っぽだ。
両手に下げていたコピー用紙も同様。
おかげでホッと一息。
文字通り肩の荷が下りた気分である。
大量の商品は百枚の金貨と三枚の大金貨に変わった。大金貨とは読んで字の如く大きな金貨で、金貨百枚分の価値があるらしい。主に大きな取引で利用されるとのことで、市井では基本的に出回ることがないのだとか。
大金を背負っているという点では、未だにメンタルがピリピリとしているけれど、ピーちゃん曰く、ストーキングされているような気配はないという。おかげで多少なりとも落ち着いて通りを歩いていられる。
ひと仕事終えたことで、自然と意識が向かったのは本日の昼ご飯。
「ピーちゃん、ご飯どうしよう?」
『肉の美味い店がいい』
「その意見には同意するよ」
問題はこちらの世界に、飲食店の口コミサイトが存在していないことだ。大きな通りを歩いていると、いくらでも飲食店を見つけることができる。しかし、都内の飲食店街で幾度となく外れを引いてきた身の上としては、前評判なしの突撃は躊躇する。
昨今、グルメサイトのナビは現代人の必須アイテムである。
『そこの店など、どうだろうか?』
「……いい匂いだね」
肉の焼ける芳しい香りが漂ってくる。
こういうとき、率先して店を挙げてくれる相棒って素敵だ。ピーちゃん、とても男らしくて格好いい。きっと文鳥になる以前は女性にモテたんだろうな、なんて考えさせられてしまう。逆に自分は色々と迷ってしまうタイプだから。
「じゃあ、そこにしようか」
『うむ』
異世界グルメ、ドキドキする。
板チョコや砂糖が高値で売れるという時点で、いささか期待値は低めになっている。けれどそれでも、美味しいものの一つや二つは見つけられるのではないか。そうでないとこちらの世界で頑張る意味合いが減ってしまう。
文鳥のつぶらな瞳に促されるがまま、我々は目当ての店に入った。
いいや、入ろうとした。
その直前に出入り口のドアを破って、中から人が飛び出してきた。
「テメェなんて弟子じゃねぇっ! とっとと出て行けっ!」
「っ……」
二十歳そこそこと思われる男性だ。
かなり大柄な体格の持ち主で肉付きもいい。エプロンを掛けた姿恰好は料理人っぽいけれど、個人的には大工と言われたほうがしっくりと来る。そんな人物が店の前、地面に突き飛ばされて横たわる光景は、なかなか剣呑なものだ。
ちなみに彼を突き飛ばしたと思しきは、同じくエプロン姿の男性。こちらは四十代前後ほど。恐らくは同じ職場の先輩と後輩、あるいは雇い主と雇用者、といった関係にあるのではなかろうか。
しかし、そうした二人の間柄も、何やら雲域が怪しい。
「二度と俺の前に顔を見せるんじゃねぇぞっ!」
「旦那、ま、待って下さいっ! 本当に自分はやってないんです!」
「嘘を吐くんじゃねぇっ! 証拠はあがってるんだよっ!」
「その証拠は偽物ですっ! 自分はこの店のために頑張ってっ……」
「まさか他人のせいにするつもりかっ!?」
「待って下さいっ! ここをクビにされたら、お、俺、行くところがないんですっ! 親にも仕送りしてやらないとならないし、あの、どうか何卒っ! 何卒お願いしますっ! このままだと露頭に迷っちまいますっ!」
「うるせぇ、勝手にのたれ死にやがれっ!」
バァンという大きな音と共に店のドアが閉められた。
その様子を男は切なげな眼差しでじっと見つめている。
これはもしかしなくても、リストラというやつではなかろうか。
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