第5話
時刻はとうに7時を回り、通りは仕事帰りのリーマンとか帰宅途中の学生が目立った。
自動車の走行音が僕の耳を立て続けに叩き、平衡感覚が曖昧になる。
「あの、もう少し前に。えーと、隣に立ってくれると嬉しいんだけど……」
「それだと変な目で見られるじゃないですか。嫌っすよ」
確かに、道行く人々は様々な目で僕たちを見てくる。
だが見た後は一様に、戸惑いの表情を浮かべるのだ。
それもそのはず。
僕たち二人の腕は、手錠で繋がっていた。
***
事は、15分前に遡る。
「歩けるかな?」
「ええ。……大丈夫っす」
瀬海さんは服を叩きながら立ち上がった。
そうは言うけど、彼女の顔には苦悶の表情が浮かんでいた。
「やっぱり、手貸そうか?」
そう言って、彼女に手を差し出す。
「いや、大丈夫ですって。……あ、困っている人がいたら誰でも手を差し伸べちゃう正義のヒーロー気取りですか?」
酷い言われようだ。
しかも少し小馬鹿にするような笑顔を浮かべているので尚更タチが悪い。
「いや、ここ最近は暗くなるの早いし。歩くのが不安になるから、手伝って欲しいっていうか」
「あの。確認しますけど、私の手当てをするんですよね?」
「うん。そうだね」
「手当て〜とか、歩くのが不安〜とか言って、手を繋いでもらったりするんですかね?」
「いや、何もそこまでは……」
「却下です」
「……」
なんでここまでボロクソに言われなきゃならんのだ。
下心はまあ、ない。はず。
「大体、初対面の人にそんなことさせますか?」
「じゃあ、これで…」
そう言って取り出したのは、オモチャの手錠。
「え、えぇ……」
瀬海さんはドン引きしていた。
勧めておいて何だが、あまりの恥ずかしさに僕も顔から火が出そうだった。
「……あなた、マゾですか?」
「違うわ!!」
***
車のライトに目を細めたその時、瀬海さんから一言。
「どう考えてもヤバイ二人組ですよね。私たちって……」
「ゴメン」
「初日からこんな羞恥プレイを食らうなんて……。これなら殴られてから一人で帰った方がよっぽどマシっすよ……」
「外すための鍵が家にあるとは思わなかったんだよ!! あと数分の辛抱だから、我慢してくれ!」
僕の言葉通り数分すると、6階建てのマンションが見えてきた。
近くにコンビニにが多いのが個人的には好きだ。
エレベーターを使って4階まで上がる。
女の子とエレベーターに二人きりというシチュエーションに、内心ドキドキしっぱなしだった。
「よし、ここだ」
鍵を開け、中に入る。
淡く白色に照らされた廊下は、数枚の絵画で彩られている。
全部親の趣味なわけで、僕は一切興味がない。
「へぇ……」
瀬海さんが物珍しそうに家の中を眺めている。
「ん? 僕の家ってそんなに珍しい?」
「そう、ですね。まあ、友人は生涯できなかったもので。それよりも、鍵はどこに?」
おばあちゃんみたいな台詞を言うなぁと思いつつ、自室のドアを開け、明かりをつける。
まず目につくのは大型のラック。何十枚ものCDで埋め尽くされているけど、大半はこれまた僕の両親の趣味。僕のは十数枚ほどしかない。
「ここが高島くんの、ってCDばっかり。……んーと、クラシックだけなんですか?」
「そうなんだよね。僕も詳しいわけではないんだけど、どうしても聞くものがクラシックに偏っちゃって……」
「私もクラシックばかりになっちゃうんです。J-POPとかどうも好きになれないというか……例外はありますけど。」
「うん、何だか分かる気がするよ……」
あ、そうだ鍵を探さないと。
手錠が掛かっている方とは反対の手で引き出しを漁る。
目当ての物はすぐに見つかった。
「よし、これで……」
カチッと音がして、瀬海さんの手首から手錠が外れる。
「どもです」
相変わらず、僕の顔を見ることなく返事を返される。
「よっと」
自分の方も外し終えた。
「それじゃ、傷の手当てだな。えーと、自分で出来るかな?」
「……あー、すいません。不安なところがあるので、手伝って貰っても良いですかね?」
「うん、分かったよ。救急箱取ってくるからベッドに座ってて」
即答し、部屋を後にする。
やるべきことは分かっているから、次の行動も早かった。
「えーと、救急箱、救急箱……」
戸棚の中から、救急箱はすぐに見つかった。
箱を開け、一つずつ指差しで確認していく。
絆創膏に消毒液、湿布、ガーゼ、包帯、ハサミ。
「よし、不足無し。これだけあれば十分かな」
さて、それでは彼女の治療に向かうとしよう。
箱を抱えて自室に戻ると、なにやら真剣な面持ちの瀬海さんがいた。
手にはCDを持っている。
「お待たせ。じゃあ、ブレザー脱いで」
「あ、はい……」
彼女が少し慌ててCDをラックに戻した。
カッターシャツとスカート姿になった彼女へ、治療を進めていく。
擦りむいたりしている箇所には、消毒液と絆創膏。
「お腹とかはどうする? 自分でするかい?」
「氷水の、えーと、氷嚢でしたっけ? それを頂ければ」
「OK。すぐに準備するよ」
時間はかからない。氷と水を入れるだけだ。
「はい、どうぞ」
「あ、どうも……」
彼女は受け取ったそれをお腹に当て始めた。
「当てすぎはダメだ。お腹が冷えるからね」
「それくらい大丈夫っすよ……」
最初は痛みに顔を歪めていた彼女だったが、しばらくすると痛みも引いてきたようで穏やかになっていった。
彼女を見ていると自分も落ち着く。
なんだか、不思議な気持ちだ。
「あの、高島くん」
彼女が僕を見下ろしてきた。
彼女はベッドに、僕は地べたに座っているので仕方ないけど。
「ん、どうしたの?」
ふと我に返ると、彼女と目が合ってしまって、慌ててそらす。
「……『BRILLIANT WINTER』、好きなんですか?」
「あ……、うん。この曲が、僕に生きる勇気をくれた。……この曲を歌ってるのって確か、バイオリニストなんだよね?」
「はい、そうだったと思います」
「そっか……」
今、あの人はどうしてるんだろうか。
また会いたいけど、たぶん無理だろうな。
そんなことを思いながら、俯いた彼女を見る。
こうやってじっくり見ると、やっぱり既視感を感じる。
なんだろう、眼鏡が違和感の正体かな?
「瀬海さん。眼鏡貸してくれる?」
「は? 良いっすけど……」
どうぞ、と眼鏡を手渡される。
フレームは黒に見える。今朝のあの現象を思い返すと、この眼鏡は黒のフレームなんだ。
今の僕には、黒も、青も、緑も、赤も。全て同じような色にしか見えない。
「……っと」
いけない。ネガティブな思考に囚われてしまっていた。
首を振って、イメージを脳内から追い出す。さて、続行だ。
電灯をレンズを通して見る。それで、一つだけ分かった。
「ちょっと失礼」
眼鏡を彼女に掛ける。
「え、ちょっ、何してるんですか……?」
彼女が驚いた声を上げて、目を瞬かせる。キッと僕の方を睨んでくるのも構わずに、もう一度外す。
「う、うわぁ。何なんすか、もう……」
ふむ、と頷いてから、もう一度、手に持った眼鏡に視線を落とす。
そして、一言。
「これ度が入ってないよね。つまり、瀬海さんって伊達メガネだよね」
「……」
彼女が数秒固まり、空気が凍りついた。
それから段々と面白いくらいに慌てたような表情になっていく。
瀬海さんは眼鏡を強引に奪い取り、自分で掛けた。
「こ、ここ、これはっ、ふ、ファッションすよ!?」
ビシィッ! と効果音が付きそうなくらい勢いよく指を突きつけてきた。
瀬海さん。必死の弁明。しかし悲しいかな、その顔では説得力は皆無だ。
「いや、その説明は苦しいものがあると思うよ? 顔を鏡で見てごらん。今、真っ赤なんじゃないかな?」
「あ、う、うぁ……」
頭を抱え、口をパクパクさせながら面白いくらいに狼狽える瀬海さんだった。
やがて気持ちの整理が付いたのか、平静に戻った(つもりの)瀬海さんは立ち上がって鞄を手に持った。
「……ありがとうございました、高島くん。そろそろ帰りますね。親も心配しているかもしれないので」
「あ、うん。新しい家に、住んでるんだよね? 引っ越して来たってことは」
「はい。今日はこの時間なのでタクシーで帰ります」
「あ、待って。僕も降りるよ」
ネクタイだけ机に放り投げて、彼女と一緒に一階に降りた。
時計を見ると既に8時を過ぎていた。流石に遅くなり過ぎたかな。
「ごめんね、瀬海さん。こんなに遅くなって」
「あ、いえ。大丈夫ですよ。親にはちゃんと言いますから」
それじゃ、と言って彼女は帰っていく。
どこか適当にタクシーを捕まえるみたいだ。
「……せ、瀬海さん!」
「はい?」
彼女を慌てて呼び止める。
「あの、明日も学校来てくれるかな?」
「当たり前じゃないですか。……言われなくても、ちゃんと来ますよ」
彼女はぶっきらぼうに返事をする。その口元は僅かに綻んでいるように見えた。
彼女が、笑ってる。その顔は、どこか懐かしい感じがした。
「……そっか。うん。また明日!!」
僕はその言葉に少しだけホッとした。
そして手を大きく振って、彼女の背中を見送った。
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