第16話『周防結弦の話』

外気の冷たさはヒートアップした頭と身体を冷やしてくれる。

自分で考えて行動したにせよ、我ながら失礼なことをしたものだ。

「さっきはすみませんでした」

「いや、良いって。気にすんなよ。思ったことをズバッと言ってしまうのが、ウチの人間の悪い癖でな……」

そうして沈黙が続く。それを最初に破ったのは結弦さんだった。

「俺が修一さんと出会った時、姉貴と修一さんは高2で、俺は小学生だった」

「10歳くらい年齢離れてますよね」

「ああ。そんなもんだから、姉貴の演奏のヤバさはガキの頃から知ってるし、なんで有名にならねえんだろうってずっと思ってたんだ」

そう言えば修一さんから聞いていたんだった。

「ご両親は、有名な音楽家だったんですよね?」

「そうだ。親父は指揮者で、お袋はピアニストだった」

音楽一家か。テレビでしか見たことない世界で、イマイチ実感がない。

「そこで考えられる理由は二つ。一つ目は、姉貴のレベルでも世界の水準で見れば大したことはなくて、周りが化け物だったってこと。二つ目は、姉貴自身の力で、お袋たちのコネを使わずにやりたかったんだろうってこと」

「綾音さんはプライドが高い人だったんですか?」

「そういう部分はあったと思うが、困りものになるレベルでは全然なかったな。自分の力で成し遂げたいって部分に固執してただけで」

「なるほど。歌手に転向したあとはどんな感じだったんですか?」

「ん? あー、うん……」

急に結弦さんの歯切れが悪くなる。地雷を踏んでしまったか。

「その頃は俺もバンドの活動であちこち飛び回ってて年イチでしか会えてなかったんだよな。だから詳しいことは分かんないけど、俺が知る限り、バイオリン弾いてたときよりも生き生きしてたよ」

「そうなんですか?」

「おう。琴が生まれて、心境の変化があったとは言ってたな」

「変化? それって、一体どんな……?」

「詳しいことは、俺にも分からん。でも、修一義兄さんなら、何か知ってるかもな。何と言っても姉貴のダンナさんだし」

そう話す結弦さんの口元は僅かに綻んでいた。最初のイメージは良いとは言えなかったが、お姉さん思いの良い人だと思う。

「ところで、修一さんと綾音さんって、昔はどんな感じだったんですか?」

「そのまんま今のお前と琴の関係だな」

「即答……って、えええ!?」

あまりに予想外の答えに、大声が出てしまった。

「ええっと、それってどういう?」

「クックックッ、自分で考えてみな」

不敵な笑みを浮かべていた。そういうところ、瀬海さんとそっくりだなぁ。

「瀬海さんのこと、心配じゃないんですか?」

今度は僕が不意を突いた。結弦さんは目を丸くし、硬直してから一言。


「何言ってんだ、心配に決まってんだろ」


当たり前のようにそう言った。


「自慢の姪っ子だからな、当然だ。でも、どうすればいいのか分からん。それは修一さんも、実里も同じだ」

「……」

どう声を掛けたものかと、思わず黙り込んでしまう。

綾音さんに頼まれているとはいえ、部外者の自分が軽々しく踏み込んでいい問題ではないのだから。


「……!」

手を打ち合わせる音が不意に響いて、泥沼に陥っていた思考を停止させた。

「悪い、なんか湿っぽくなっちまったな。死んだ身内の話になると、どうもいけない」

「仕方ないですよ。人の死は、たぶん、一生忘れることのできないものですから」

僕はまた黙り込む。悪癖なのは理解しているけど、今ばかりはどうしようもない。

「……なんかあったら、俺に相談して来いよ。修一義兄さんや、実里に相談できないこともあるだろうし、まだ付き合いも短いだろうしな」

「それ、結弦さんも同じでしょう?」

「だな。でも同性だし、年齢もそれなりに近いしな」

それを聞いて合点がいった。その気遣いに少し嬉しくなる。

「そうですね。ありがとうございます」


***


「お前の話がまだだったな。姉貴と琴の話、聞かせてくれよ」

「……分かりました」

一息、吸って吐いた。

今日この話をするのは2度目だ。

話の途中でいつも綾音さんの顔が浮かんで、もういないんだと思うと、軽い喪失感が襲ってくる。

「僕は小学生の時に色が見えなくなって、そこから少し荒んでたんです。触れようとするもの突っぱねるって感じで」

「いきなりハードな話題だな」

そういう声色は淡々としていた。僕も気にせずに続ける。

「中学生になって、今の親友に出会って少しマシになった時期に、綾音さんと出会ったんです」


***


「彼は、何者なのでしょうか」

瀬海琴を送り届けた工藤実里は、先ほどいた場所に戻ってくるなり、そう呟いた。

「……ん? 彼?」

琴の父、修一はまた間の抜けた反応をする。もう十年になる付き合いだ。

最初は嘆息するばかりだったが、今はすっかり慣れてしまっている。

染まった証拠だ、と自己分析し、なんだかその結果に笑えてしまった。

「高島雄介さんのことです」

「……彼は、僕らと同じだよ」

ゆっくり息を吐くと、修一はそう答えた。

彼の真面目な顔など、今までに何回見ることができただろうか。

自分が師と仰ぐ、曰く、昔はああいう風ではなかったらしい。

それも全部、が生まれてから。


「私達と、同じ……ですか?」

うん、と彼は答える。

どこがだろう、と考えてみたが、ちっとも答えは出て来なかった。


「性格、考え方、才能。そう言ったものじゃなくて、抱えているものが、かな」


時計の針の音が、実里にはいつもより少しだけ大きく聞こえた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る