第12話『それは少しの絶望から始まった。後編』
Basic point of view:○年前
『……キミはそんなところで何してるの?』
4年ほど前のある日、一人の女性に声を掛けられた。
彼女は自分を30代だと言い張ったが、どう見ても20代にしか見えなかった。
『あー、怪しい人じゃないから。ほら、ね?』
怪訝な顔をする僕に向かって、彼女は何かを持っている右手を見せてきた。
それは、少し色褪せたヴァイオリンのケースだった。
その日、僕は音楽に出会った。
人の人生を変え得るほどの、美しく衝撃的な音楽に出会った。
***
Basic point of view.
「懐かしい夢を見たな……」
僕にとって、大切な記憶の一つ。
思い出すと、心の底からじんわりと暖かくなる。
4年を経た今でも、あのヴァイオリンの音色の衝撃は忘れ難い。
力強く、引き込まれるように美しい音色。
あの人は、
***
いつもより30分早く教室に着くと、孝昌がすでに来ていた。
扉を開けるや否や、顔が僕の方を向く。
「ありゃ、雄介か。いつもより随分と早いじゃねぇか」
「なんだろ、いつもより早く目が覚めたから自然とそうなったのかも」
「へへっ、今日も練習か?」
「うん。そろそろ選考の時期だし、本腰を入れないといけないからね」
自分の席にカバンを置いて、椅子に座る。運動場からは運動部員の掛け声が聞こえている。教室の中は静かだ。掛け声を聞きながらボーッとしたい……。
「……お前、あの瀬海って奴に肩入れし過ぎじゃね?」
「んんっ……!?」
急に彼女の名前が出たので、一気に現実に引き戻された。
「急にどうしたんだよ。彼女がどうかした?」
「話聞いてたか? お前がアイツに肩入れしてるって話だよ」
「え、なに、僕のこと心配してるの?」
孝昌は首を横に振った。え、違うんだ?
「いーや、全然だな。むしろ逆だよ。前よりも生き生きしてるな」
「そうなのかな?」
自分では全然気づかない。客観的に見られるのって、なんだか嫌だなぁ。
それに、コイツは一つ勘違いをしている。
「お前は勘違いしてるよ、孝昌。肩入れしてるんじゃなくて、彼女の方が肩入れしてくれてるのかもね」
「はぁ?」
孝昌は訳が分からないという顔をしていた。
***
放課後、いつも通り音楽室へと向かう。
「……瀬海さん、今日は来てなかったな」
一日中、授業を休んでいた。昨日の今日だし、行きたくないと言われても僕からは何も言えない。
「……?」
階段を登っている途中で、ギターの音が聞こえてきた。非常にゆっくりで、たまに音を外していたりする。
「あんまり上手くないな……」
お世辞にも上手いとは言えない。かと言ってヘタクソでもないけど。なんだか格好悪い。
「……開いてる?」
第二音楽室の鍵は開いていた。そこで誰が弾いてるのかは100%予想できた。
「失礼します……やっぱり」
「む……、どもっす」
瀬海さんがギターのネックから手を離して、右手を軽く上げる。
「瀬海さん?」
「はい。あなたの同級生改め、あなたの先生、瀬海琴です」
先生?っていうことは……。
「引き受けてくれるってこと!?」
あまりの嬉しさに思わず叫んでしまう。
「……声が大きいんすよ。調子に乗らない!!」
彼女が勢いよく指を指してくる。
「は、はいっ! 先生!!」
思わず背筋を正してしまう。
「……まったく、こういう時だけ調子が良いんですから」
やれやれ、と彼女が肩を竦める。
でも、それとは反対にその口元は僅かに綻んでいた。
「……ただし、いくつか条件があります」
少し落ち着いてから、彼女はそう言って切り出した。
「条件?」
「一つ、今から言うことは他言無用です。二つ、今から話すことはほぼ真実です。若干脚色してるので、事実とは異なる部分がありますが。三つ、私の言うことには、全部従って貰います。……あなたなら、できますよね?」
「……近い近いっ!!」
大慌てで飛び退く。
いつの間にか、彼女の顔が目の前にあった。
コホン、と咳払いをして息を整える。
「……分かったよ。それで、手伝って貰えるなら」
「はい。……では、契約成立ですね!」
彼女が優しい笑みを浮かべながら、手をパチンと叩いた。
***
話をしよう、という彼女の提案を快諾して、床に座った。
締め切られた窓から漏れ入ってくる冷気のせいで、お尻が冷たいけど我慢だ。
「どこから話しましょうか。えっと……察しがついてると思いますけど、Kotoneというピアニストは私のことです」
「うん。知ってるよ」
昨日の反応を見れば分かりやす過ぎるほどに明らかだった。
それに僕の家に来たあの日、手に取っていたのは彼女自身のカバーアルバムだったから。
「……ピアノを弾けなくなったのは、母が亡くなったからです」
「お母さんが?」
「ええ。母は、いつも格好良くて、美しくて。でも傍若無人な振る舞いをいつもしてたんです」
「え、なに? 傍若無人だって……?」
「はい。いつもマネージャーやお父さんに迷惑ばかりかけてましたから。でも、私を産んでからはそういった振る舞いは少しマシになったそうです。……音楽家としても有名で、私の憧れだったんです」
「そうだったんだね」
彼女の声音は落ち着いていて、どこか懐かしむような感じで話している。
「……母が亡くなった日、私はコンクールの最中だったんです。母の訃報を聞いて、気が動転したんでしょうね。金賞を取ったのに辞退して、急いで病院に向かったんですけど遅かった」
「……」
「それからです。次のコンクールでまた優勝しようといつも以上に練習して本番に臨んだら、──────指が、動かなくなってしまったんです」
さらりと言ってのけるが、相当焦っただろう。
彼女はにへへ、と笑いながら続ける。
「そこから怖くなってしまって。……普通に弾くなら大丈夫なんです。でも、大人数の場で弾くのは無理になってしまった」
無理して笑顔を浮かべていた。指は小刻みに震えているのに、彼女は強くあろうとして、笑っていた。
「……ありがとう、瀬海さん」
「え?」
僕の突然の感謝に、目を丸くしている。
でも、今はそれしか言えない。
僕なんかが出しゃばるわけにもいかない。
「……なんなんすか、もう」
瀬海さんは膝を抱き寄せて顔を埋めながら呟いた。
「ねぇ、恥ずかしい?」
「潰しますよ?」
「……」
何を、とか聞けるわけない。
怖くなってしまったので何も言わずにおいた。
***
「お、やってる〜!」
扉からひょっこり顔を出す男子がいた。
「……孝昌!?」
「だれ?」
驚きの声を上げる僕とは逆に、彼女はクエスチョンマークを頭に浮かべていた。
「……おい、雄介。彼女の教育くらいちゃんとしろよ」
「彼女じゃねえから!!」
断固として否定する。
彼女は僕にとって憧れなんだ。そこを履き違えたらいけない。
「……だれ?」
僕の背後に回り込み、盾にする瀬海さん。
地味に押されるのを抵抗しながら、彼女に説明する。
「
「そこは親友だろ、雄介」
「図々しいわ! 別にどっちでもいいけど」
「あ、どっちでもいいんすね」
よいしょ、と瀬海さんは僕から離れて、孝昌の方へ歩いていく。
「……瀬海琴です。改めて、よろです」
「おう。よろしくな!」
アイツは快活な笑みを浮かべて手を振る。
瀬海さんは僕の方を振り返って、気まずそうな顔をして言った。
「……高島くん、私、この人なんか苦手です」
「会って早々失礼過ぎじゃねぇ!? しかも本人の目の前ってそりゃあねぇよ!!」
孝昌は頭を抱えて絶叫していた。
ていうか、なんでここに来たんだろう。
「孝昌、なんでここに?」
「あ、そうそう。お前にお客さんだぞー」
孝昌が外に向かって手招きする。入って来たのは、スーツ姿の女性だった。さしずめOLか美人秘書といった感じだ。
「……く、工藤さん!?」
「あら? 琴さん、こんばんは」
工藤さんと呼ばれた女性は、瀬海さんと知り合いらしい。優しい笑顔で瀬海さんに挨拶をして、視線が僕の方に止まった。
「……高島雄介さん、ですね?」
「は、はい……」
「社長が、瀬海修一様がお待ちです。……琴さんも、一緒に来るように、と」
工藤さんは、ああ失礼、と言うと僕の方へ歩いて来た。そして目の前で一礼。
「申し遅れました。……初めてまして、工藤実里と申します。今は……社長のご令嬢である、瀬海琴さんのお世話係のような仕事をしております」
社長のご令嬢?
瀬海さんが?
……
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