三部

昆虫男爵イーサン・デイビス

 デイビス家の始まりは百年前と言われている。

 その発祥は曖昧で、現当主のイーサンは五代目に当たる。


 類まれな魔力をもち、魔法や呪いを一切受け付けない肉体に恵まれるデイビス家の男子。

 しかしながらその代償とばかり、その顔は目が黒々と丸く、つぶれた鼻に薄い唇と、昆虫のような容貌。

 魔力も己の肉体が強化されるだけであり、本人が魔法を使えるわけではなかった。

 先代たちは魔力を有効活用しようと、魔女の元で魔法を学ぼうとしたが、宝の持ち腐れ、彼らたちが魔法を使えるようになることはなかった。


 その代わり、魔力を道具に蓄えることができたため、デイビス家の男子は王の認可の下、魔女が用意した魔法具に魔力を蓄えることを生業とすることになった。

 領地はないがその働きによって国から給金を渡され、森の中であるが彼たちはひっそりと暮らし続けた。


 ☆☆☆


「それではデイビス男爵。また来る」


 今週に入って五人目の訪問者は、深々と頭を下げ応接間を後にした。廊下を歩く客に付き添うのはハンクである。

 彼の姿が廊下の端にやっと消え、イーサンは大きく息を吐いた。


「まったく、なんでこんなに」


 代々昆虫男爵と呼ばれてきたデイビス家の当主は、現在五代目のイーサン・デイビスである。

 彼は連日の訪問客でほとほと疲れていた。


 現在デイビス家は、森にひっそりと暮らすという先代までの話とは違い、毎日訪問客に見舞われていた。

 三ヶ月前から始まった森の魔女メーガン目当ての訪問者は当初はイーサンの容貌に恐れをなしてか、数が少なかった。

 しかし、直接デイビス家を訪れた者からイーサンの真面目で誠実な物腰などが社交界に広まっていき、訪問者が増えていった。

 中にはメーガン目当てではなく、噂の昆虫男爵と会うという目的を持った者もいて、屋敷は急ににぎやかになった。

 そのため、使用人三人では対応できないため、ホッパー家に出ていたモリーを呼び戻したくらいである。


「旦那様」


 ハンクの呼びかけに顔を上げると、そこにいたのは婚約者のジャスティーナだった。

 今日は見事なまでの金色の髪をしっかり編みこみ、纏っている深緑のドレスは首元を覆っていた。袖はぴったりと手首まであるもの。スカートの丈は踝からかなり上で、茶色の皮のブーツがその存在を強調していた。

 森を散策するにはちょうどいい服装で、イーサンはハンクかモリーの計らいに感謝した。


「イーサン様。疲れているみたいだけど、大丈夫?」

「大丈夫だ。さあ、出かけよう」


 馬で森を駆ける。

 しかもジャスティーナを乗せて。

 これ以上の気分展開はない。

 最初は戸惑ったジャスティーナだったが微笑むと差し出された手をとった。

 その微笑みは極上で、イーサンは目が眩みそうになる。けれども、以前のように自分を卑下するような暗い感情は沸き起こることなく、彼女を連れて馬小屋に向かった。


「旦那様」


 馬小屋ではすでに黒毛の馬に鞍がつけられていて、準備万端。

 ニコラスが馬の鼻を撫でながら、二人が馬に乗るのを待っていた。


「旦那様。今日こそはぜひ」

「わかってる」


 まずは先に乗るイーサンだが、鐙(あぶみ)に足をかけるとニコラスがすかさず声をかける。

 モリーが屋敷に戻ってきてから、何度も言われている事。

 ジャスティーナへのプロポーズ。

 ホッパー家は居心地がよくなっているとはいえ、モリーはジャスティーナのことを心配しているらしく、早く一緒に住んでほしいと意気込んでいるらしいのだ。

 モリーに尻を焚き付けられているか、はたまた本人がそう思っているのか、ニコラスも機会があれば、ジャスティーナへのプロポーズを匂わしていた。


 「ジャスティーナ様」


 ニコラスの助けを借りて、彼女はイーサンの後ろに座る。体が密着することになり、イーサンは緊張して、手綱を握る手に力が入る。そんな状態に輪をかけて騎乗が不安なジャスティーナはイーサンの腰に手を回した。

 背中に感じる彼女の柔らかな膨らみ。

 これが初めてではない。

 けれども、背中ごしに彼女を感じ、イーサンは雑念を振り切ろうと首を横に振る。


「イーサン様」


 出発しようとしない彼をいぶかしげに思ったのか、彼女が問う。

 吐息は熱を帯びているように思え、イーサンの邪な思いはますます深まった。


「イーサン様、早まらないでくださいね。お願いですから」

「わかってる!」


 苦笑交じりのニコラスの台詞に言い返して、イーサンは馬を出した。


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