第15話『天才の弟』

「……久しぶり、だな。琴」

「結弦、伯父さん……」

僕と修一さんが部屋から戻ると、見知らぬ男性が来ていた。

「伯父さん?」

「あ、結弦くん。久しぶりだねぇ」

身長は180前半、僕と修一さんよりも高い。

「どうも、修一さん。それとも、義兄さん、かな?」

そう言って結弦という名の男性は、片目を閉じてみせる。

少し掴み所のない感じ、あの人に似てる。

そして、彼女にも。

「……ん? そうか、お前が」

彼の目が、僕の姿を捉えた。

「初対面の人間に、お前呼ばわりはヒドイんじゃないですか?」

「あー、だよな。悪い。……周防すおう結弦ゆずるだ。よろしくな、高島雄介」

そう言って、握手を求めてくる。

そうか、この人は。

僕の心を見透かしたように、結弦さんは言葉を続ける。

「……瀬海、いいや、周防綾音の、弟だよ」



「綾音ちゃんのお葬式以来だから、一年ぶりくらいかな?」

「ですね。バタバタしっぱなしでしたけど、最近ようやく落ち着いて来たんで、……例のアレ、お引き受けしようかと」

「アレ?」

「……私のギターのレッスンっすよ、高島くん」

瀬海さんの顔がまた曇っている。

苦手なんだろうなぁ、結弦さんのこと。


ただし、と結弦さんが続ける。

「俺のやり方に、修一さんや実里も、一切口を出さないこと。これが条件です」

「え、今、実里って……」

それについては私が、と工藤さんが、僕の疑問に対する説明役を買って出た。

「とは言ったものの、彼とは少々腐れ縁の仲みたいな感じです。知り合い程度に考えていただければ」

「は、はぁ……」

まぁ、マネージャーとかやってたって言ってたからそういう事はあるんだろうな。

「……口出し禁止、ねぇ。何か策があるのかな?」

修一さんが目を細める。

少し冷たい、今まで僕が抱いていた優しいイメージとはかけ離れた目をしていた。

「……まぁ、はい。俺的には、コイツにいつまでもこのままいてもらっても困るんでね」

治療ですよ、と結弦さんは付け足した。

「それで、何をするんですか?」

瀬海さんの声で、僕はいつの間にか入っていた肩の力を抜いた。

そうだ、瀬海さんのレッスンの話なのに、具体的な話をまだしていない。


だから、


「無い」


「え……?」


その驚きの声は誰のものか。


彼の答えを聞いた時、僕は自分の耳を疑った。



***


「無いって、どういうことですか!」

「文字通りの意味だよ。分からんか?」

「時間だって限られてるんです! 私のギター、高島くんのピアノ、他にもたくさん、やることがあるのにっ!」

瀬海が珍しく声を荒げている。


いや、……焦ってる?


「お前に教えて、100%のパフォーマンスを発揮出来るのか? 今のお前じゃ、本番で、ピアノどころかギターですら指が止まる、ってオチが目に見えてるんだが」

「……っ」

誰も何も言わない。いや、言えない。

ここに来て、そもそもの前提をひっくり返されている。


演奏する技術がどうとか、時間がどうとか、それ以前に。


「……琴、その精神状態じゃ無理だ。諦めろ」


瀬海さんが俯き、唇を噛み締めている。

目元は長い髪に隠れて、よく見えない。


「──────無理なんかじゃないですよ」


誰も否定しないその言葉を、否定した。

僕だけが、否定した。


***


「ふーん。高島雄介。姉貴が目を掛けてた中学生って、お前のことか。今は高校生だけどな」

僕の発言に、結弦さんは怒りこそしなかったものの、無表情だった。それが逆に怖い。

「気に掛けて貰っていたかどうかは、関係ないでしょう」

一歩、前に出る。そのままさらに数歩、瀬海さんを庇うように。

彼女の前に立つ。

「……た、高島くん?」

僕を呼びかけるその声は、微かに震えていた。

ああ、僕のせいだ。僕がしっかりしていなかったから。

だから、今は自分に出来ることをしよう。


「……頑張ってる人の、邪魔をしないでください」


結弦さんは何も言わない。その目は、瀬海さんにではなく、僕に向けられていた。


「ハイハイ、そこで終わり。結弦くん、大人げないね。無さすぎ」

僕と結弦さんの間に、修一さんが割って入る。

目はいつもの穏やかなものに戻っていた。

「だいたい、キミは……」

「うっ……」

修一さんが軽く説教を始める。結弦さんは苦笑いをしながら聞いていた。

「瀬海さん、大丈夫?」

説教を聞き流しながら、後ろに庇ったままの瀬海さんに声をかける。

「……」

少し俯いて、軽く頷いただけだった。表情はよく見えない。

「琴さん、戻りましょう」

「……ぁ」

工藤さんが瀬海さんの肩を抱いて、その場を離れる。

それと同時に、修一さんの説教も終わったみたいだった。

「……ふぅ。軽く脅したつもりだったんだがなぁ」

叱られたっていうのに、能天気に愚痴っている。

ちょっとだけ腹が立った。

「おいおい、そんなに睨むな。悪かったよ」

「……ちょっとは考えて発言した方が良いと思いますよ」

少し強めに、釘を刺した。

効果は期待できないが、無いよりはマシだろう。

「悪かったって。——————修一義兄さん、帰ります」

「うん。また来なよ」

「はい。……あと、雄介」

急に呼びかけられて驚いた。

「い、いきなり呼び捨てですか」

「堅苦しいのはキライなんだ。……で、このあと時間あるか?」

「いいですけど。何するんですか?」

僕がそう聞くと、結弦さんは懐かしむような、どこか悲しそうな笑みを浮かべて言った。

「——————姉貴の、瀬海綾音の話が聞きたい」

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