絵師アレン

「あら、あの馬車」


 デイビス家の屋敷が近づき、ジャスティーナが声を上げた。

 屋敷の前に、黒色の馬車が停まっていた。黒色の馬車は一般的であるが、そこに王家の紋章を確認できる。ジャスティーナは不安を覚えたのかイーサンの背中にますます寄り添い、その胸のやわらかな感触が背中を彼を試すように刺激する。

 惚けそうになったが、彼は彼女を安心させるためにしっかりと返す。


「心配することはなにもない」


 イーサンの覚えている記憶の中で、王家の馬車が屋敷を一度だけ訪れたことがある。それは父の葬儀のときで、彼自身は馬車から降りてきた人物が王だと気がつかなかったが、使用人達に言われ、慌てて頭を下げたのを覚えている。

 彼の昆虫顔をみても、驚くことはなく、むしろ好意的な笑みを浮かべられた。 それから十三年後、直接王にあったのは、四ヶ月前だ。

 ジャスティーナとシュリンプの婚約破棄の書状を手にするためだった。

 ーー何か困ったことがあれば、いつでも相談に乗る。

 幼いときにかけられた言葉はすっかり忘れていたが、彼は思い出して、王を訪ねた。

 非公式に面談は行われ、イーサンが魔法具の魔力の供給源であることもちらつかせ、婚約破棄の書状を緊急に作ってもらった。

 王は楽しそうに笑っており、また何かあったら王宮においで、とかなり友好的送り出された。

 そんなこともあり、イーサンは王家の馬車に驚くこともなく、馬を馬小屋に連れていく。

 ニコラスが屋敷から慌てて出てきた。


「お早いお帰りで。でもちょうどよかったです」


 彼は少し焦っている様子で、まずはジャスティーナを馬から降ろす。イーサンが馬から降りると、ニコラスは馬を小屋の一角につなぎながら、慌てている理由を告げる。


「王宮から、絵師と名乗られる方が来られております」

「絵師と名乗られるか……」


 おそらく絵師を名乗る身分の高い人物なのだろう。

 イーサンはニコラスの言葉をそう読む。


「ニコラス。ジャスティーナのドレスが汚れてしまったので着替えを。私はそのまま客人に会う」

「かしこまりました」


 彼女は横で二人のやりとりをただ聞いているだけだったが、ニコラスが側に来て状況に気がつく。


「イーサン。一人で大丈夫?」

「もちろんだ。ジャスティーナは部屋でゆっくりしていてくれ。あとで軽食も運ばせる」

「食事はいいわ。イーサン様と後で一緒に食べたいから」

「そう……か」


 ジャスティーナの笑みとその言葉はイーサンをあっけなく動揺させる。だが彼は口元を緩めるだけに必死におさめ、応接間に急いだ。


「ああ、よかった。戻ってきたのか。せっかくきたのに空振りかと思ったよ」

「へ、」


 部屋に入ると、すぐに声がかけられ、イーサンは目の前の人物に対して言葉を失った。

 ハンクは壁の側で青白い顔をしており、護衛と思われる二人の男は無表情で立っている。

 何やら胃が痛くなりそうな状況で、彼はピクニックを切り上げてきた本当によかったと思う。

 ジャスティーナに感謝したいくらいの気持ちになりながら、彼は首を垂れた。


「礼は必要ないよ。ここにいるのは、単なる絵師のアレンだから」


 アレンは着崩れした茶色のジュストコールをまとっており、椅子にこしかけたまま、イーサンを見上げる。

 その表情、仕草どう見ても高位の者なのだが、とりあえずイーサンは彼の望むまま、絵師アレンとして話すことにした。


「アレン様。本日はどういったご用件でしょうか?」


 イーサンの質問は単刀直入であり、「王」に対してはあり得ないものだ。壁と同化しそうな二人の男達から殺気のようなものを感じて、イーサンは息を飲む。

 ーー王として接した方が無難だな。


「今日はな。絵を描きにきた」

「は?」


 しかし、アレンの返答によりイーサンの考えは霧散した。

 不躾に返して後悔したが、二人の男が動くより先にアレンが手の平を合わせ音を立てるのが先だった。


「君達。今日は、絵師のアレンとしてここにきている。その言葉、しっかり覚えておきなさい」 


 部屋の空気を支配するような圧迫感のある声でアレンが命じ、二人の男は深々を頭をさげると、壁にとけこむように静かになった。


「邪魔したね。本当融通がきかない者ばっかりで困ったよ。さて、これでもう邪魔はしてこない。君の肖像画を描きたいんだ。協力してくれ」


 「はい」以外の答えはないのだろう。

 訳がわからないが、イーサンは承諾するしかなかった。


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