副業 一

 場所は変わらず自宅の居室、ピーちゃんとのお話をしている。


『それでは早速だが、あちらの世界へ向かうとしよう』


「あ、それなんだけど、ちょっといいかな?」


『なんだ?』


「向こうに行っている間、こっちがどうなるのか知りたくて」


 帰ってきたら出社時刻を過ぎていました、とか笑えない。昨日は休日だったからよかったけれど、今日は月曜日、明日は火曜日、向こう四日間は毎日朝九時までに会社の自席に着席している必要がある。


 社内では朝の点呼が規定されているから、かなりシビアにカウントを取られるのだ。これに遅れると即座に遅刻扱いとなる。社長を筆頭として経営陣の受けはいいみたいだけれど、我々平からはこれでもかと嫌われている。


 社の業績が本格的に下がり始めた五年前から始まった規則だ。


『時間の流れは一定ではない。昨晩、あちらの世界で過ごした時間をこちらの世界における時間に換算してみた。我の見間違いでなければ、そこに設けられた時計の長い針が、およそ三目盛りほど過ぎていた』


 いつの間に確認していんだろう。


 ピーちゃん、凄く賢い。


 自分はそこまで意識を高く持っていられなかった。


 向こうにいた時間は体感で小一時間ほどだろうか。仮にそう考えると、こちらの世界における三分が、向こうの世界における一時間。つまり、こちらの世界における一時間が、向こうの世界における二十時間前後。


 思ったよりもズレ幅は大きいようだ。


 ほぼ一日である。


「……ピーちゃん、そちらの世界は最高だよ」


『そうか?』


 今後は体調を崩したり風邪を引いたりしたら、ピーちゃんにお願いしてあちらの世界に移らせて頂こう。数日ほど休んでリフレッシュして戻ってきても、こちらの世界では数時間しか経っていないのだから堪らない。


 いやしかし、それでも自身の寿命は着実に消費されているのか。


 そうなると多用は控えるべきだろう。


「日が変わるまで一時間以上あるし、今日もよろしくお願いします」


『うむ、では向かうとするか』


 可愛らしいくちばしが開かれるのに応じて、正面に魔法陣が浮かび上がる。


 昨日と同じ演出だ。


 そして気づけば、我が身は自宅からどこへとも移動していた。




◇ ◆ ◇




 異世界に渡って最初に行ったことは持ち込んだ商材の販売である。


 貨幣の管理と税制度のゆるい世界観とのことだったので、遠慮なく色々と持ち込ませて頂いた。数年前、登山を趣味にしようと企み、勢いから購入した大きめのリュック。一度利用して以降、埃を被っていたそれに、あれこれと詰め込んできた。


 際してはピーちゃんにチェックをしてもらっている。


 元現地人のオブザーバーとして、高値で取り引きできそうな品を、昨晩の内に確認していたのである。大半は自宅にないものであったので、会社からの帰り道、近所の総合スーパーに寄り道をして購入した。


 品目は以下の通りである。


 板チョコ、十キロ。


 上白糖、十キロ。


 コピー用紙、五千枚。


 ボールペン、五百本。


 持ってみた感想、滅茶苦茶重い。総重量は四十キロくらい。取り分け最後のボールペン五百本というのが見栄え的に際立っている。一本十グラム、それが五百本で五キロ。まさかボールペンをキロで数える日が訪れるとは思わなかった。


 どれもこちらの世界で高値で売れそうなものだそうな。


 検疫とか行わなくて大丈夫なのか気になったけれど、ピーちゃん曰く、多分大丈夫だろう、とのこと。個人的には馴染みも薄い世界の出来事であるから、彼の言葉を信じることに抵抗は小さい。


 また、最近は何気ない日用品にも抗菌素材が使われるようになった。大手メーカーの商品であれば、製造工程も衛生的である。そういった意味では自分の肉体の方が、遥かにデンジャラスな代物かも知れない。


 一方で現代に何かを持ち帰るときにこそ、十分に気を使うべきだろう。ジャケットに付着した羽虫一匹であっても侮れない。そう考えると衣料用のブラシくらいは用意した方がいいだろう。次の機会にはちゃんと準備しようと思う。


『この世界は貴族が幅を利かせている。一度に多く稼ごうと考えたのであれば、そういった者たちを相手に商売をすることになる。平民は数こそ多いが、富全体に対して占める割合はそれほどでもない』


「こっちもあっちの世界と同じなんだね」


 昨日訪れたときと同じ町並みを眺めながら通りを歩む。


 たしかヘルツ王国の地方都市、エイトリアムといっただろうか。


 日本が夜中である一方、こちらは日中帯だ。


『しかしそうは言っても、いきなり高い地位にある貴族と取り引きをすることは難しいだろう。先立って位の低い貴族と関係を持ち、そこから紹介してもらうのが無難だ。そこで貴様にはこの町の領主に会ってもらいたい』


「ピーちゃんの知り合い?」


『知り合いというほどでもないが、人格は保証できる。だが、我が再びこの地へ戻ってきたことは、当分の間は誰にも伝えずにおきたい。それは貴様の安全を確保する上でも、とても大切なことだ』


「え、それってまさか……」


『安心しろ、貴様の考えているようなことはない』


「本当?」


 前科持ちのペットとか、どうしても抵抗を感じてしまう。


 素直に愛する為にも綺麗な身体であって欲しいよ。


『世の中には色々な人間がいる。誰も彼もと円満な交流を育むことは不可能だ。ただ普通に生活を営んでいるだけでも、要らぬ軋みは自然と生まれてくる。結果的に私は世界をわたる羽目になった』


「…………」


 ピーちゃんもこう見えて、結構苦労してきたのかも知れない。


 明日の晩ご飯は奮発して少し高めのお肉を用意しようかな。


 牛ロースとかどうだろう。


『そこの建物に収まっているのが、この町を治める貴族の御用商人の一人だ。ここで取り引きをしていれば、すぐに話も届くことだろう。今回持ち込んだ品々で、手始めに当面の活動資金を工面するといい』


 ピーちゃんが視線で指し示した先には、大きな石造りの建物が建っていた。


 地上五階建ての非常に物々しいデザインの建造物だ。社会の教科書に眺めたロマネスク様式など近い。出入り口には槍を手にした鎧姿の人たちが、建物に出入りする人たちを監視している。まるで都内に構えられた他国の大使館のようである。


 重厚な装飾の為されたファサードは、本当に入ってもいいものかと躊躇する。出入りしている者たちの身なりも、町の通りで見掛けた人たちと比べて上等なものが多い。恐らく日本における伊勢丹とか三越とか、そういう位置付けにあるのだろう。


 スーツを着用してきたので、周囲から浮いてこそいるけれど、ドレスコードで入店を拒否されることはないと信じている。ただ、右の肩に止まったピーちゃんの存在には、どうしても不安が残るぞ。


「肩に文鳥を乗せたまま訪ねても大丈夫なのかな?」


『使い魔だとでも言っておけば問題はないだろう』


「なるほど、そういうのもあるのかい」


 魔法だけでなく、こちらの世界の規則や常識も学ぶ必要がありそうだ。


『さ、行くぞ』


「ちなみにこちらの店の名前はなんていうの?」


『ハーマン商会だ』


「なるほど、ハーマンさんね」


 自称使い魔に促されるがまま、歩みは御用商人とやらの下に向かった。

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