ピーちゃん 二



 暗転から数瞬ばかり、気付くと周囲の光景は一変していた。


 一言で説明すると、剣と魔法のファンタジー。


 石造りの建物で作られた町並みと、レンガを敷き詰められて舗装された通り。そこを行き来するロールプレイングゲームのキャラクターさながらの人たち。そこかしこに見受けられる剣や槍、鎧といったレトロなアイテム。更に音を立てて走る馬車。


 これを脇から眺める大きな通りの隅の方に、我々は立っていた。


「ピーちゃん、ここどこ?」


『我がこの姿に生まれ変わるまで住んでいた世界だ』


「なるほど」


『ヘルツ王国の地方都市、エイトリアムという』


「ところで僕、裸足なんだけど」


『……そうだったな』


 しかも部屋着の上下スウェット姿である。


 おかげで非常に心許ない気分だ。人前に出るなら、やはりスラックスと襟付きのシャツが欲しい。年齢的にジーパンやTシャツも厳しい昨今、ジャケパンを着用していないと、世の中で人権が認められないのではないか、なんて思う。


 コンビニやスーパーへ足を運んだ際にも、ジーパンにTシャツの時と、スラックスにシャツの時で、店員さんの表情が違う。もしかしたら気の所為かも知れないけれど、それがキモくて金のないおっさんにとっては大切な自衛手段だ。


 会社の名刺とジャケパン、それだけが世のオッサンを守ってくれる。


「たしかにここは別の世界みたいだね」


『納得できたか?』


「おかげさまで、ピーちゃんのことを理解できたと思うよ」


『それは何よりだ』


 どうやら嘘を言っている訳ではなさそうだ。文鳥が喋っている時点で、嘘もへったくれもないとは思うのだけれど、こうして足の裏に感じる石畳の感触が、疑念の入り込む小さな隙間さえをも、完全に打ち砕いてくれた。


「けど、それとお金稼ぎがどう繋がっているんだい?」


『我々はこの世界と先の世界を自由に行き来することができる』


「……それで?」


『二つの世界の間で商売をすればいい。あちらの世界で安いものが、こちらの世界では高く売れるかも知れない。逆にこちらの世界で安いものが、あちらの世界では高く売れるかも知れない』


「なるほど」


『そうすれば我の食卓にも、神戸牛のシャトーブリアンが並ぼう』


「……たしかに」


 ピーちゃんの言わんとすることは理解できた。


 ただ、その為には十分な時間を掛けて、シッカリとした仕組み作りを行う必要がありそうだ。何故ならば彼の提案してみせたことは、異世界の事物を円に精算するということであって、いわば盗品の流通と同義である。


 更にそれが毎日の食卓に並ぶシャトーブリアンに繋がるというのであれば、かなり敷居の高い作業になる。一食数万円の食事を毎日続けた場合、年間の支出は一千万を超えるのではなかろうか。これは決して馬鹿にできない額である。


「だけどピーちゃん、それは結構大変かもしれない」


『何故だ?』


「たとえばこっちの世界で金銀財宝を手に入れて、向こうの世界に持ち込んだとしても、お金に変える手段がないよ。どこから持ってきたのって言われたら、僕らから説明することができないから」


『……どうしてだ?』


「異世界のことを素直に説明したら大変なことになっちゃうもの」


『黙っていればいいのではないのか?』


「それがそういう訳にもいかないんだよ」


 万年平の社畜風情が、質屋に繰り返し値打ち物を持ち込んだら、まず間違いなく警察に連絡がいく。質屋は割と密に警察と連携している。それをどこで手に入れたのかと問われた時、続く事情聴取を乗り切る方法が今の自分には思い浮かばない。


 また、上手く換金できたとしても、確定申告で確実にバレる。


 こと日本において、円の流通はかなり正確に管理されている。脱税の多い職種に風俗嬢がある。個人事業主である彼女たちが、税務署に捕まって多額の追徴課税を受けるのは、この仕組を理解せずに働いてしまったが為である。


 給料は手渡しだからと安心していても、これが意外と気付かれてしまうものだ。銀行口座を介さずとも、税務署の方々は我々のお金の流れを確認する術を持っている。電子決済が普及しつつある昨今、その影響はより増してきている。キャッシュレス社会の目標の一つに、こうした個人消費の完全な把握があることを知らない人は意外と多い。


 価値の高いものを公の場で繰り返し換金していたら、その出処を疑われるのは目に見えている。質屋に対する税務署の反面調査で一発アウトである。しかし、だからといって公の取り引きに対して、税金を収めないという選択肢は絶対に取れない。


 日本は申告納税制度や推計課税制度が採用されている。もしも脱税がバレた場合、税務署が勘定したままに、追徴課税を払う羽目になる。そして、これを否定する為には法律上、その根拠を自ら提示する必要がある。


 異世界から金銀財宝を持ってきました、などとは口が裂けても言えない、或いは語った時点で口が裂けるほどの尋問に晒されて、ピーちゃんとは離れ離れになってしまうだろう。更に税金は自己破産で処理することができない。


 自分はそういったリスクを取りたくない。


 つまり、そうならない為の仕組みを作る必要がある。


 ヤクザ映画などでよく見る光景。


 資金洗浄、マネーロンダリングというやつだ。


 素直に換金、納税できればそれが一番だけれど、こればかりは仕方がない。異世界という絶対に帳尻の合うことがない商材が前提となっているのだから。取り引きを実現するには、どうにかして上手い方法を考える他にない。


 その辺りのお話をピーちゃんにさせて頂いた。


『なかなか面倒なのだな、貴様の国のお金の仕組みは』


「そうなんだよ」


『だが、とても優れている。素晴らしい仕組みだと思う』


 すると彼は意外と素直に理解して下さった。


 賢い文鳥である。


 もしかしたら、こうして語る彼の動画を撮影して、ユーチューブにアップロードすることこそが、その願いを叶える一番の近道かも知れない。そんなふうに思ってしまった。可愛そうだから止めておくけれど。


「そうかと言って、誰でも容易に手に入るものをオークションや中古市場で売りに出しても、毎日のご飯に神戸牛のシャトーブリアンは買えないんだ。だから、ピーちゃんの言うことを実現するのには、少し時間が掛るかも知れない」


『ふむ……』


「そういうわけで、今晩は豚バラでもいい?」


 豚バラも料理次第では美味しくなると思うんだ。


 こと炒め物に関しては、王者と称しても差し支えない食材でしょ。


 豚キムチとか最強だと思う。ご飯がすすむ。


『ならば仕方がない、あちらの世界で楽しむことは諦めよう』


「せっかく提案してもらったのに、なんだか申し訳ないね」


『その代わりにこちらの世界で楽しめばいい。それなら構わないだろう? あちらの世界の食事や娯楽にも興味は尽きないが、先は長いのだから急くことはない。しばらく待てば状況が変わることもあるだろう』


「こちらの世界には、そういった制度はないのかな?」


『税制度は存在するが、そこまで厳密なものではない』


「そっか」


 そういうことなら問題なさそうだ。


 自分もさっきから色々と気になっている。こうして通りを眺めていても、初めて目にするものばかりだから、観光したい気分になっていた。自由に行き来できるというのであれば、当面の休暇は予定も決まったようなものだ。


『では、それで決まりだな』


「そうだねぇ」


 お互いに合意が取れたことで、元の部屋に戻ることになった。

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