第17話『奇妙な縁』

翌日、休みなのに僕は学校に呼び出された。もちろん、瀬海さんに。

「うう……さむ」

気温は一ケタレベルではないのかと思えるほどに寒い廊下を歩く。

その寒さも相まって、廊下は無限に続いているかのように錯覚した。ゲームとかであるアレのことだ。

まあ、もちろんそんなことは無く。

「おはよー……」

音楽室の扉は開いていて、瀬海さんがギターを携えて待っていた。

しかも若干の膨れ顔という、できればいらないオマケ付き。

「遅いですよ、高島くん」

「仕方ないじゃないか。急に呼び出したそちらにも、非はあると思うんだけど」

「ふーん。じゃあ今の高島くんには、休日はお休み極楽極楽~できるほどの余裕があるとでも?」

「うっ……」

確かに、そう言われると言い返せない。なかなか痛い所を突いてくるな。

「ん……?」

ふと、彼女が一枚のプリントをひらひらと弄んでいることに気がついた。

「ん、ああ、これですか」

僕の視線に気がつき、瀬海さんが説明を始める。

「これは、文化祭の出し物の、応募用紙ですね。これで申請をする、と」

「事前にオーディションとか、無かったっけ?」

「誓約書とやらにサインすれば問題ないらしいですよ。なんか面倒くさいんですけど、オーディションとかダルいだけなので、ちゃちゃっと書いちゃいましょう」

そう言って用紙を渡してくる。そこにはいくつかの注意が箇条書きで並べられていた。

瀬海さん、ちゃんと注意書きを読まなさそう。

せめて僕だけでも、とそれらに目を通す。


『・この誓約書にサインしたものは、選考を除外される代わりとして我が校のラジオに出演するものとする』


「はあ!?」

思わず素っ頓狂な声が出てしまった。

ラジオってあれか、週一で昼休みにやってる……。

「瀬海さん、ラジオにでなきゃダメなんだって!」

「ラジオ? 別にいいんじゃないですか。爆弾発言さえしなければ」

「放送コードギリギリを攻めれば良いって問題じゃないよ! 瀬海さんはラジオパーソナリティーの経験は……」

「ありませんよ。あるように見えますか、逆に」

「あー、うん。見えません」

あったら逆に怖い。過去に何を発言したのか、聞くのを躊躇ってしまいそうだ。

「あとは……普通だな。よしっ」

自署欄に名前を記入し、瀬海さんに渡す。応募用紙も同様にする。

「はい。じゃあ出してくるので、高島くんは自主練しててください」

「分かった。それじゃ、お願い」

瀬海さんが頷いて、部屋を出ていく。

僕はピアノの蓋を開けて、椅子に腰掛ける。

「——————」

記憶を探る。

数年は経過した今でも、あの曲を奏でるその姿は当時のままだった。

それをトレースするように、鍵盤に手を置いて、一音目。

『Briliant Winter』の旋律を紡いでいく。


***


「はい、休憩」

「疲れた……」

緊張の糸が緩んでいく。手のひらも筋肉痛なのか鈍い痛みがある。

「は、ぁ……」

肺の中の空気を一気に吐き出す。大きなため息になった。

うん、ヒドイもんだった。

いままで下手くそなりに練習してきた甲斐があって、スピードを落とせば弾けるようになっていた。

しかし、ペースを戻せば状況は一変。

この曲はそんなに速くないのに、途端にリズムが取れなくなる。

「ドミノ倒しみたいでしたね」

「……」

心にグサッとくるようなことを平気で言う。結弦さんの言ったことはやはりホントだったか。

「これ、間に合うかなぁ……」

「うーん。間に合わせます、大丈夫」

始めに何か不穏なワードがあったが、聞かなかったことにしておこう。

「そこ、どいてください」

「わかった」

僕が椅子から降りると、そこに瀬海さんが座る。

いったい何を、そう言おうとしたその時。

「——————」

一音で、世界が一変した。

ふわりと羽毛が宙を舞うように、柔らかな音が耳に届く。

その音色に、彼女の世界を感じた気がした。


「ふぅ……」

曲が終わる。僕の弾いた曲とは天と地の差だ。

「わぁ……!」

自分でも恥ずかしくなるくらい、気がつけば子供みたいに拍手をしていた。

「凄いよっ、瀬海さん……!」

そう言って、隣に座ろうとすると。

「ストップ」

冷たい声で、制された。

「え、っと……」

突然のことで、思考が散乱する。

もしかして癇に障ったのか、それとも……。

「私は、ピアノを弾くときには、認めた人にしか隣は座らせません」

「あー、ごめん」

僕はまだ、認められてないのか。

当然ではあるけれども、少しだけ寂しくなってしまった。


***


「やっぱり、人が多いなぁ……」

学校で瀬海さんと別れたあと、ショッピングモールに来ていた。

さすがに休日だけあって、人が多い。

杖で体を支えながら歩いているから、人混みはできるだけ避けたい。

でも、家にずっといるのは暇だし。どうしようか。


「———————あら」

後ろから声が聞こえた。できれば聞きたくない声だった。

「こんにちは、委員長」

「ええ。ごきげんよう、高島雄介くん」


***


テラスに出る。そこの気温計はデジタル数字で一ケタを叩きだしていた。

「少し、冷えますわね。夜中には氷点下にまで下がる予報がありますから、風邪を引かないように気をつけないと」

「……聞きたいことがある」

「つれないですわね。なにかしら?」

「瀬海さんを殴った理由」

はあ、と委員長がため息をついた。

「彼女、凄い子なんです。父親は会社の社長で、母親は有名なバイオリニスト。叔父だって、海外で活動しているギタリスト。音楽家として成熟するには申し分のない環境ですわ」

彼女は体をテラスに預け、呟く目は夜景を写す鏡、景色を見てなどいない。

「……腹立たしい、イライラするんですよ、あの子を見ていると。私よりも才能があって、周囲の人間にも恵まれているのに、なぜ前に進めない、って……」

「なぜって……お母さんが、綾音さんが亡くなってたんだよ。それぐらい委員長だって分かってるだろ」

「ええ。でも、心の持ちようなんていくらでもありますわ。塞ぎ込んでやめてしまうだけではない。それをバネにして前に進むことも」

「みんな……委員長みたいに強いわけじゃないよ」

「……それは逃げでしかありませんわよ、高島くん」

そうだよ。分かってる。思考停止は逃げでしかない、だけど。

「失うってことは、身近で当たり前だったものを失うってことはさ。……そう簡単に割り切れることじゃないんだ」

「……あの子が転校してきた日」

委員長が体を戻し、僕を見る。

「失望したんです、あの子に。そう……殴ったのは、ただ、それだけです」

そう言って、僕の横を通り過ぎて去っていく。

「…………」

僕は何も反論できなかった。

このままでいいわけがない。そう思う気持ちは僕も同じだから。

「だからって……あんなに殴らなくたって」

「反省はしています。最低な行為に手を染めたことも、私は自覚していますわ。それでもね、高島雄介くん。私は後悔していませんわよ」

「後悔してないって……」

「向こうが変わらないなら、私たちが促していくべきではなくて? もっとも、あの程度で折れるようなら、あの子はその程度だったということです。……それでは、ご機嫌よう」

一礼して、委員長はテラスを後にする。

ああ、なんてことだ。

彼女はやり方はどうあれ、瀬海さんのことを考えている。

修一さんや、工藤さん、弓弦さんたちよりもずっと高い次元で考えているんだ。

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